掌の上に懇願のキス


*第115話時点での妄想。
抽象的すぎる精神描写有り。苦手な方は注意。

赤い花が狂い咲く。


最近、変な夢ばっかりをよく見る。

視界が一面真っ赤に染まっている。

さやさやと霞のように揺れるその赤色に、じっと目を凝らしてやっと、それが視界一面に咲く椿の花だと知る。
夢の中特有の、重く鈍った感覚の中、そこで私はようやく、自分が仰向けになって大きな椿の木を見上げている事に気付くのだ。

周囲を見回そうにも、身体は自由に動かない。視野に収まる景色はずっと同じのまま、地面も空もただただ赤い。

そうしてただ、真っ赤な空を見上げているとやがて、間接一つ動かせない身体の上に、ぱたぱたと、椿の花が落ちて来る。

首が落ちるみたいに丸ごと。何も纏っていない肌に当たって、ぱたりぱたりと音を立てては、私を埋めて行く。
身体を心を存在を、消して行くみたいに、死体を土に埋めるみたいに。ぱたぱたぱたぱた、と。
私を埋めて、塗りつぶしていく。

裸の胸を打つ、花弁の重さと擽ったさに慣れてしまう頃には、頭から脚までが埋もれて、目に映るのもただ、沢山の赤い花だけに。
その頃には、とろけるような感覚と気怠さはもう全身に広がり切っていて、何も考えられなくなって、ただ無心で椿を見上げている。

そうしていよいよ、全てがどうでも良くなってしまって、赤しか映らない視界さえも閉じてしまおうとする瞬間、不意に、動かない右手をぐい、と引かれる。

組み合わせるように5本の指を絡められ、掌を押し付けられてやっと、私の手を引っ張った、ソレも誰かの手なんだと気付く。

人の皮膚じゃない、それでも滑らかな感触を伝える、懐かしい大きさの手。動かない身体にどうにか力を込め、絡められた長い指ごと、その手をきゅぅっと握り返す。
とたんに指を解かれて、今度はその手を両手で包まれる。ひたりと掌に触れる、暖かい何かが、皮膚の上をひたりと這う。

何かを願うように何度も何度も。そのうち更に引き寄せられ、ひんやりとした肌――頬の感触に触れさせられる手。

引っ張られた反動で、僅かに赤の退いた視界の中で、青と翠がちらりと揺れる。
「そうだ、待っている、呼んでいるんだ。目を醒まさないといけない」
――そう思った所で、夢はいつも終わる。



「そう、そんな夢を……」
「はい、ここの所毎日で嫌になっちゃいます……おかげで寝不足で……」

テーブルのセッティングを終えて向かいに座ったアイさんに頷き、軽く欠伸をした後にパンを囓る。
サクサクとしたトーストは香ばしく程よい焼き加減で、意識せずとも頬がゆるむ。

彼女のお手製だというマーマレードの甘みと酸味もまた美味しい。

「……で、それは――淫夢という奴ですか?」
「ち、違いますよっ!! うぁちっ!?」

さらりと吐かれたアイさんの言葉に動揺し、私は思わず立ち上がる。その反動で、近くにあったスープの皿をひっくり返してしまった。

白いテーブルクロスをひたひたに濡らしたソレを、アイさんは向かいから手を延ばし、テーブルに零れた分を布巾で拭いて行く。

「……ごめんなさい…」
「別にいいです、桂木弥子。元々は私の冗談のせいですし、慣れていますから……」
「あ、冗談だったんですか、ソレ……」
「――それで、」

手を止めないまま、アイさんが言葉を続ける。

「その夢に、あなたはいつも、どんな感情を見るのですか?」

相変わらず心の読めない丸い瞳に、じいいっと見上げられる。

感情……?
――カンジョウって、 あの夢の中で、いつも感じる胸の痛みの事だろうか。

焦燥のような、懐かしさのような、あの。

あ、れ? ショウソウ、ナツカシサ。それは一体、どういった感じのするものだったっけ?

「……何さ、アイ、 今度はカウンセラーの真似事でも始めたの?」

巡らせていた思考は、あっけらかんとした声にあっけなく中断させられた。

声のする方に顔を向けると、いつの間に入って来たのか、ドアの開いた入口に寄り掛かり、腕を組んだサイが立っていた。
「おはようございます、サイ。朝食は、どうしますか?」
「ん−貰おうかな?」

体制を戻し、椅子の上に背筋を伸ばしたアイさんの言葉に、サイが壁から身を離す。

「……はい。では、準備致します」
「あ、私はもういいです。ごちそうさまでした!」

彼がテーブルに近づくのと殆ど同時、私もテーブルから立ち上がろうと椅子を引く。

「……もう、いいのですか?」
「はは、流石に朝から、こんな油っこい物を沢山食べる気にはならないです」
「そう、ですか……」

苦く笑って見下ろしたお皿には、半分だけ残った鶏のフトモモ。

パンとスープという典型的な朝食に混じって、何で朝からローストチキンなのかとは流石に聞けなくて、とりあえず手を付けてはみたけれども、やっぱり完食は無理で、結局残してしまった。

もしかして、今日は何かのお祝いだったんだろうか?
じゃあ、折角のごちそうを残すなんて悪かったかな。

「なぁんだ、あんた、全然食べてないじゃん!」

耳元で聞こえた声に振り返ると、サイがすぐ後ろに立っていた。
本当この人、いつも神出鬼没で困る。

あれ――いつも、って、一体いつからだったっけ?

「ねぇ、気分はどう? 桂木弥子」

ぎりりと肩を掴まれて、殆ど見上げるような姿勢で無理矢理振り返らさせる。

私の目を、じっと覗き込む目は真っ赤。私に向かってゆっくりと伸ばされる手の平は、サイズの合っていない大きく真っ黒な皮の手袋に包まれて、何かの返り血で真っ赤に染まっている。

ぺとりとそれが触れた頬にべったりと、血の色をした華が咲き、
そこから涙のように、ぬめる滴がとろとろと垂れて行き、椿の花のような赤色が、
段々眼を、頭を塞いで行く。
塗り潰されて力が抜ける。
「ぅ…ぁ……」

夢の中のように、漏れる鳴咽と動かない四肢に痺れが走る。

――夢で見たあの悲しそうな翠色に、この赤色を足したら綺麗な青になるかもしれない。

そう考えて、意識は途絶えた。


画像:自作。ヘタレ加工な上、一部字を消しててすみません。

第115話時点での妄想、バッドエンド編?
書いている間、昔(中学生位?)に読んだ、夏目漱石の「夢十夜」をイメージしたとかしないとか。


date:2007.08.06



Text by 烏(karasu)