「不思議の国のアリス」パロディ、第四章


キャストのミスマッチと、ギャグ的なキャラ崩壊に注意!
 参考:集英社版『ふしぎの国のアリス』(北村太郎 訳)

公爵夫人と、趣味の友達

「私の館へようこそ、かわいいお嬢さん」

玄関を潜ったとたん、アリスの耳にそんな声が届きました。 鈴のように透き通るような声の主を見上げる間もなく背に回った細い腕と、顔にぎゅむっと押し付けられた、柔らかい、感触。

「ここまで大変だったでしょ?もう、大丈夫よ……」
(なんだろうこれ……凄く、気持ちいいや……)

その声が耳元で囁く度に、アリスの意識は段々とぼんやりしていきます。
「……公爵夫人、初対面の方にその挨拶はどうかとおもいますが?」

優しい声と感触に酔っていたアリスの意識は、背後から聞こえた低く冷たい男性の声に呼び戻されました。
「ふぇ……ッ!」

正気を取り戻し、自分を包む柔らかな物に両腕を突っ張って顔を上げたアリスを捕らえたのは、アリスを強く抱きしめている、綺麗な髪を一つに束ねたすらりと高い背をした美しい女性の柔和な微笑みと、
その後ろで嫌味な程に長い腕を組み、アリス達二人を見下ろす、整った顔立ちをした男性の、冷たい緑の瞳でした。

「あらあら……まさか私に妬いてらっしゃるのですか? チェシャ猫ともあろうお方が」

女性はアリスを抱き締めた姿勢のままで男を振り仰ぎ、そう優雅に言いました。
「……僕が、貴女に? まさか! 貴女を独り占めしている彼女に妬いているのですよ、麗しい公爵夫人殿」

チェシャ猫、と呼ばれた青年は大げさな仕草で空を仰ぎ、そう返しました。
(その時、アリスは「さっさと離れろ、この絞殺魔」という冷たい声が耳に聞こえたような気がしました)

「まぁまぁ……相変わらずお上手ねぇ」
「いえいえ、本心からですので!」

ハハハ……ウフフ……と、艶やかな笑みを交わす見目麗しい二人の背後には(実際、二人並んでいる姿はどこかのお屋敷に飾られた絵画のようだとアリスは思いました)、何故だかドス黒い何かが立ち込めています。

(なんか、すごぉ―く嫌な予感がする……)
「あっ……あのぉ〜貴女が、公爵夫人様……ですよねぇ?」

持ち前の直感で、自分に迫る危険を察知したアリスは、早々にこの場を去るため、大急ぎで本題に入りました。

「そうだけど……なにかしら?」

自分に向き直り、優美に微笑んだ公爵夫人の笑顔に、またぼんやりしかけたアリスはブンブンと首を振り――ポケットから扇を引っ張り出しました。

「これを、偶然会った兎さんに頼まれて持って来ましたっ!」
「あら、ありがとう」 「では、用事も済んだし、私はコレで失礼し……!」

夫人が扇を受け取ったのを確認して、その腕からするりと抜け出し、脱兎の如く走り出したアリスの襟首を、猫がヒョイと捕まえました。

「ぐっ…!?」
「まあまぁ、そんなに先を急がずとも。どうです? 我々と一緒に、食事の一つでも」

蛙のように床に突っ伏し咽るアリスを、まるで虫けらでも見る目で見下ろしながらも、優しく穏やかな声で猫は言いました。
「食……事?」

ようやく落ち着いたアリスは周囲を見回し、そして始めて、この部屋がキッチンなのだということに気づきました。
「……ドアを開けて直ぐに台所だなんて、随分と変わった家ですね。何か、特別な理由が有るんですか?」
(まぁ、私はこれも中々いいと思うけど。家に帰ってすぐにご飯が食べられるし……)

という本音を貧相な胸に隠して立ち上がり、興味深々といった面持ちでキョロキョロと周囲を見回すアリスの横で、猫は大げさなため息をつきました。

「さあ? 人嫌いの引きこもりの考えなんて、日々を全うに生きる僕には理解が及びませんから……」
「あらあら……。二人で仲良く、どなたのお話?」

頭を突き合わせて会話する猫とアリスの間に、公爵夫人が割り込みました。

「貴女のお話ですよ、お美しい絞殺……失礼、公爵夫人様」
「なら猫さん、私を仲間はずれにする理由はなぁに?」
「僕と、彼女の間に余計な水など入れたくなかった……ただそれだけの事ですよ、麗しき夫人さま」
「まぁ、……邪魔者は貴方じゃありませんの? 彼女は元々、私を訪ねてここまで来てくれたのよ。人のお客を取るなんて、マナー違反ではなくて?」
「……お忘れですか? 貴女がそれに気づけたのは、僕の能力の――」

穏やかな笑顔で静かな火花を散らしながら第二戦を開始した二人を無視し(アリスは自分の事となると本当に鈍いため、二人が彼女の事で争っているとは夢にも思いませんでした。)、
アリスは、キッチンの奥でさっきからずっと、ブツブツと何かを呟きながら大鍋をかき混ぜている料理人に近づきました。

「……もうすぐだ、もうすぐ俺の究極の――」
「えーと……こんにちは!」
「!!」

ばちゃん。

アリスに突然声を掛けられた料理人は驚いて、その手に持っていたお玉を、誤って鍋の中に落としてしまいました。
「おっ……お前らっ!? 私の料理中は静かにしろと何度……ん?」

怒り心頭で振り返った料理人は、背後から熱心に鍋を覗き込むアリスと目が合いました。

「コレ、凄くおいしそうですねぇ―……」

鍋から上る料理の匂いに恍惚としながら鍋を指差したアリスは、そう料理人に話しかけました。

(こんな良い匂いで…しかも貴族の料理だなんて、も―どんだけ美味しいんだろう!!)
そんな事を考えているうち、アリスの口内には大量の唾液が湧いて来ました。

「……食べてみるかい?」
「えっ!? いいんですか?」

まるでアリスの心を見透かしたような(実際、アリスの顔にはっきりと現れていただけなのですがね)タイミングでの申し出に、アリスは思わず聞き返します。

「私の料理の価値が分かる、君のような人間にこそ味見して欲しいのだよ。それに……」

料理人はにこやかにそう言った後、猫と夫人をチラリと盗み見ました。

「彼らに食わせるよりは、よっぽど意義が有るからね」
「確かに……」

アリスは小さく苦笑し、料理人から小皿を受け取りました。
「では、いただきまぁ――すっ!」

元気にそう叫んだアリスは直後――同じくらいに盛大な悲鳴を上げました。

「一体どうしたの、お嬢さ……!」

耳を劈くようなアリスの甲高い悲鳴に振り返った夫人は、思わず息を飲みました。
「こんなの料理じゃ無いよっ! まぁ、おいしかったけど……」
「ぶぶぶ……無礼な!たかだか人間の小娘が(以下略)知ったような口を!」
「小さい小さいって……元々いえば誰のせいよっ!」

そこにいたのは、怒り心頭でアリスを怒鳴りつける料理人と、三脚の椅子に立ち傍らの料理人と言い争う、 子猫程の大きさにまで縮んだアリスでした。

「まぁっ!」
「ほう……」

大きな瞳を涙で潤ませて、小さな椅子の上で必死につま先立ちになっているアリスがあまりに可愛らしさに喧嘩も忘れ、夫人と猫が思わず感嘆のため息を吐いたその時、

「俺の料理は至高にして究極だっ!」
「きゃぁっ!?」

という叫び声と共に、麺棒握り締めた料理人の手が、アリス向かって勢い良く振り下ろされました。

ゴシカァーン!!

咄嗟に腕で頭を庇ったアリスに、予想したような衝撃は襲って来ませんでした。
甲高い金属音の後に訪れた静寂の後、アリスがそうっと目を開けると――。

「!!」
「大丈夫……?」

そこには、アリスの立つ椅子を庇うように跪いた公爵夫人がいました。
「あ……ぁあっ…!」
「ん、なぁに?」
「貴女こそ大丈夫なんですか!? 怪我は!? どっか痛い所は無いっ?」

驚き取り乱すアリスをきょとんと見下ろした夫人はクスクスと笑い出しました。
「何でわざわざ、そんな事を聞くの?」
「だって……私を庇って――」
「全然平気。……だから、泣かないでお嬢さん」

今にも泣きそうな顔をしたアリスの頭を優しくなで、夫人は囁きました。

「それにね、私、怪我なんかしてないのよ」
「……?」
「私より先に飛び出した、彼がいたからね」

夫人がそっと身体をずらした後ろには、中身を全てぶちまけて床に転がった鍋と、その横に力なく倒れた料理人。そして――

「全く……レデ〜ィにいきなり殴りかかるとは無礼な奴だな……。おっと……ねぇ、アリス?」

パンパン、と黒手袋の手の平を打ち鳴らして。こちらを振り仰ぎ、尊大に笑う猫がいました。
(猫の口調は最初と比べ、かなり偉そうで馴れ馴れしい物になっていましたが、余りのことに動揺し切っていたアリスは、全く気づきませんでした)

「あっ、ありが――」
「ありがとう猫、おかげで『私の』アリスは無事よ」

猫にお礼を言おうとしたアリスの言葉を遮って、夫人は(『私の』をだいぶ強調して)そう、少し早口に言いました。
「……いえいえ礼には及びません。僕に助けを求めた、『僕の』アリスを助けたまでですから」

夫人の言葉を完全に無視し、にんまりと笑って礼をした猫を見つめ、夫人はすくと立ち上がりました。
「あらあら、チェシャ猫ともあろうお方が何をおっしゃるの? その真っ黒いお耳は飾りなのかしら……アリスは私に助けを求めていましたのよ。
子猫のように澄んだ瞳で縋り付くように私を見ていたのをご覧じゃなくて?」
「いいえ、あの瞳は僕を呼んでいたんですよ。まぁ、歌しか受け付けない耳をお持ちの貴女には、分からなかったでしょうが……」

どうやらこの二人、今度は殴られかけた時のアリスの視線について論議し始めたみたいです。華の様に微笑む二人の周囲にはまた、おどろおどろしいオーラが立ち込めています。

「じゃあ、私はこれでっ!!」

ややこしい会話の矛先が自分に直接向かないうちにと、アリスは椅子から飛び降りて、夫人の横をすり抜けると、 裏口から飛び出して、振り返らず必死に走り出しました。

夫人の家から大分離れたところで、アリスは足を止め、後ろを振り返ってみました。
どうやらだれも追っては来ないみたいです。アリスはホッ、と胸を撫で下ろしました。

歩きながら、呼吸を整えていたアリスは、ふと、彼らに会う前、屋敷の玄関で交わした小姓との会話を思い出しました。
『今、行かねぇほうがいいぞ』
『あいつはなぁっ!ただ婦人と趣味が合うだけで――』
(そういえばあの人、私を屋敷に入れたくないみたいだったよね……って、あれっ!?)
アリスは、思わず足を止めました。

「二人の趣味って……もしかして、私…?」

――無事に屋敷を出られて良かった。アリスは心底からそう思いました。





今回のキャスト一覧:
 アリス:桂木弥子 婦人:アヤ・エイジア チェシャ猫:ネウロ 料理番:至郎田 正影
 
実は結構序盤の方に書いたギャグ回でした。

 


date:2007.12.11



Text by 烏(karasu)