メユ、ブンゼ


例によって死にネタ。間接的に流血有り。


全部、夢

――7月7日、外は雨。
こう酷い土砂降りだと、空で誰かが泣いているんじゃないかなんて馬鹿な想像が、頭を過ぎる。

全てが白いこの部屋は今、空と同じほの暗い灰色に沈み、
糊の効いたシーツに力なく投げ出された華奢な四肢の、無機物のような白さを一層際立たせている。
暗く沈んだこの空間で、細い手首にきつく巻き付けられた包帯だけが
窓から射す僅かな光りを受けて本来の色を発していた。
「お前さ、全然躊躇わなかったんだって?」
目前の寝台に、ぐったりと身を投げ出す少女は彼の挑発的な言葉に反応せず、焦点の合わない瞳で空を睨む。
「処置した医者が驚いてたよ。普通初めて切る時ってのは躊躇って、いくつも浅い傷を付けるか、
血が出た所でビビって力抜くもんなんだとさ。
なのにお前、躊躇う事無く刃を当てて、貧血起こして気絶するまで、食い込ませた――って。
運ばれた時なんか傷口から少し骨見えてて、『あぁ、コレ駄目だ』って思ったとか思わないとか……」

言葉の最後にわざと含みを持たせ、笑いかける。
相手はそれに何の反応も示さず、光彩は尚も動かない。
こうして自失呆然となった今でも、持ち前の強情さだけは失わないその様に、彼は小さく苦笑を零した。
「おまけに昨日は、処置中に思いっきり暴れて、ついでに舌噛み切ろうとしたんだって?
あんまり無茶すると、今度は別の病院に入れられちゃうんじゃね?」
極めて軽い口調と共に柔らかな髪を撫でる。少女はそれに反応し、ピクンと体を震わせて。
ようやく焦点の定まった、泣きすぎて淀んだ――なのに、痛々しく鋭い光を湛えた――瞳をこちらに向けた。

職業柄見覚えが有る痛々しいその色に、
先程からじわじわと背に感じていた予感が半ば諦めを湛えた確信に変わった。
ソレはそっと首筋を撫で、彼に囁きかける。

「無駄な事はやめておけ。これはもう、手遅れなんだ」と。
――『やりたいからやる』人間そこまでは恐らく皆、同じだ。
だけど、その『やりたい』が実現しなかった時の反応はいくつかに分かれる。
それでもあがいて、やりきろうとする奴や、それを別のものに置き換えてごまかす奴。
そして――「それが手に入らない、出来ないのならば、ここに居る意味は無い」と決めてしまえる奴。

最初の奴と最後の奴には、誰が何を言っても大方通じないし、説得する気さえも起きない。
誰が何を言った所で、そいつらにとっては――多数意見や倫理的見解等以前に――
自分のルールが全てなんだから。
だけど今回だけは、そう達観する訳にもいかないし……したく、ないんだと思う。
「なぁ、どうしても、追い掛けるのか?」
頼りない動作で少女は頷き、同時に向けられた瞳からゆっくり、鋭さが抜け落ちる。
「……男なんて、アイツ以外にもいるだろ?例えば笹塚さんなんて
桂木にマジで惚れてるから、何でも言うこと聞くだろうし。
お前が泣いて縋って「警察辞めてくれ」なんて言ったら、あの人本当に辞めんじゃない?
だからさ、探偵なんか辞めて、幼妻とか、男を手玉に取る悪女になるってのも、案外悪く無い選択だと思うよ」
髪をとかす手はそのままで、小さな子供に言い聞かせるようにゆっくりと囁く。

少女もまるでお伽話を聞く子供を思わせる――今話されている事は全て、自分と直接関係の無い
遠い世界のお話だとでも言いたげな――表情を浮かべ、ゆるりと目を細める。
長い睫毛を震わして閉じた瞼の端から、一筋の雫が零れた。

「……そんなに、あの助手が好きだった?」

こくん。と、再び頷く。

「お前の事、好きだったかも解らないのに?」

こくん。

「……お前がいなくなったら、多分みんなが半端なく悲しむよ」

こくん。

――もう、分かっていた。何を言っても、この少女は子供のように頷くだけで、
いくら言葉を連ねても、ソレが彼女を縛り付ける、絶対の鎖になることはない。ということを。

彼女には既に、何重もの鎖が、きつく巻かれていて、
その端を握る人間は既に、この世界に存在しない。
人間の体躯は、鎖よりもはるかに脆かった、から。
「でもさぁ、もう方法無いだろぉ?……今のお前に、刃物なんか与える馬鹿はそう居ないし、
薬も、簡単には手に入らない。あとは…シーツや服でも裂いて、首括るしかないね。
言っとくけどさ、首吊りはかなり苦しいよ。死体の損傷もかなり酷いし……つっても、今のお前はやるんだろうね」

再び苦笑を零す彼に向かい、『それがどうかしたの?』と、
傷付き回らない舌の代わりに、じっと見据える眼が言う。
「……だからさ、せめて楽に叶えてやろうか?その願い」
――皆が皆、やりたい事をやっていて、桂木は今、「逢いたい」から奴に逢いに行こうとしている。
その為に命を投げ出し、足掻いて足掻いて……。
自分以外の事にはとても鋭いこいつはきっと、既に把握している。
その強い願いが傷つけるであろう人の数と、その深さを。


「だってお前、今度は泣き付くだろ?自分の願いを無下に出来ないような奴を選んで、『殺してくれ』って」

――そして逆を言うんなら、それを知って、尚も願うこいつは、既に覚悟を決めている。
『それが叶うならば、他には何も要らないし、何を犠牲にしたっていい』と。

なら、今の俺に出来ることなんて、その願いの犠牲を最低限に抑える事、だけだろ。


合理的な事を良しとする、今の彼には、それが現在に於いての最良の選択に思えた。
そんな社会的な建前と、彼女が自分以外の誰かに泣き付き、縋る所を見たく無い。
そんな利己的な動機が行動を決定した。
――懐から取出したソレを、何で持っているのかが、解らない。
「歳が近いから」なんて曖昧な理由で、上司に説得を頼まれた自分が本来持っててはいけないソレ。
瞠目した少女の、その次の変化――幸せそうに笑うとか、申し訳無さそうに泣くとか――を見たくなくて。
手の中のソレに視線を落とす。

滑らかな白い額に、口付けのように、金属の質感を押し付ける。少女は、眠りに落ちる直前の子供のようにゆっくり瞳を閉じた。
『ごめんなさい』
嗚咽を堪える為の荒い呼吸に沿って、ジンジンと高く鳴っていた耳鳴りが静まり始め
ようやく戻った強い雨の音に、そんな音が混じったように聞こえたのは、気のせいだったろうか?

「アハハ…鵲かよ、俺……」


BGM:「どしゃぶり夜空」(Cocco)

(キャラも倫理も全て)壊れていてごめんなさい。
7月8日にblogに上げ、数日で消された、(一応)七夕企画です。
これは元々夢ヲチの話で、これは「夢」の部分に当ります。
書き直し続け、気づいたら、前後編ぽくなっていました……
これだけではただの「壊れた話」なので、
できれば後編「現実編」(またの名を蛇足に肉球付ける位に無駄なフォロー編)も、読んであげて下さい。


date:2006.07.08
一部手直し:2006.08.17



Text by 烏(karasu)