夢の終わり


*「注意」作品内、「メユ、ブンゼ」の続き(現実編)です。
出来れば先に、そちらをご覧下さい。

夢は残酷


――7月7日、久々の非番。
昨晩閉め忘れたカーテンから簡素な部屋に容赦無く射す夏の日差しに、心の底から安堵した。


光を受け、ゆらゆらと弛む視界に違和感を覚えて強く眼を閉じる。こめかみを、生暖かい液体が伝って行く。

――嫌な、夢を見た。

大好きな少女が、目前で壊れる夢だった。
ひび割れてしまった心は弱りきった華奢な身体を砕こうとしていた。
俺は、全ては彼女の為なんだと偽って、その役目を引き受けてやった。
『手に入らないなら自分の手で壊してしまえ』
そう囁く声が聞こえた……から?

夢と現実の境で未だ混濁する思考を追い払うように、掌で乱暴に眼を拭う。
腫れぼったい瞼に手の甲を重ね、赤く染まる視界。
「参ったな……」
弱弱しく、呟く。
寝起きという理由だけでなく上擦った自身の声に匪口は小さく苦笑した。


*

帰宅途中、ふと途端視界に入った前を行く人影。
スーツを纏った細身で長身の男。と、
その軽やかな歩調に合わせて濃紺の背で揺れ動く、だらりと垂れた真白く細い両腕。淡い蜂蜜色の短髪。
――現在、時刻は深夜にほど近い。
いる訳の無い時間、いる筈無い場所で見かけた――出来れば今日だけは会いたく無かった――その影に
その場でしばし言葉を失う。
まさかな……と。
脳に浮かんだ可能性と人間を否定しかけた直後、耳慣れた声が続いて二つ。
「あれっ、匪口さん?こんにばんはぁ――っ」
「あぁ…、偶然ですね。匪口刑事……」

振り返り、にこやかに笑うのは優雅な物腰と端正な顔立ちの――そのせいか
いつも胡散臭い雰囲気を纏った――男と、
その肩に幼い子供のように担がれたまま身を乗り出し、こちらに向かい無邪気に手を振る、浴衣姿の少女。
蝶の羽ばたきを思わせる動きで桃色の袖が闇夜にゆらゆらと揺れる。
担がれていた肩から降ろされ、その腕に改めて抱え直された少女は自分に向けられた
無神経なまでに懐疑的な視線に、特に辟易するでも無く。
「匪口さん、この辺に住んでいるんですか?」
そのまま、いつもと変わらない調子で話しかけて来る。
まるで、これが普通なのだとでもいうように。
「まぁ、一応」
それならばと、匪口も極力いつも通りの態度で言葉を返した。
「へぇ―っ、あっ、じゃぁ、今度遊びに行ってもいいですか?」
「ん―、桂木一人ならいつでもいいよ」
「本当に?やったっ!」
「まぁ、それはそれとして――お前らは何でこんなとこに居んの?」
「え?……えへへっ」

少女は押し黙り、頭に手をやり困ったように笑う。
「さっきまで、依頼を受けて、事件現場に居たんですよ」

彼女の困惑を見て取ってか、先程から匪口達のやり取りを見下ろし静観していた男が唐突に口を開いた。
「連絡を受けてから、友人と遊びに出ていた先生を拘そ――捜すまでに手間取って、結局こんな時間になってしまいまして……」
「そうなんですよっ!早くしろって無理矢理引っ張って走――ぅぐっ!?」
「―り出した揚句に、一人で派手に転んで足を挫いたんですよ。全く……着慣れない浴衣で無茶をするからですよ、先生っ」

男は片手で少女の口を塞ぎ、窘めるように言いながら顔を覗き込む。
少女は愛らしい顔を歪めて男をキッと睨み付けた。かと思えば、急に顔を歪めてボロボロと涙を零す。
「あぁ、足が痛むんですか?じゃ、早く帰りましょう。匪口刑事、特に用事が無いなら僕らはこれで」
「え?あ、匪口さん、ごめんなさい!また今度っ!」

焦りながらそう言う声に、悲壮な響きは微塵も無い。
しかし、声に呼び起こされた夢の最後――雨の音と火薬の臭い――は胸を締め付け。
「……それ、絶対に落とすなよ」

遠ざかる男の背に向かい、そう無意識に呟かせていた。
「……えぇ、貴方に言われなくとも、そのつもりです」

微かに空気を振るわせた音は男にだけ聞こえたらしい。 足を止め、事態が飲み込めずにきよとんと二人を見比べる少女を冷たく一瞥し、簡潔にそう返した。
その瞳の色も、光りの加減か、些か酷薄に見えた笑みも先程までのやり取りとくらべ
遥かに自然な表情に思えた。

――手放して、壊したのなら……承知しないから。

不意に去来した悔しさとやるさなさから心中で吐いたその言葉には、流石に男も振り返らなかった。
やがて、男の纏う濃紺も、その背に垂れる艶やかな淡桃色も、色素の薄い髪も。
儚い夢の残照のように、路地の先へ広がる漆黒へと飲まれていった。


後半「現実編」(別名:蛇足に肉球(ryです。
blogに上げた時のオチを、書き直すうちに詰まり「よし!最初から書き直そう!」と血迷った結果産まれました。
この話のコンセプトはとりあえず、
「現役女子高生の生浴衣&荷物扱い米担ぎ運搬萌え」だったりします。


date:2006.08.20



Text by 烏(karasu)