ひゅるる、と
鳥の飛翔のように高く延びて行くテノールの「音」が小さく響く。
その聞き慣れた「音」に、弥子は視線を膝に乗せていた雑誌から、気付かれぬようそっと顔を上げる。
正面の窓から見える冬空はとても青く澄んでいる。
こうして暖房の効いた温かな室内から眺めていると、残酷に冷たい外の空気の温度を忘れてしまいそうになる位に。
その手前に置かれた机。一人がけの椅子に身を預けた「音」の主――魔人は、相変わらずソファの弥子に背を向けたままでいる。
ひゅるる、また高く上がる「音」。
……いや、多分これは「歌」なのだろう。
耳慣れない音と聞き慣れない言葉の連なりだから、上手く耳に馴染まないだけで。
風を受け舞い上がるかのように、高く、高くなって行く音。
ゆったりと機嫌良く、楽しそうな響きの声。澄んだ空に飲み込まれて行く。
わざわざ顔を見なくても分かる。ネウロが今、珍しく上機嫌だということが。
こうして歌うことが楽しいのか、楽しいからこうやって歌うのか。
それはまだ――分からないのだけれど。
ソファに浅く座り背を預けて瞑目すると、真っ暗な世界に歌声だけが満ちる。
一気に上昇し、広がって消えては、また高く。
羽根を大きく広げ、空を舞うように、自由な音程で刻まれていく歌は、何故だか毎回曲調が違う。
そしてどうやら歌詞も微妙に変えているらしく、とにかく全てに一貫性が無い。
魔界の歌だからなのか、はたまたネウロが勝手なアドリブをきかせているだけなのか。
本人に直接聞いた訳では無いから本当の所は分からない。それでも。
きっとこの歌には、魔人のその時々の感情が込められているのではないだろうか、と思う。
もしもそれを本人に伝える機会が出来て、それで、いつもみたく反論されたなら。
「聞き手が歌に何を込めようと、それはその人の自由でしょ?」
そう、言ってやろう。そしたらあいつ、どんな顔するだろう?
想像に笑いが込上げるそうになるのをぐっと押さえ込む。
そんな些細な音で、今の幸せな歌を止めたくはなかったから。
温かな空気と穏やかな歌に誘発されて、眠気が込み上げる。
ひゅるる、音が舞う。
先程までとは違い単調なリズムで響く。
聞き取れない詞は相変わらずだが、それでも、
ずっと、同じ所を歌っているのだと分かった。
何度も、何度も。
覚え込ませるように。
誘うように。
「一緒に来ないか?」
そんな声が聞こえた錯覚まで、起こさせる程に。
(ごめん、私、多分…そんな高く自由に、飛べない……)
まどろみ出した意識の中、歌に少しだけ切ない響きが混ざったように聞こえた。
また、錯覚なのだろうけど。