いちにちめ


5000〜6000hit時に行ったアンケート一位「美女と野獣パロ」(1/6)です。
*思い切りパラレルです。苦手な方はバックプリーズ

さようならを言う間も無く、少女は旅立ったのでした。


雪の降った朝、その娘は寒さに凍えながら玄関に立っていた。
低い身長に幼い顔立ち。両手は服の裾をぎゅっと掴んでいた。声は震え、怯えている様子である。
なのに我輩と合わせた視線だけは澄み切った湖面のように鋭く、大きな瞳はキッと眇められていた。
まぁ、元々の幼い容貌に消されてほぼ無意味な様子であったが。
「お兄ちゃんの代わりにきました……や、ヤコです」

――言葉に思い出したのはいつかの旅人。妹への土産にと、庭園の薔薇を盗もうとしていた。
そのまま見逃すのも癪で、戯れに出した交換条件。
『命が惜しくば、貴様の身代わりにその妹とやらをここへ寄越せ』
勿論、その場限りの冗談だった。我が輩にそういった類の趣味は無い。
――しかし、事実として娘はここにいる。

矢張り人間とは愚かで面白い。と、思わず湧いた笑いを喉元で堪える。
「まさか本当に寄越すとはな……」
「?何か言いました?」
小さく呟いた言葉を聞き咎め、娘は首を傾げる。
その首筋は細く、簡単に折れてしまいそうだ。と、ふと思った。
「いいえ、何でも有りません。では参りましょうか」
視線で促し背を向ける。
「え……っ、あの――」
「屋敷を案内します。付いて来て下さいね」
言葉を遮り反論を封じ、再び歩き出す。
一瞬の後、背後にコツコツと重さの感じられない足音がついて来た。どうやら中々に素直な性質らしい。
「そうだ名前!まだ聞いてませんでした」
「僕はネウロ…脳噛ネウロです」
「ネウ、ロ…さん?」
「ネウロで結構です」
作った表情でにっこりと笑ってやると、娘はぎこちなく笑い返した。

そうしてここでのルールや、各場所の説明などを交えながら屋敷内を一通り歩いた。
その間、背後に有る娘の気配は一々何かに気を取られ、そしてその度立ち止まる。
元々の歩幅も小さく愚鈍な為、煩わしいことこの上ない。

 我慢し付き合ってやっているうち、廊下の途中でふと背後の気配が消えた。
それを訝しんで立ち止まり、ちらりと肩ごしに見遣れば、
娘は数メートル後ろで立ち止まり、挙動不審に周囲を見回していた。
瞳を輝かせ、頬を紅潮させた正に興味津々という様。
恐らく数刻前から、我が輩の説明など聞いていなかっただろう。
その表情には既に、先程我が輩に見せたような怯えは無い。
――欝陶しい。
「………ヤコ」
「ぁ、ふぁいっ!」
「――さんでいいんですよね?貴女のお名前は」
「……!」

背後で息を飲む気配。気付かれぬよう視線だけで見遣った娘は黙って俯いていた。
蜂蜜色の髪の下、形良い耳の先と頬が、羞恥の為か僅かに紅潮している。
その様に思わずくつくつと喉を鳴らす。と、娘は弾かれたように顔を上げた。
「ごめんなさい、間違えましたか?」
「……ハイっ、そうです。ヤコです!!」

照れ隠しなのか、些か粗い語調。
今度はちゃんと振り返り、「早く来い」と手で合図すれば、ヤコは小動物のようにちまちま小走りに寄って来た。
そして何故だか当たり前のように、我が輩の隣に並ぶ。
こうして至近距離で改めて観察すると、本当に小さい。簡単に壊れてしまいそうな程。
見上げる視線には再び緊張が走ったのが何故だか腹立たしく、力を加減し、軽く額を小突いてやった。
「わ……っ!」
「……ちゃんと、僕の話を聞いいましたか?」

顔を覗き込み、宥めるように笑いかける。ヤコは額を押さえしばし呆然と我が輩を凝視していたが、
やがと視線を足元に逸らし、嫌々と口を開いた。
「……ここには、あなた――」
「ネウロ」
「……ネウロしか住んでなくて、私はここの中でだったら好きにしてていい……でしたっけ?」
「まぁ、そんなところです」
 我が輩がわざわざコレにも分かるように説明してやった仔細は、これでもかという程に省かれていた。
しかし、どうやらそれは元々の頭の造りが原因のようなので、まぁ許してやることにした。
ふむ、流石が我が輩。中々に心が広い。
「これから宜しくお願いしますね、ヤコさん」
少し屈んで視線を合わせ、右手を差し出す。ヤコはしばし逡巡した後にそっと自身の右手を差し出した。
掴んだ手は温かく、たよりなく小さかった。


 夕食時、ヤコは異常な食欲を発揮した。
聞くと元々の旺盛な食欲に加え、ここに来るまでの道中で余計に腹が減ったのだなどと、ぽつぽつと語り出す。

 自ら兄の身代わりを買って出た所全員に猛反対され、深夜に家族の目を盗み、
家出同然で飛び出して来た為、金銭の類を殆ど持っていなかった事なども。 
その拙い話の中に、我が輩の興味をそそる事柄は大して含まれていなかった。
なので適当な相槌を打ち聞き流していたが、
「だからそんなに必死に物を喰うのか?」
ふと、そう聞いてみた。

 するとヤコは一旦食事の手を止め、ちらりと伺うように我が輩を見遣った。
「それもあるけど……どうせ食べられちゃうなら、後悔が無い位食べておこうかな、と思って」

 不意を突かれ、思わず瞠目した我輩から、ぷいと顔を背ける。
脳天気な表情にしれっとした口調。しかし、テーブルに置かれた両手は震えていた。

 静かに席を立ち、傍らに立つ。
顎を掴み、くいと正面を向かせる。泣いているのかと思ったが、そうでは無いらしい。
しかし瞳には、この蝋燭だけの薄暗い部屋でも分かる程、明らかな怯え。
――また、苛々と感情が蓄積する。
「……大丈夫、僕に人を食べる趣味は有りませんよ」
耳元に注いだ言葉に、ひくん、と小さな背が痙攣した。華奢な肩が震える様が面白い。
「でも、おにい……兄を、『喰う』って脅したし、噂でも……」
「嫌だななぁ、――何の根拠も無いただの噂ですよ」
「……噂?」
「ハイ、僕も辟易しているんです…。誰が言い出したのかは解らないんですがね――」
言葉の途中でわざと、聞こえる程大きく溜息を吐く。
「……僕のように、人並みの学の無い人間には到底理解出来ないセンスで――」
「……嘘」
 赤い唇が紡いだ言葉に、身体を離しヤコを見遣る。そこに先程までの怯えは無い。
「あなたは頭がいいし、それを自分で解ってる」
我が輩を射る、どこまでも透明な視線。
「だから、私も含めて、自分以外全部の人間を見下して嘲笑している。……違うの?」

 自信の有るような口調と裏腹に、こちらを伺うような警戒の視線。
それを真正面から受けてようやく、昼間から不意に去来する不愉快の理由が分かった。
――そうだ、このヤコという娘は我が輩に全く媚びないのだ。

 わざわざ人間が好みそうな作り物の容貌で、柔和さを全面に出し微笑んでみせても、
多少警戒を緩めるだけで、決して懐きはしない。
まるでその下にある我が輩の本性を最初から、完璧に見抜いていたかのように。
そして、そんな鋭い癖に、素直で直球で駆け引きをまるで知らぬ。野性の動物や幼い子どものように、
純な性質の。
「クククッ……」

 思わず込み上げた笑いを訝しみ、ヤコが眉を潜める。
完全にではなくとも、見抜かれているなら仕方ないだろう。笑いをおさめ、見下ろす。
「――成る程、貴様に気を使う必要は毛頭無かったという訳か……」
「え?あの、ネウロ…さん、口調が……」

 状況が飲み込めていないらしく、困惑をあらわにして見上げて来る様が面白い。
全く……鋭いのか鈍いのか解らん奴だ。
「ネウロでいいと再三言った筈だ。全く――そこまで物覚えが悪くてよく臆面も無く生きていられるな。
我が輩だったら情けなくて死んでしまう」
 開いた口からは自分でも驚く程すらすらと言葉が漏れた。
自身としては当たり前に演技をしていたつもりだったが、どうやら精神には中々無理を強いていたらしい。

我が輩の変化について行けず、唖然と聞いていたヤコは、ハッとしたように目を見開いた。
「い……いやいやっ!何で会って半日のあんたにそこまで言われなきゃ――」
「黙れ」

 我が輩がこうして、生まれ持った嗜虐性を制御し切れ無いの同様に、
どうやらこの娘も自身の本質的な素直さに操られる性質らしい。
ヤコは、まだ謂い足りないという表情で、不満気に眉を寄せていたが、瞬時に口を閉じた。
「ヤコ、我が輩は貴様が気に入ったぞ」
「……私はさ、食べられると思ってた時より、あんたが怖くなった……」

 溜息と共に肩を竦め、この期に及んで減らす口を叩く。
その頭を掴み、ぐいと目を覗き込んだ。
ついでに先程からの擬態を解き、顔を本来の――化け物と恐れられている、生れついての方に戻した。
「まぁ、せいぜい宜しく頼むぞ」
「ぅ、ぁ……」

 ヤコは痛みに眉をしかめていたのから一変した。大きな瞳で瞠目し、驚愕に声を失う。
そのままぐいと垂直に引き上げれば、軽い身体は何の抵抗も無く持ち上がる。
キリキリと、掴む指に力を込めた。
「ほら、返事はどうした?」
「いっ!痛いいたいいたいっ!!!分かりましたっ!?よろしくおねがいしますっ……!」
「よし」

 掴んでいた手を放してやれば、ヤコはどさりと椅子へと落ちた。
「もうっ……何なのよっ!」

 両手で頭を抱え、先程まで抱いていたらしい恐怖などもはや忘れたらしく、上目使いで睨み上げてくる。
その様が、何故だかとても愉快だった。


date:2006.12.18



Text by 烏(karasu)