宵星、こぼし。


08年七夕パロ。
アニメ「モノノ怪」より、薬売り×加世

肌の上 宵星写した 滴が零れ


薬売りの現在居る場所と加世の住む街は、大きく深い、橋さえも掛けられない急流を境に分かれていた。
 川向こうで薬を売るのを生業に退魔の旅を続ける男と、反物屋に奉公している娘と。

対岸を見つめても姿は見えず、声さえ届かない距離に有る二人が出会えるのは一年に一度。川の水量が大人の膝位にまで下がる7月7日の夜、薬売りが急流を渡り、加世の住む宮へと訪れる時だけだった。

その日、一日の行商を終え、自身の宮で目前の急流を渡る為の最低限の荷物をまとめていた薬売りの元へ、一通の文が届いた。「薬売りさんへ」と、伸びやかな、それでいて読み手の事を気遣って並べられた宛名の書かれた、その送り手は加世。

薬箱から広げた荷物の中心で、手にした包みを一旦手近な場所に下ろし、薬売りは受け取った。渡した相手の背中を見送った後、その白い指先がもどかしく開いた中身は宛名と同じく、書き手の性格をそのまま表したような文字で、その心遣いが綴られていた。

――元気にしていますか、ちゃんと毎食を食べていますか、きちんと自分で、薬箱から広げた物の片付けが出来ていますか。

それらの文面にふと顔を上げ、早急に荷物をまとめようとした為、足の踏み場なくひっくり返した薬箱の中身と、殆ど煤けていない竃に思わず苦笑し、再び手元の文へと視線を落とした。
『私は、薬売りさんに、会えるのが楽しみです』
「えぇ、俺も……ですよ。加世、さん」

他の文字よりも些か小さく綴られていた一文に、微笑と呟きを零し、更に読み進めた一文に――薬売りは縹色の眼を大きく見開き、次には表情を険しく引き締めた。

次には、一気に立ち上がり、周囲の物が倒れるのも気にせず、手の中の文をも放り捨て、大きな目玉の袖を翻して土間まで一気に駆け抜け、高下駄を突っかけて外へ飛び出した。

開け放された戸から無人の部屋に入った風にかさりと小さく鳴る、板の間に残された文の最後には、他より更に更に小さな字で『だから、今年は私から会いに行きますからねっ』

*

全く無茶をするものだと、林の中、高下駄を鳴らし、川への道を走る薬売りは思う。
 いくら今は浅くなるとはいえ、急流は急流なのだ。男の薬売りはともかく、女の、しかも加世のような年頃の娘に、果たして一度も転ばずに渡れるものだろうか。
 それに上流の方に当たるこちらでは、加世のいる湾曲した川の内側、河原に近い場所と比べ、川面に沈む石も幾分か鋭い。転んで水浸しになるばかりか怪我だってするかも知れない。

それだけならまだ良いが。もしも、特に鋭い欠片を素足で踏み抜いて急流の真ん中で立ち往生する事にでもなっていたら――。

ぐにゃり、と、柔らかな地面に下駄の歯が減り込んだ事で、薬売りは、自分がようやく川の目前まで来た事を知った。一旦歩調緩め、僅かに顔を上げると、件の急流はもうすぐ近くまで見えていた。
 林が途切れ、真っ白な河原の広がる向こう、藍色の中に広がるきらきらとした光を称える水平線、その真ん中に小さく見えた人影に、足場の悪い小石の上を高下駄を鳴らして一気に駆け出す。

「加世さんっ!」
「あ―っ! 薬売りさぁん!!」

駆けながらも思わず叫んだこちらの気も知らず、片手を水鳥の嘴のように口元に当てて嬉しそうな声を出し、もう一方の手を暢気に振り返して来た娘の身体が僅かに傾いだのに舌打ちし、残りの距離を一気に詰める。
 薬売りの漸く辿り着いた川岸に、同じく辿り着いた加世は、背中に負った風呂敷を背負い直し、薬売りに向かい満面の笑みを向ける。

「えへへ、来ちゃいましたぁ」
「来ちゃったじゃあ、ありません、よ……」

膝の上まで捲くり上げられた裾と、水面から白い河原の上に引き上げられた、むっちりとした褐色の脚を伝う雫に気付き、薬売りが頭から頭巾を解き、足元に屈むと、加世は困ったように眉を寄せた。

「そんなッ! いいですよぅ、後で手ぬぐいでも雑巾でも使って拭けば――」
「……よか、ありません、よ」

その足を持ち上げ、風邪でもひいたらどうするんですか、と問い掛ければ、私っそんなにやわじゃありませんと、ぽってりとした唇を尖らせて頬を膨らます。やれやれ、と緩く首を振り、拭ったそのみずみずしい肌の褐色の脚に、小さな引っかき傷がいくつも有るのに、薬売りは内心で舌打ちした。

傷薬の控えは有っただろうか。例え、先ほどのように「売り物だから」と断られても絶対に使ってやろう等と考えながら濡れていた両の脚を拭き終え、襦袢と着物の裾を整えてやる。

「終わりました、よ」
「あ−! ありがとうございますっ、頭巾、後で絶対洗濯しますから! そうだ、時間が有ったら新しいのも縫い上げますからねっ」
「はい、はい」

そんな事をさせてせっかくの短い逢瀬の時間を削ってたまるか、と考えながら立ち上がり、背中を向ける。

「それではそろそろ、行き、ましょう、か?」
「はいっ! あ……」

途端沈んだ声を訝しんで振り返れば、加世は困ったように足元を見下ろし、上目使いに薬売りを見上げ、八の字に眉を潜めて、今更、照れたように色の濃い頬を染める。

「どうしたん……ですか?」
「いえ、あのぉ……」

問えば視線を泳がせながら足元の小石を爪先で小さくつつき、更に濃く頬を染める。 「……草履をぉ」
「を……?」
「あっちに……忘れて来ちゃったん、です……」

消え入りそうな声で呟き、背後の川面を指差す。そうして暫く空いた間の後、やれ、やれ、と吐かれた薬売りの溜息が響く。と、急に身体が浮く感覚に加世は大きな黒い瞳を更に大きく見開いた。

「っ。こうすりゃ、何も問題……ない、でしょう?」

存外近くで響く低い声は自分の背中辺りから、加世の視界に写るのは、奇妙な目玉の模様の着物の裾と、白い小石と、高下駄の踵。そして、だらりと下がった自分の両腕。

ええとぉ――これって、これって……!?

「くっ、薬売りさあんっ!」
「なん、ですか?」
「下ろして、下ろして下さい!! 自分で歩きますからぁ―」

肩に担いだ娘がじたばたと暴れるのを、どう、どう。と、気性の荒い牛にでもやるように豊満な尻を叩けば、むぅっと頬を膨らませたのが気配でわかった。

「このまま、歩かせたら加世さん、怪我する……でしょう?」
「うぅっ……それはそうですけどぉ……」
「それにね、これは罰なん、ですよ」 「うぅー。……私、そんなに悪い事しましたか?」
 ここまでされる覚えはないんですけどぅ、と呟きながら、薬売りの肩に華奢な両手をかけ、心なし身を起こした娘に、薬売りは本日何度目かわからかない溜息を吐く。分からないなら教えてやる、と。

「……一つは、俺に、心配をかけさせたこと」

そしてもう一つが――と漏らしながら、先程拭った加世の脚に刻まれていた傷を思い出し、薬売りは小さく眉間に皺を寄せる。

「自分を粗末に扱った、事。です」

その言葉に加世がハッと息を飲んだのが、肩に押しつけられた感触から分かった。

「……ごめん、なさい」

そして、しばしの沈黙の後に漏れた一言に、薬売りは子どもをあやすようにその細い背中を叩く。
「分かりゃあ別に、いいん、ですよ」
「もぉっ! そぉやってまた子ども扱いするぅー」
「ほぉう、加世さんは子どもじゃあ、ないと?」
「ですよぉーう!」

向かい合うように抱き直し、額を合わせてお互いクスクスと笑う。

「では、今度こそ……行きますか」
「はいっ! あ、ご飯は何がいいですかぁ?」

そうして、歩き出した二人の背では、川に星明かりを落とし宵星が一つ輝いた。


スレンダーな女の子とSデレの兄貴じゃ表せない萌えを全て詰めてみた感じ(着物とか、冗談とセクハラめいた家畜扱いとか)。
色々なサイト様の影響で、薬売りさん=好きな子にヘタレのイメージになってしまったけど、多分後悔していない。


date:2008.08.07



Text by 烏(karasu)