デパさんとゆずこが揉める話。


昨年八月の例のアレその2。ぴくしぶから輸入。
※ゆずちゃんが大人になってます。

大人にならなきゃ。

 
 十六にもなると伸びた身長に比例して色々分かってしまうものだ。ドレスが三回程デザインとサイズを変える間の六年、ゆずこの側に居た男という名前のケダモノが教えたことがいかに下らなかったかとか。
 他には、この男がデパートで仕入れる知識と物だけを先生にしてきたせいで、ゆずこと同じく学校に通っていない同い年の子どもの中で浮いてしまっていること。にも関わらず、自分がまだ全くものを知らないこと。そしてそれを相手に逆手に取られてるということ。その無力感。

 今ゆずこがそういうものを一気に感じているのは、男の庇護のおかげで今では自分の庭のように馴染んだ怪物のような商品の跋扈するデパートの中で男に貸して貰った本を元に、少しずつ器など揃えてそれっぽく作った「喫茶店」に初めてのお客として招待した男に、とかく凄く勇気の要った招待を、「なんだ、随分手の込んだゴッコ遊びだな」と、子どものごっこ遊びだと言われたことだった。

 いや、初めて会った時にはもうそんな幼い遊びをするような年じゃなかったんだから余計酷い。もう大人に近い自分が一生懸命考えたことがそう見える。
ということは、自分はまだまだ子どもなのだ。もう時間も無いのに。そりゃ、外に椅子を並べ、大きさもバラバラの安く買った茶器に合成の紅茶を並べただけで「お店だよ」と言われてもゆずこだって遊びだと思う。
 理性では分かっているのに、熱くなった目頭を乱暴に拭う。

「や、ごめんな、悪気は無かったんだよ」 

 知っているけど、今は肩に置かれた手も、頬の辺りをくすぐる毛皮もうざったい。
 この男には分からないのだ、ゆずこの焦りなんて。
 薬も病院もなくて、六十まで生きられないなんて生まれた時から言われてるゆずこの世代の気持ちなんて。

「でもなお前、これで金は取れないと思うぞ」
「知ってるよ。やってみたかっただけ……」

 言わなくちゃいけない。考えていた通り。
 自分で見つけて、やってみた仕事が、上手く行かなかったからには。
 ちょっと前ま で、ドレスが二回目の変化を迎えるまでは言えただろう事を、からかうついでに頬に落とされる唇とか、胸の辺りで彷徨う指とかそういうのを信じて、自分の本心を言うには、年を取り過ぎた。

「何するつもりなのケダモノ!」という言葉を飲み込んで、されるがままになってみて何年になるっけ。恋をしてるなら、そういう事を言うべきじゃないと思ったからだ。
 だけれど、ずっと恋なんてゴッコ遊びばかりはしてもいられないのだ。ゆずこは大人にならなくちゃいけない。
 前なら言えた言葉を留めて、俯いて、幼い子どもを宥めるように抱きかかえようとした男を突き放す。

「ソッチは」

 私をどうするつもりなの。もしも、私に恋をさせたとしたらその後。
 その言葉を横に置いた紅茶で一気に飲み下して、笑顔を作ってみた。

「ソッチは仕事があるでしょ? でも私には無い。もう十六だもん仕事をしないなら、パパを安心させなくちゃ――結婚、とかして」

 最後の一言を言うと共に、男に顔を見れずゆずこは俯いた。

「ほらほらっ! ソッチにお金も返さないといけないし……私はそっちみたく遊んでらんないの!」

 俯いたまま声を張り上げ、突き飛ばした腕をぐんと伸ばし て距離を取る。どんな顔をしてただろう。夢を見て、花嫁さんごっこをしている子どもを見るような目だろうか。きっとそうだ。
 なら、男の中でだけでも、ずっと子どものままでいたいと思った。
 これからどんどん変わっていくゆずこなど見ないであのデパートに居てほしい。

「だからさ、遊びは今日でおしま い! だから最後に、お客だと思って付き合ってよ、私のごっこ遊び」

  ――ずっと小さな頃、「二人で恋をしてみないか」とこの男が言った事があった。
 その時はこの商人も、ゆずこも恋なんて知らなくて、デパートに残っていた漫画や小説の中にだけある出来事だった。
 男も、その中の恋がキラキラしてたから欲しくなったから、金が払えないなら恋を寄越せと迫った。題材にした本の冊数が余りに多いせいで、何処にでも一杯あると思ってたソレが特別な物だと知ったのも、そのごっこ遊びの中でだ。
 でも、男もゆずこも、隙間なく抱きついても物語のように心臓は壊れなかったし、腕の中に大事な宝物みたく抱えられても、ちょっとくすぐったいだけだった。
 そして、フリーサイズのドレスが今の大きさになる頃、男が昔のようにベタベタ触って来たり、歩幅の合わないゆずこを抱えて歩くのを止めた。きっとごっこ遊びに飽きたのだ。
 恋する男女が結婚すると、本を読まなくても知っていた。だけど二人の間に恋は芽生えなかった。
 だからせめて、結婚しないで働いてお金を返したかった。
 だけど、それも無理なら、一緒に居るにはちゃんと良い「お客様」にならないといけない。
 60年しかない人生の1/4が過ぎた、16歳はもう立派な大人なのだから。

 「アンタが責任取らないから働くの! 恋してるなら結婚しよう」なんて無邪気に言える子どもではないのだ。

(恋、させてあげたかったな……)

 そして、誰かのお嫁さんになる前に一回、恋がしたかった。
 結婚の前にそういう事が出来るなんて教えて欲しくなかった。
 そんな事を考えたら目頭がまた熱くなった。項垂れながら、お茶を入れ直す為に身を翻そうとした時、背中を強く押されて。
視界一杯に見慣れた毛皮が広がった。背中と頭に手が回ってる無遠慮に力一杯。倒れ込んだ状態で咄嗟に握りしめる長い毛足の感触を懐かしいと思うと共に、頭を預けるその位置が記憶より少し高い。頬を預けるようにして何とか見上げると頭があるのは男の喉の所で。
 いつも飄々と笑っている男が泣くのなんて六年の付き合いで初めて見た。いや、見せられていないが。どうすればいいだろうか、言葉を発するのも躊躇われる。

「ねぇ、何で泣くの」

 それでも聞いてみたが、「分かんない」という一言がぶっきらぼうに返ってきた。
  男に分からないならば、ゆずこに分かる筈がない。なら。
腕の中で毛皮に縋ってた腕を放して、頭を押さえる方の手を取ってみる。簡単にのいた。大人だし、どうやら余り泣かないタチの人間みたいだから、泣く事に全力なのだろう。
 ゆずこは最近、何でも不安でよく泣いていたから凄くよく分かる。泣き疲れた以外、どんな時に涙が止まるかも。
 掴んだ手を口元に持って来て、特殊な手袋ごしに指を絡める。昔からやっていたことだから何も言われない。改めてまじまじと見たそれは、ずっと前、攻撃と防御両方に使える凄く危ない物だと聞いた。なら好都合だ。
 覚悟を決めて、口元に持って来たその手の甲を、相手に見えるように向け――舌を出してぺろっと舐めた。押しつけられた頭のすぐ上の喉が息を呑んだ気配がして、さっきまでくっつけるように押しつけてたのが、べりっと音がするくらい思いっ切り引き剥がされた。

「危ないだろうが!」

 珍しく、商売用や悦楽の笑顔と、何かを求める時のケダモノの目以外の――凄く焦っている顔を見た。
 それは小さい時ゆずこが『欲しい』を上手コントロール出来ず、その気持ちだけで無鉄砲をやって怪我をした時にした顔だ。そしてそれは泣き顔じゃない。だから。

「涙、止まったね!」

 そう笑って言ったら、男はきょとんとした後に、はぁと大きな溜息をついてゆずこの目元に指先を掛けた。
「お客様、そういうのは涙の跡を付けたまま言う台詞じゃないと思いますが」

 今まで、泣いた後に頭を撫でられた事はあっても濡れた目尻を拭われたのは初めてだった。

「初めて、大人の扱いしてくれた!」

 それだけぱっと笑ったゆずこに、男はふいと目を逸らし、はぁと溜息を吐いた。

「俺はいつも……お客様を大事に扱ってましたが」
 
 思えば確かに、成長の度合いを見るとかやっぱりドレスが欲しくなったとかそういう理由でべたべたと触られる以外は、小説や漫画の主人公や、気が向いた時はお姫様か何かのような扱いだった気がする。

「でもそれ、ごっこ遊びだからでしょ」

 横を向いた顔を、頬に沿えた手で正面に向かされ、今度はうゆずこが頬を膨らませ、ぷいっと顔を背ける。

「お言葉ですがお客様」
「いったぁい!」

 が、すぐに阻まれ、頬に寄せられてた片手に捻るように正面を向かされてしまった。

「俺は一度欲しいって言ったら――ドキドキやムラムラを感じたら、そう簡単に諦めないんだよ」
「……私の古着」
「……さって」 

 最初に会った時同様、反論を完全に無視した男はゆずこから離れて椅子の一つに座り、手招きでゆずこを呼んだ。素直に従って、隣の椅子に掛けようとした所を久々に膝の上に乗せられて、ついでに腰を抱えたのと別の腕が胸元をつんとつつく。ぷるんと揺れる赤いドレス。
その流れるような一連の動作を、大人しく目で追って、説明を求めて見上げて首を傾げれば、またぷいと顔を逸らされた。項に掛かる溜息。

「ったく、もう少し警戒しろよ。ケダモノの膝の上だぞ」
「や、だってケダモノなのも今更だし、それに……」

 続きは口の中でごにょごにょと呟いた。
 美味しそうになってケダモノに食べられたら、それはそれでいいかなって、最近思ってる所だし。
 どうやら聞こえたらしく、今度は遠慮なく抱き寄せられた。ついでに胸を鷲掴みにした事は忘れない。

「こんなに無防備な子ども、花嫁として出荷した日には商人の名折れだな」

 首に触れた息がくすぐったくて、ゆずこが幼い頃のように唯一自由な脚でパタパタ暴れると、胸を掴んだ手が膝を撫でた。ぞくっと、変な感じがした。

「安心しなよお客様。俺が立派な商品に育てて買ってやるよ」
「た、高くつくよ!」 

 それでも、やっぱり好きとか愛とか恋とかも言われていない。
 でも、心臓がドクドク言って言うことをきかない。心が嬉しくてぱぁっと華やぐ。恋みたいに。恋みたいに。ドクドク心臓の音がする耳に歯が当たる「言っただろ、欲しいから欲しいんだよ!」 直後、一気に大人の階段を駆け上がり掛けて、すんでの所でストップを掛けた。


甘すぎてゲロりそう。
貧乏な世界に『子ども』というのは長く存在できないのです。


date:2011.xx.xx



Text by 烏(karasu)