「あのねちぇしゃ猫、ぜんぶの生き物はね、つがいでなくちゃいけないんだって」
「ツガイ?」
「オスとメス、一匹ずついる事だよ。今日ね、神父様が言ってたの」
「それが何でだかちぇしゃねこはわかる?」と、可愛いらしく首を傾げた小さなアリスに、
僕はほんの少しだけ考えて「わからない」とだけ答えた。
「えっとね、きっとね、『一人ぼっちは寂しい』って意味だとね、思うの」
一生懸命に胸を反らし、得意になって言うアリスに、僕はいつもの通り頷いた。
その日、幼いアリスはご機嫌で、今日行ったという、「キョウカイ」の話をしてくれた。
「教会はね、神父様がお話をしてくれる所なんだよ」
「キョウカイ?」
「そう、子供もいっぱい来るし、お菓子も貰えるんだよっ!」といった具合に。
僕がちゃんと聞いていてもいなくても、気にせずアリスのおしゃべりは続いた。
彼女の言う事には解らない単語や言い回しが多いけど、舌足らずに紡がれるその音と、
「話す事が楽しくてしょうがない」とでも言いたげに笑う、アリスの表情が好きだったから。
話の中身なんか分からなくても僕は全然構わなかった。
なのに……何の前触れも無く突然言葉が止まって、大好きな表情は曇ってしまった。
小さい手でぎゅっとエプロンの端を握り、唇を引き結んで、俯いてしまったアリス。
「アリス、どうしたんだい?」
僕は小さなアリスを抱き寄せて、顔を覗き込んだ。
「……おかぁさんはきっと、番いじゃなくなったから悲しいんだっ……」
「……?」
「神様の決めた事、私が壊したから……私が悪い子だからおかぁさんは――」
それだけ言って、ぼろぼろと泣き出す。
小さな掌はとても強く握ったせいで、血の気が引いていつもより真っ白で。
その姿が悲しくて苦しくて。
だけど僕は君にどうしてあげればいいのか解らなくて。君をもっと強く抱きしめて、頭をそっと撫でた。
――アリス。君はきっとその時に、強く念じてしまったんだね。
『生き物はみな二匹ずつ、番いでないといけないんだ』って。
どうにか泣き止んだけれど、苦しそうに顔を歪めて未だしゃくり上げるアリスを、
彼女を迎えに来たシロウサギが、僕なんかよりもずっと上手く宥めすかして。
「またね、ちぇしゃ猫っ……」
「僕らのアリス、君が望むなら」
腫れぼったい目をしたアリスは、ウサギに抱き上げられて帰路へつく。
沈む夕日で、真っ赤に染まった空と道。
その後ろ姿を見送りながら感じた、ジリジリと感じた胸の痛み。
「コレは一体何だろう?」と、首を傾げた時、ソイツは既にそこにいた。
オンナノコ、しかもどことなくアリスに似た姿の、二つ足で歩く猫。
皆がツガイ、になるようにと、アリスが念じて産まれた、もう一匹の猫。
――猫はね、首を跳ねても死ななかったけど、窒息死はするものだったよ。
首と身体を切り離した後、身体を捕まえるまでが一苦労だった。
なんとか捕まえた後も激しく抵抗したから、壊すのに凄く手間取った。
身体にも耳が有ったなら、もっと楽に済んだかな?
爪に付いた血は夕日と同じ位に赤くて、とてもとても甘かった。
僕はその猫を全部食べた。明日、何も知らずにやってきたアリスが、死体を見て泣かないように。
二つ足の猫はとても美味しかったから、アリスにも食べて欲しいなと思った。
……二つ足の猫はもう僕一匹しかいないから、その時は僕を勧めるしか無いのだけれど。
――それでも、悲しくだけは無かったよ。だって僕は……。
「チェシャ猫……どうかした?」
頭上からのアリスの声に顔を上げる。さっきまで思い返してた記憶の中より、ほんの少し大人びた彼女の顔。
心配そうに眉根を寄せて、じっと僕を見詰めている。
とても愛しい、僕の……僕だけのアリス。
「何でもないよ」
――ただね、少しだけ、昔を思い出してただけなんだ。
「そう……」
彼女は不安そうに微笑み、僕の頭に縋り付く。その一挙一動が全て愛しくて、そしてとても、苦しい。
「ねぇチェシャ猫、私達、ずっと一緒……だよね?」
「僕らのアリス、君が望むなら……」
――僕のアリス、あの日、君の話を聞きいた後、僕はこう思ったんだ。
僕の『ツガイ』は、アリスがいいなって。
だから、二つ足の猫を引き裂いた。君の心からの望みと、僕への優しさを振り切って。
ねぇアリス、今は『ツガイ』だから寂しくないかい?
「カミサマ」が決めた通りにずっと一緒で、僕だけを見ていてくれるかい?
――あの日、一人静かに苦しんで泣く君の頭を撫でた時、初めて君の歪みを吸い取った。
甘美な痛みの中、僕の心には新しい世界が生まれた。
その世界に、僕とアリス以外の存在は必要無いと、その時の僕は思ったんだ。
以上、初の歪アリ作品でした。
出展はいわずもがなの「創世記」、別名「ノアの箱舟」(サブタイトルもそこから引用)です。
聖書(特に旧約)は、部分で引用するとなかなかエロテックな空気になって楽しいです。
かなりオリジナル設定等垂れ流し状態でごめんなさい。
ここまで読んで頂きありがとうございました。