When I was…前日碑


本編最初のメールの間のお話。プロローグにしようとしましたが、ページの関係で削りました。


 弥子がそれを見つけたのは冬の終わり、午前授業の後、午後から事務所へと時だった。
 ビルの入口をくぐり、数カ月前より幾分弱まったとはいえ僅か残る寒さに肩を竦め、マフラーを締め直し、いつものようにエレベーターを待っていた。
「ツッ……」
 その時、右手にキンとした冷たさを感じて思わず指先を強張らせた。
 そこでやっと、弥子はエレベーターの傍らにある郵便受けに、いつもの癖で無意識に手を入れている自分に気付いたのだった。
 ツンと指に触れた物が金属の郵便受けの底板であると気付き、胸の奥までがツンと冷えたような心地がし、弥子はぎゅっと顔を歪め、左手を胸の上で握った。
 ネウロがいなくなって以降、彼に宛てた手紙は一切届かなくなっていた。、ダイレクトメールさえも届かないという『不在』が温度となったかのように感じられた。
 それでも、いや――だからこそだろうか。
 弥子は指を引き抜く気にならず、指先だけで探ったその奥にソレを見つけたのだ。
 その、事務所の住所が印刷された封筒を。


「あかねちゃんっ!?」

 エレベーターを待つのももどかしかった様子で、階段を駆け上がり、マフラーを靡かせてドアを開けた弥子に、あかねはビクリと身を震わせた。

「ネウロの携帯ッ、知らない……?」

 制服にマフラー、何かを握り閉めた手の甲と肘でドアを押さえ、もう一方の手を寒さに赤く色づいたひざ小僧に突き乱れた息を整えながら聞く弥子のその問いに、あかねはふるふると左右におさげを振って答えた。
 ついでに「何故?」の意味を添えて、全身を使ってクエスチョンマークを作る。

「分かったっ、ありがとう……っ!」

 しかし弥子は、後者の質問には答えず、脇に抱えた鞄をソファの上に置いた。
 次いで手の中の紙切れをテーブルに置き、鞄の前ポケットからもどかしげに自分の携帯電話を取り出すと、何処かに掛け始めた。

「繋がらない……そか、払えてないから来たんだもん、当たり前か……」

 そう呟きながら、携帯を持っていない方の手で、外の風に乱されたらしい蜂蜜色の髪を苛々とかきあげ、ハッと目を見開いてトロイを見、電源を切った。

 そのまま縺れる脚でトロイに駆け出して、次には全ての引き出しを開ける。
 机の正面に膝を付き、もどかしげに、しかし、中に仕舞われた事務用品や虐待に使う鞭や手錠、それ以上に人目を憚るグッズの数々の順序を乱さないように底まで漁る。
 最後に、順序良く引き出しを閉めると開く隠し扉が何かを吐き出し再び閉まった。
 あかねの側からはトロイの天板の影となり、床に吐き出されたソレが弥子の掌より少し大きいくらいの、手帳のような物だという事しか解らなかった。
 それが何かとあかねが身を伸ばすより先に、屈んだ弥子がそれを拾い上げ、大切そうにぎゅっと胸に抱いた。
 弥子はそのまま立ち上がり、再びテーブルに歩み寄り、そこに置いた紙切れを広い上げ、手帳のような物と見比べると大きく目を見開き――その場にぺたんと倒れるように座り込み、両手で顔を覆って泣き出した。

 一連の弥子のただならぬ様子と表情に、口どころか髪一筋も挟めず、ただおろおろとするだけだったあかねは、そこで漸く毛を逆立てて身を震わせた。

『どうしたの?』

 弥子の携帯電話を取り上げてそれだけを打ち込み、俯く弥子の前に翳す。
 それに気付いた弥子が右腕で乱暴に目許を拭い、顔を上げて文字を事を確認すると、次にあかねはテーブルの紙切れと手帳のような物を見比べた。

『これ、銀行の通帳と……携帯電話会社の払い込み票?』

 次に打ち込んだ文字列に弥子はこくりと頷くと、払い込み票を拾い上げて立ち上がった。

「うん、えぇと……今月から携帯代が預金から自動で引き落とせなくなったから……振込みで入れてくれって……」

 両手で再び、きゅっとその振込み票をにぎりしめて俯いた弥子に、あかねは首を傾げるように毛先を傾け、再び携帯電話のボタンを叩いた。

『でも、探偵さんの携帯は自宅の住所で契約してるでしょ? 助手さんのだって二ヶ月前に』

 そこまで打って、あかねは、はたと毛先の動きを止めた。
 二ヶ月前、あの慌ただしい別れまで、昏睡した助手が目覚めるまでの約一週間。
 想像するまでもなく、目の前の少女も、別れの当日まで寝たきりだった助手も、携帯の解約手続きまでは思考が回らなかった筈だ。
 それでやっとあかねも合点が行った。弥子は階下のポストでこの払い込み票を見つけて、ネウロの携帯電話を探していたのだ。
 しかし、探しても携帯電話は見つからなかった。
 つまり、ネウロが二ヶ月前まで使っていた携帯電話は、ちゃんと今もネウロの手元にあるのだ。
 しかも、今月まで携帯の料金が引き落とされ続けているという事は。

「うん、私も同じ事考えたんだ」

 弥子はあかねの持つ携帯電話の画面に視線を走らせた後、今度は片手に通帳を持ち、両手で払い込み票と同時に開いて見せた。
 両者の名義は脳噛ネウロ。印字されている口座番号も全く同じだった。
 カシャン、と鳴った音に、あかねは自分が携帯電話を床に取り落とした事に気付いた。
 びくりと跳ねた後、あわてて身を震わすあかねに、弥子は笑って両手を振る。
「あぁ、いいよいいよ! どうせネウロに何回も傷物にされてる……んだ、し……」
  最後の言葉が消えると共に、互いの間に気まずい沈黙が落ち、弥子はあかねから僅かに顔を逸らして俯いた。
 あかねも、携帯を拾い上げたものの、次の言葉が浮かばない。
「とりあえず、探してみるね?」
 そう言ってはにかみ、無意識の気合いか腕まくりしてトロイに再び向き直った弥子に、あかねは毛先を振ってみせることしか出来なかった。
 そんな馬鹿なこと、と思わなかったかと言ったら嘘になる。
 だが、あかねは見て来たのだ、一つの約束だけを胸にここ数ヶ月を乗り切った弥子を。
 生きてるうちに叶うかも分からない約束を一心に信じる姿は、間近で見ていた人間ならば、少女らしい幼さや情を理解出来ない化け物だからなどの一言で片づけられない物であることを知っている。
 そんな彼らだから――だからあかねは何も言わなかった。
 弥子が試しに送ったメールが事務所を閉める時間まで待っても戻って来なかった時など、涙を堪える弥子と、一緒に跳ねて喜んだ。
「……やっぱり駄目だったね」
 翌日、弥子の家で一緒に一晩メールを待ち続けた弥子が、寝不足に赤く潤んだ目でそう言った時も、あかねは側にいた。
時期不明。



Text by 烏(karasu)