さよなら、お父さん


弥子からネウロへの手紙。

世界の何処にも、居ない人へ。


 ネウロへ。
 手紙を書くのはそういえば初めてだって、今気づきました。
 何でこんな物を書いてるかって言えば、あんたには絶対に理解出来ない事を書こうとしているからだったりします。
 って、何で敬語になっちゃうかなぁ…。
 見せるつもりの無い手紙なんだから、別に口語体でいいんだよね。うん。
 一応ネウロへって書いているけど、この手紙の実際は、私が私の気持ちを整理する為に書いてるような感じだし。
 うんと、じゃ、改めて。
 あのさネウロ、あんたにお父さんの話ってしたことなかったよね。あの頃のあんたは食べた後は興味無さそうだったし、私も下手に話して根掘り葉掘り聞かれるのもやだったから、思い出した事しか喋らなかったし。
 相棒になった今だから、それって無駄な事だし、杞憂だったって分かるんだけどね。
 うん、私とあんたは昨日の夜、本当に相棒になった。
 そこだけは、私の中で絶対だから覚えておいて。
 あ…もし、もしあんたが何か間違って、この手紙を読む事になって、しかも更になんかの間違いで理解出来ちゃったりして、内容の途中で腹を立てた時はね。
 そんな馬鹿みたいな事、ないとは、思うけど……。
 あ、そうそうお父さんの話だった。
 変な話なんだけどさ、私のお父さんって余り……お父さんらしくないっていうか、私に甘かったっていうか。
 独立してからはオフィスに通わないで、ずっと在宅の仕事しててお母さんより私と一緒に居たし、年頃の娘と父親って会話しないもんだって言うんだけど、会話はそれなりに弾んだし。
 もっとちっちゃい時は仕事の合間に料理作ってくれたり、ままごとみたいな遊びにも付き合ってくれたり……。そのせいかな。
 上手く言えないんだけど、友達の言ったり、あんたも見てたドラマなんかに出て来たりする、口煩くて娘と会話したがらない仕事熱心で厳格なお父さんを百とすると、六十くらいのお父さんっていうか。
 父親的な厳しさのない、私にとってはお父さんとお母さんを兼ねてる人って感じだった。と、思う。
 まぁ、流石のお父さんも探偵の仕事始めた頃に生きてたら、娘の朝帰りに対して初めてビンタの一つもしたかも知れないけどね。
 あぁ、そうか、ネウロと出会わなきゃ朝帰りなんかとも無縁なんだった。なら、益々分からないや……。
でも、とにかく私のお父さんは「叱る人」や「護る人」じゃなくて「育てる人」で「甘やかす人」だった。
 だからさっきも書いた通り、お父さんにはぶたれた事も、どころか怒鳴られた事さえなかったんだからっ。
 だからさ、あんたが初めてなんだよ。私を叩いてぶった、男の人は。
 それで、初めて蹴られたりぶたれたり怒られたりを一日でいっぺんにして、しかもそれ、お父さんの葬式の日だったでしょ?
 それから、毎日殆ど家に居たお父さんが一番割合を占めてた…私の「日常」の所に、まるでパズルのピースか何かのようにぴったり収まっちゃって。
 だから最初、ほんっとうに一番最初は、お父さんを殺す原因を作った悪い私を叱る為に来たのがあんただと思った。
 だけどね、段々こう思ったんだ。あんたは、お父さんが結局私に与えられなかった「お父さん」の部分を兼ねてるんじゃないかなって。
 ここだよ! だから見せないつもりで書いてるんだよ。絶対笑うもんだって! じゃなきゃ、すっごい馬鹿にするか機嫌悪くなるか……。
 だって、前に間違えてお父さんって呼んだ時にすっごい嫌な顔してたもんあんた。
 だけどさ、これも絶対言わないけど、あながち間違ってないと思うんだよ。この考え。
 だって、私をあんたの相棒になれるまでに育ててくれたの、結局はあんただもん。
 それこそ、ドラマか何かのお父さんのように、灯台みたいな目標になってくれたり、揉めた時には突き放したり、かと思ったら助言くれたり、間違った時は叩かれたり。
 いや、実の子には絶対あり得ないくらいに容赦なかったけどね……しかもあんたの場合趣味も兼ねてた訳だし。
 うわ、趣味で娘をいたぶる父親とか危ない臭いしかしないじゃん。何コレ、自分で書いててキモいっ。
 益々あんたにはぜったいに見せらんないや。だから、いよいよ本題に入らないとね。

 私たち、昨日の夜から相棒になったでしょ? 改まって確認すると恥ずかしいから絶対しないけどっ。
 えぇと、私は何時からだろう……多分、捜査でミスって、あんたに期待外れって理不尽に突き放された時よりもっとずっと前くらいかな。
 いつかはそうなってやりたいっていうか、あの最後の結成の直前からは気づいたらもう、そういう気持ちで居たし、ネウロもそう思ってくれてるの、伝わってたけど……。
 でもさ、やっぱり口で聞くと特別で、言葉にして舌に乗せてみるとその舌先から胸がきゅうと痺れるようで。
 とにかくね、ギリギリで堪えたけど、下手をしたら何度も何度も呼んでしまいそうなくらいに嬉しかったんだ。
 これも見られたら絶対怒るだろうけど、死んでもいいくらいって、そう言ってもいいくらい。
 でもさ、でもさネウロ、あんたには絶対分からないだろうけどね、そうやって認め合う事は同時にすっごく悲くて、大切な物を失う事だっていうのも分かって、私は昨日、言葉にしたんだよ。
 それこそ、人を一人――しかも、自分の一番大切な人を、自分の手で殺すような覚悟を決めて。
 だって、だってだよ、あんたと私が「相棒」ってことはさ、私の「お父さん」は、今度こそ本当にいなくなっちゃったって事なんだよ。
 もう、弱い私を護って先に立って遠くに引っ張って育ててくれる「お父さん」なんか要らないって自分で言ったんだから。
 それってさ、お父さんの代りに側に居てくれたもう一人の「お父さん」だったあんたを「相棒」って呼ぶ事で、今度は本当に、私の手で、お父さんを殺してしまったって事なんだよ。

 ほら、絶対分からないでしょ。あんたには。
 もう、甘えられる人、護ってくれる人、叱ってくれる人の手を自分から離す怖さも、その人が手を離したが最後、世界中どこを探しても見つからないっていう怖さは。
 一人で生きて来たあんたには、絶対に理解することができない筈だよ。断言出来る。
 だけどね、理解しなくていい。この手紙も絶対に見つけないで欲しい。そう思う。

 ごめんね、書いてて今更気づいた。この手紙さ、宛名は「ネウロ」だけど、中身はあんたに宛てた物じゃなくなってるや。
 きっとこれは、あんたにじゃなくて、私があんたの背中に勝手に重ねて、あんたの内側に朧気に見ていた「お父さん」へ、さよならを伝える為の手紙だ。
 皮肉な話だよね、あんたにさよならなんて絶対に言いたくないし、言われたくないから、私はこれを書いてるんだよきっと。
 だって、私が相棒に選んだのは「お父さん」じゃなくて「脳噛ネウロ」なんだもの。だから、もう「お父さん」は必要ない。
 私にはもう「お父さん」の代わりに育ててくれる世界があるし、叱ってくれる人も居るんだから。
 世界中何処を探しても、もう会えなくても泣いたりしない。諦めたりもしない。
 相棒が出来たんだもん。……親離れ、しないとだもんね。

 さよなら、さよなら「お父さん」。今までずっとありがとう。
 今日から私は「相棒」と生きて行きます。


date:2011/05/19



Text by 烏(karasu)