七月七日の天の宮、高い天井に響くのは、カタン、カタンと響く機織りの音。
幾度目かのカタンでその音はふと止まり、その音の主である機織りの娘は、ぴんと張られた白い縦糸の上に指先を乗せたまま織り機の上に突っ伏し、げんなりと溜息を吐く。
身体を伸ばした拍子に、畳の上には衣の袖がきぬ擦れと共に広がり、その短い髪をまとめる髪留めからほつれた蜂蜜色の毛束が一筋、瞑目した娘の白く薄い瞼にかかった。
「どうした? 手が止まってるぞ」
「っ……!」
背後からかかった嘲笑の響きを含んだヤユに、機女は小さく息を吐き、再び背筋を伸ばし、首だけで振り返る。
先程から彼女の小さな背にその長身の背と頭とを預け、畳の上に脚を延ばし座り本を読んでいた男が、手にしていた草紙を閉じて顔を上げ、その冠がずれるのも気にせず娘の肩に頭を預けるようにして手元を覗き込んで来ていた。
その、ゆるりと細められた深緑を、娘は唇を噛みしめて栗色の丸い眼をキッと眇めて睨め付ける。
と、男は彼女の肩から頭を上げて身を起こし、手にした草子で扇のようにして口元を隠し、眼は相変わらず細めたままに小さく、それでいて娘にしっかり聞こえるように溜息を吐いた。
」
「……全く、せっかくの年に一度の逢瀬の日に、胸高鳴らせ会いに来た伴侶に、仕事が終わらないからと突っぱねられて放置され……。
余りの蔑ろっぷりに、我が輩いっそ泣いてしまいそうだぞ」
そうして今度は手にした草紙を、額に当てて顔を覆うようにして俯き、肩を震わせ啜り泣く真似さえして見せる。その大袈裟な仕種に娘はむっと頬を膨らまし、うっすらと紅を引いたその薄い唇を尖らせた。
「終わんないのはあんたのせいでしょうがっ!!」
言葉と同時、娘は機織りを再開しようと手にしていた横糸を巻いた杼を足元のに向かって強かにたたき付ける。投げ出された杼は通された糸と共にカララン、と、軽い音を立てて畳にぶつかり、娘の足元に転がった。
「……ほぉぅ」
糸を揺らすその軌道を目線だけで追い、男は再び草紙で口元を覆い、言葉の続きを促すように深緑を細め、背後の娘を見遣る。
「………ッ」
大声の反動で、ぜいぜいと息を吐いていた娘は、背後からの悪寒にその細い肩を一度震わせ、再びむうぅ頬を膨らませた後に小さく溜息し、足袋の足下に落ちていた杼を拾い上げて再び機織りを再開する。
二人の座る畳の上に、カタン、カタタンという機織りの音だけが広がって行き、男も再び娘に背中を預けたまま、草紙に視線を落とす。
そのまま四半時ほど経った頃、機織り機に向かったままの娘がそっと口を開いた。
「……あんたがさ、一年に一度しか会えないって決まった途端に、あんたが、『1時間に一回は連絡入れろ』なんて無茶言うから、終わらなかったんだよ! おかげで仕事してる時間なんか無かったしさ―!」
「……そうか」
相変わらず草子に視線を落としたまま、心底興味のなさそうに打たれた相槌を気にした様子もなく、娘は更に言葉を続ける。
「つーか、そもそも一年に一度しか会えないのだって、あんたが天帝を怒らせたのが原因じゃん! 私、全く関係ないし!!」
「ム……そうだったか?」
僅かに首を傾げた男は、寄り掛かる細い背中の動きと、不意に止んだカタンという機織りの音に、娘が再び手を止めた事に気づき、漸く頁から視線を上げる。
「そうだよッ! ……ったく、おかげでコッチはいい迷惑だって―の……」
華奢な肩に頭を預けるようにして、男は娘の手元をのぞき込む。どうやら今回の「停止」は中断ではなく完成による「終了」であるらしい。
しゅるんと糸と糸とが擦れ合う音と共に杼を巧みに操り、どうやら織り上がったらしい布の端を処理して、娘は織機から丁寧に外して行っている所であった。
「ふぅー、やっと終わったー!」
そうして娘が膝に下ろし丁寧に検分する布は、ちょうどその細い両膝をすっぽりと覆う程度の流さで、反物にしては余りに短く、柔らかく真っ白な糸で織られている様子だったのに、男は僅かに眉を上げる。
さぁ遊べと構えと間に揶揄を織り交ぜ言う度に、仕事だ仕事だと娘がしきりに言うのを、生来、物事を先入観なく観るのを常とする彼にしては珍しく鵜呑みにし、てっきり反物なのだと思っていたが。
一体何の用途の布だったのか、その小さな肩に頭を乗せ、自分の仕事に満足そうに頬を紅潮させた娘の横顔をちらりと盗み見、そう考えた所で、こちらを振り返ろうとする娘の気配に男は正面に向き直り、寄りかかっていた娘の背から身を起こす。
と。その背後から首筋を包むように回って、ふわりと舞った白い布と、その両端を掴む、捲くり上がった着物の袖から剥き出しになった布に負けないほど白く、細い両腕と。
「……おかげで、こんなん完成させるのにも、こんなに時間かかったんだからさっ」
全く、あんなに無茶ばっかりするから破けるんだからね、と、いつもの語調で嘯く娘の表情は首筋に顔を埋められている為に、こちらからは全く分からない。
しかし、自分の肩から延びたその真白く細い両腕が、項に僅かな吐息と共に触れる唇が――久々に触れ合った肌が、小さく震えているのに男はくつくつと小さく喉を鳴らす。
「ほう、随分と上達したではないか」
「そりゃ、一年もコレだけやってれば……それなりにはさっ」
首に回った布の一端を男は軽く引き、窓からの淡い月明かりに透かし、ただの布ではなく何か羞明を仰ぎ見るように目を眇めて見上げ、
「むっ、」
聞こえるか聞こえないかに小さく言葉を濁し、そのままの姿勢で固まる。
「………?」
全く動かぬ、しっかと回した腕の中の気配に娘は布を掴んでいた手から僅かに力を抜いて。
片方の端を離すと、男の背に押し付けていた額を外し、膝立ちになって抱き込んでいた背中に胸を押しつけ、その肩から頭を乗り出すようにして、じいいっと男の手元をのぞき見る。と、
「ふむ、」
「っぶ……!」
掴んでいた布を力一杯男に引かれてバランスを崩し、気付けば自分でも何が何だか分からぬまま、畳に顔面をしたたかに打ち付け、延ばされた膝の上に俯せに倒れ込んでいた。
「ったた……」
ぶつけた鼻の痛みに涙を滲ませ、畳に手をつき僅かに身を起こした所で、脇腹を強く押され、ころん、と、猫か何かにするように今度は仰向けに転がされた。
間髪入れずに自身の胸元に引き寄せられた両の手首を覆った柔らかい何かの感触に、少女は未だ涙の滲んだ栗色の瞳を大きく見開き、次の瞬間にはさも楽しげに細め自身の顔を除き込む、深い緑を強く睨み上げる。
「ちょっ!? いきなり何すんのさっ!!」
「なぁに……折角の奴隷からの貢ぎ物を、早速、ありがたく使わせて頂こうと思ったまでさ」
さも楽しげな言葉と共に、つい、と黒手袋の指先に突かれた自身の両手に視線を落とす。指先で辿られた結び目でもって、その白い手首に同化するようにぎちりぎちりと絡み着いているのは、紛れも無く、少女自から織った件の布で。
「ちょっ、何してくれてんだ―!!」
叫び、性急に逃れようと、ジタバタとがむしゃらに暴れてみたのの、布はキリキリと小さく鳴って娘の肌へと余計に食い込むばかりで、破けるどころかほつれる気配さえない。
「おぉ! 喜べヤコ、強度に問題はないようだぞ」
「何の品質チェックだよ!? てか、元々ッ、そういう意図で作ったんじゃな――」
その小さな頤を捕まえた手と、手首を戒める布から離れぐいぐいと着物の胸元に入って衿を引く、もう一方の手と振り払おうと、水に上がった魚の如くにじたばたと暴れていた娘は、そこで急に言葉を切り、動きを止める。
「………?」
唐突に止んだの抵抗に、訝しんだ男が眉を潜め見下ろせば、膝の上の娘は何かを思案するように気まずさから視線逸らすように、瞳を僅かに揺らして。
「――意図があって、作ったんじゃあなかったけど。別に、いいか……な、ぁ」
あげちゃったのは私だし、よく考えたら『あんたの物』って所までしか意識して作ってなかったし、そもそも、使い方を決めるのは持ち主だし……。
真っ白い頬と目元を淡く染め、そうした言い訳をぶつぶつと口の中で呟いた後。娘は、まっすぐと男を見上げて。
「だから、もういいや。……あんた何されても何言われても」
娘は言葉を切り、以外とも理解出来ないとも取れる、きょとりと見開かれた眼から性急に視線を逸らし、出来る限りで俯く。
「ってか、い、言っとくけどっ……! きょ――」
――今日、だけなんだからね。
その最後の言葉は覆いかぶさり押し付けられた男の口に飲み込まれ、手繰った小さな舌の先から伸ばされた舌で絡め取られて吸い付かれて。
「っはぁ……」
「では――頂きます」
最後に残ったのは嬌声ばかり。あとは、音の一つも、僅かの吐息も残さぬまま。その存在ごとに一年の我慢を食らった貪欲な牙に喰い尽くされてしまったのだった。
設定等を煮詰めなかったので、世にも夢のない星物語が紡ぎ上がってしまったの図。
二人をあくまで「男」と「娘」として表現したら、和物語っぽさが出るかなぁと思ったけれど…出てる?
ネウロ兄やんの服装は、元ネタの原産国っぽく冠(orえぼし)と唐絹+袴のつもりで書いていたけど、縞の着流しでもいいと思う。