横取り


私にとっての「あがり」は遠い。


例えばさ、授業に集中出来無い時、窓から景色を眺めたりするでしよ?
頬杖なんかついて、見るとも無しにさ。そうそう、丁度そんな感じに。

そしたらさ、なんとなく向けた目線の先に椿の木が植えてあって、
風が吹く度にその葉っぱが表面に日光を反射してキラキラ光るんだ。
ちょっ、「感性が小学生並」ってのは流石に酷いよ!あ、うん……まぁそうなんだけどさぁ――
そうそう。最初はそれをただなんとなく見てたんだけどね。「あぁ綺麗だな―、天ぷらにしたら美味しそうだなぁ―」なんて。
もう、冗談だってば!……そりゃ、ちょっとは本気だったけど。

あぁ!それでね、ある瞬間にふと、「あぁ、あの目の色にそっくりだなぁ―」なんて悔しいことに思っちゃって。
そしたらさ、何でか頭の中があいつの事ばっかりになっちゃったんだ。
今どこに居るのかな?何をしているんだろうな?とか。今頃、お腹空かして無いかなぁ―?とか。
本当、私にとってかなりどうでもいい事をずっと、ずーっと―……。


「つまり、さっきの数学の時間、先生に怒られたのはその所為だってのね?」
「そうそう!まぁ、私も悪かったよ…。でもさ、何も教科書で叩く事無いじゃん!」

生徒でごった返す昼食時の学生食堂。
憂鬱な顔をしテーブルに頬杖を付く叶絵の向かいに座る弥子は
今日もスプーンを握った手と、よく回る口を同時に動かし本日4皿目になるカツカレーを平らげている最中だ。
天真爛漫なその表情から察するに、友人の憂鬱の原因が自分有るとは露ほどにも思っていない様子である。
叶絵がわざとらしくため息を吐いてみせても、スプーンを咥えたままできょとん、と首を傾げるだけで。

ええと……何て言うんだっけこういうの。「暖簾に腕押し」…だったっけ?

見ているだけで食欲の無くなるその光景の方は別にいい。長い付き合いの中でもう大分慣れている。
叶絵を憂鬱にしているのは、最近数えるのも面倒な程しょっちゅう聞かされる今のような惚気話。
しかも、
「だって、ペットや小さい子どもを一人で留守番させてたら、
心配で何も手に付かなくなってもしようがないと思うんだよね」
本人は、これで全くの無自覚ときている。
「んーと…何?あんたの助手って、そんなのと同じ位に手がかかるの?」

呆れる気持ちを抑えそう聞くと、弥子はやっとスプーンを動かす手を止める。
「そうなの。凄く我が儘で、小さな子供みたいでさ、本当一人にしとくと何仕出かすか分からなくて――あっ、でも事務所に居るんならあかねちゃんも一緒だろうし、別に大丈夫かっ」
弥子は一人でうんうんと納得し、再びカレーの皿へと向かう。
その返答に唖然とし、今度は叶絵が思わず箸を取り落とした。

……ちょっと、待てっ!何か今、さらりと重大発言……てか、それでいいのあんた!!
今、あんたの惚れてる男は、別の女と二人きりで居るんでしよ!?
それ、女として簡単に納得していいことなわけ!?!


はっきりと、そう言ってやりたい。
しかし、弥子本人は自分自身の想いに全くと言っていいくらいに無自覚なのだ。
下手な事を言って二人の関係を余計にこじらせるのもなぁ―と考えると、叶絵もつい口を控えてしまう。
それでも、弥子は叶絵にとって一番の友人で有る。同時に、一番幸せになって貰いたいとも。
社会的な事情を考慮しても個人的に感じている好意という点でも。

そして断言しても良い。これは絶対、弥子にとっての初恋だ。
だからこそどうにか実らせてやりたいと、それを得手とする叶絵は密かに思っている。
そしてその為にはまず、弥子に自身の想いを自覚させる事からだと、叶絵なりに策を弄してみるのだが
結果としてはいつも、今のような空回りで終わっている。

それでも今日こそは――と、とりあえず少し探りを入れてみる。
頭痛を堪え、細い指でこめかみを押さえながらも。
「で、その『あかねちゃん』ってのは一体、どんな子な訳?」
「すっごくイイ子だよっ!!あ、一応うちの秘書なんだけどねっ!!
頭が良くて優しくて、おまけに紅茶いれるのが上手で……」

弥子は瞳を輝かせ、助手について聞いた時よりも何倍も生き生きと、
『完璧な秘書あかねちゃん』について語り始める。
「それでいいの?」という叫びが、再び叶絵の喉を掠める。

自分の好きな男がそんな完璧な子と四六時中一緒で、ヤキモチ焼いたり危機感持ったりしない訳??
おまけにそんな恍惚とした表情でライバルの魅力まで語って……。本当、いい子過ぎるよ弥子!!


「うん、解った。もういいよ……」

呆れる気持ちを抑えてどうにかそれだけを言う。思わず零れる小さなため息。
 つまり、今日も無駄な努力に終わった訳ね……。

何も知らない弥子は叶絵を不思議そうな目で見つめている。
「その人は弥子の事、一体どう思っているんだろうね……」

独り言のつもりで小さく発したその言葉は、以外な効力を発揮した。
耳に届いた途端、弥子の表情が曇る。そのままもじもじと気まずそうに俯く。
「そんなの、私だって解んないよ。この前だって、いきなりキスしてきたり……」
「……えっ!?」

今まで交わした中で、最も核心に近い発言に、思わず身を乗り出して聞き返す。
「何かさ、よく解んないままいきなりされて。ふむ、とかいつもみたく勝手に一人で納得して。一体何なの!?って――聞こうとしたんだけど、何か聞けない空気で……」

その時の事でも思い出したのか、白い頬にほんの少しの赤みがさす。
「あ―っ、マジで何考えてんのか解んないっ!!」
少しの間の後、弥子はそうヒステリックに叫んで椅子へとよりかかり、乱暴に細い四肢を投げ出す。


これって……もしかして、チャンスなんじゃない?

そう判断した叶絵はつい今しがた思い付いたかのような口調と態度で催眠術でもかけるかのように弥子の目をじっと覗き込む。
「じゃさ、あんた自身はその瞬間、どんな気持ちだった?」
「と、突然だったし何も……っ」

弥子はそう答えオドオドと視線を反らす。
それに確実な手ごたえを感じた叶絵は、一気に勝負をかける。
「じゃ――その『後』は?」
「あ……と…?」
「そ。冷静になってから何か思わなかった?例えばさ、胸が苦しくなったとか、改めて好――」


    ウ゛―――

二人の会話に割り込むかのように、テーブルに置かれていた弥子の携帯が鳴った。
条件反射でそれを取り上げた開いた弥子が、ふわりと小さく笑みを作った。
叶絵にはそれだけで、それがあの助手からのメールなのだと気付く。
本当に、何と分かり易くて無自覚な友人なんだろう、この子は。
視線に気付いたのか、弥子は顔を上げ、すまなそうな表情を浮かべた。
「ごめん叶絵、今から――」
「いいよ、行って来な。どうせあの助手からでしょ?先生には上手く言っとくからさ」

笑って、ひらりと手の平を振ってみせる。
「うんっ!!ありがとうっ!!」

弥子はにっこりと笑ってそう言うと、トレーを持って席を立った。
叶絵はそれを笑って見送り、その小さな背中が見えなくなった所で本日何度めとも知れないため息を吐く。

全く、一体何なんだろうあの子の助手は。大事な友達を知らないうちに横から掻っ攫って。
しかもあの子に対して具体的な事は何も示さないで、その癖やる事はちゃっかりとヤりやがってさ――ぁ、れ?
前にもこんな事無かったっけ?
確か、何人かで今みたいな話をしてて、ふとしたきっかけであの助手の方に話題が流れて――


『弥子ってさ、ブッちゃけそいつの事どう思ってんの?』

あ、思い出した。
誰かがふざけて弥子にそう聞いて、さっきみたいに弥子が答えようとした途端、携帯が鳴ったんだ。
そう、計ったみたいなタイミングで―……。

叶絵は顔を上げ、咄嗟に辺りを見回した。
周囲は生徒と職員が疎らに居るばかりで、特に変わった所は感じられなかった。
「…まっさかねぇ――」
咄嗟に思い付いた事とはいえ、自分の考えの馬鹿らしさに、思わず苦笑が漏れた。
――そう、考えすぎだ。弥子と一緒の時はいつでも『見られてる』んじゃないかなんて。
「あの子、ちゃん助手に会えたかな?」

叶絵が天井に向かい苦笑交じりに小さく呟いた。

その言葉を聞きとがめた者も、彼女の足元を抜けて窓から出て行った小さな『虫』の存在に気付いた者も
この場にはいなかった。


『う゛〜こいつら焦れったい』という空気を目指しました。
男を手玉に取る叶絵ちゃんは、男に振り回されてる親友が面白く無いという話。
で、本音を聞こうと思うと邪魔が入るのは、この話のネウロが変な所でヘタレだからだったり。


date:2006.03.20



Text by 烏(karasu)