不器用に、毎日を


ネウヤコ×『最終兵器彼女』(高橋しん)で、へたれネウロという無謀な企画。
最カノエピソードと主人公二人の性格をベースに、ネウヤコを書いてみた感じ。

私たちはいつも不器用に、同じ場所をぐるぐると。



『ごめん、ちょっと上まで来てくれる?』

その一文から始まるメールで、我が輩を事務所の屋上に呼び出したヤコは手摺りにもたれ掛かり空を眺めていた。
閉める際、軋んだ扉の甲高い音に漸く振り返り、扉の前に立つ我が輩を見、力なく微笑むと再び視線を正面へと向ける。

ヤコの傍らへと歩み寄り、我が輩も同じように視線を下げ、眼下の景色へと向ける。
初夏の午後、見下ろした街は黄色みを帯びた光線に彩られて普段のようにそこにあった。
違いといえば、平静ならばゴミのように溢れかえっている人間の姿が全くなく、街路樹の葉陰を初夏の風がとおり抜けて行く事くらいだ。

「……この時間帯にさ、こっから見る景色が結構好きなんだ。
 ほら、ここら辺ってオフィス街でしょ? 
だから、学校がまだやってる時間で、しかも大体の会社で昼休みが終わるこの時間帯だけ
、 極端に人が減っちゃうの。……まるで、この場所と私達だけ残して、別の街になっちゃったみたいにさ」

そうか、と事実確認でしかない相槌を打てば、錆び付いた手摺りに頬杖をついたまま、苦笑したヤコの横顔が眼の端にうつった。
しかし、そのぎこちない表情はすぐに崩れ、聞こえるのはふぅ、と小さく深い呼吸の音。

「だから最後に……、あんたと一緒に見ておこうと思ったんだ……」

吐き出されたか細い声に顔を向ければ、同じくこちらに顔を向け、我が輩を見上げてくるヤコの瞳と目があった。
過剰な水分で潤んだ栗色の光彩。その中に――ヤコの中に写るのは、瞳の輪郭に合わせて丸く歪んだ、
黄色みを帯びすんだ街の景色と、平静よりも大きく眼を見開いた我が輩と。

「……探偵役、もう、辞めたいなぁと思ってさ」
「何を……おっしゃるんです、先生? そんな勝手が今更許されると思って――」
「……勝、手?」

小さく呟かれた疑問に言葉を切り、ヤコを見下ろす。俯いた顔。瞳は我が輩ではなく足下のコンクリートを捉えている。

前髪に隠れて読めない表情の中、ぎりりと赤い唇が引き結ばれ――次の瞬間、再び我が輩へと向いた瞳は悔しさに細められて。
「勝手って、……いうけどさぁっ!!」

あげた声が存外大きく響いたことには、それを向けられた我が輩よりも、発したヤコ自身の方が驚いた様子だった。

咄嗟に口元を押さえ、こちらに向けて見開いた目を逸らして伏せ、「ごめん」と呟く。
声の理由も、眼前にある小さな身体と頭の中を渦巻いているらしい焦燥も、
我が輩には理解出来ないということを知っていながらわざわざ。まるで、理解でもさせたいかのように。

「……だって、それは全部、あんたが勝手に決めた事じゃないっ。
勝手に、私の前に現れて、自分の勝手で人の事巻き込んで、事件を解決させて事務所まで構えて。
そんで今度は『勝手に辞めるのは許さない』なんて勝手、言う……の?」

一体何なのよ、と、掠れる声で搾り出された叫びが鼓膜に届き、その細い指先にきつく握られた手摺りがぎちりと小さく音を立てた。

勝手、勝手と、掠れぎみの甲高い声で弥子の喚く度に、我が輩の胸には形容し難い不快感が広がって行く。
溜まった水に投げ込まれた石のように、その細い喉から零れ出る嗚咽に言葉に、肋骨の内側をざわざわと虫の這って行くような感触が走る。

止むことのない不快なさざなみに、思わず左手でスーツの胸元を掴んだ我が輩に、
意図せず食いしばりギリリと鳴った歯に弥子は気付かず俯き、未だ嗚咽を吐き出している。

気付いていない、気付かない。
他の人間を観察する才能の片鱗を持つ奴隷はいつも、魔人である我が輩を見ようとせず――故に、ヤコの内側に我が輩は写らない。
入れない、取り込まれる事は、決して、ない。

「先生は、っ、さっきから、勝手勝手と喚きますけれど――」

更に強く握り込んだ布地が首に僅かな圧迫を与え、手袋と擦れる。

「……勝手は、一体どちらですか?」

自覚するより先に上ずった声に、弾かれたように顔を上げたヤコは、瞳を見開き我が輩を見上げた。
驚愕の滲んだ瞳、その中に取り込まれた、自身の胸元を握る我が輩の顔は不快に眉根を寄せ、疼痛に歪んでいる。

出会って以来終ぞ見せた事のない顔、見慣れた目前の驚愕。
それを認識した途端にまた、皮膚と骨の内側で、虫が暴れる。

「言わせて頂けるなら、そもそも僕は、最初からあなたのような人間を探偵に選ぶつもりはなかった。
だって、考えてもみて下さい! 一体誰が好き好んで、自身の生存に必要不可欠なツールにあなたのような馬鹿で愚図で鈍く、
その上脆弱で間抜けで食う事にしか頭の働かない大馬鹿な人間を使いますか?」
「……それ、激しく逆ギレなんですけど。てか、馬鹿ってわざわざ2回言いやがった!!」

大袈裟に叫び、むぅっとむくれるのを無視し、我が輩は殊更わざとらしく言葉を続ける。
肋骨の内側をうごめく寄生虫が促すままに次々と。張り上げる声へ、知らず篭った熱の理由も自分自身で解らずに。

「……なのに、最初に地上に来た時には勝手に視界の中にいて、ゾウリム程度にしか意識していなかったのが、
勝手に僕の意識領域に入って来て、しかもこうして散々興味を持たせ魅き付けてておいて今度は勝手に、
……僕から、離れて行こうとする」
「ちょっとちょっと、『勝手』って言葉の使い方おもいっきり間違ってるよ!」

そう、一番の勝手はコレなのだ。
気付けばヤコはいつも勝手に我が輩の視界にいる、無駄な手間を作る。周囲を巻き込む。進化して行く。
その様子が非常に興味深く危なっかしく――なので、益々目が離せなくなくなる。

なのに、ヤコは我が輩を見ようとしない。話しかけなければ、視界にさえ入れない。
こちらが手を伸ばし触れても、怯えて痛がって拒絶の言葉を吐くだけで。

きちちっ、と。握りしめた掌の中、革手袋が小さく音を立てる。

「……先生が、そうやって振り回すから我が輩は――」

ぷふっ、と小さく響いた空気の抜ける間抜けな音の直後、甲高い笑い声が響いた。
「プッ……! くくっ……ネウロ、もどってるよ。口調は猫被りなのに、主語、『我が輩』って……!」
「……ッ」
「あははは、ごめ……ごめんねネウロ! くふ。ごめん……私ね、あんたの事怖かったんだ。
 初めて出会った時もサイとすれ違った時も、すっごくすっごく怖くて……ぁはぁっ、だから…何か安心して……っ、あ…れっ?」
「……馬鹿が。一体何を、泣くことが有る?」

ヤコは見開いた瞳からぽろぽろと涙をこぼし、自身の造形のまずさを殊更強調するように不細工な、泣き笑いの表情でこちらを見上げた。
紅潮し涙の跡が残る頬、しゃくり上げる不規則な呼吸音。

濡れて細められたその瞳に写った我が輩は、自身で居たたまれない心地になるような、安心し、脱力しきった情けない表情で笑んでいた。

*


「……私はきっと、あんたを理解しようとしたから怖くなったんだ。でも、そんな必要、元々なかったんだよね。
ただ、違いは違いとして受け入れれば良かったんだ。そんな、すっごく簡単な事だったんだ」

手摺りに背を預けて抱えた膝に顔を埋めていたヤコは漸く顔を上げ、ぽつりとそう呟いた。
スン、と鼻を啜る様子。頼りなく小さな身体を更に小さく丸めたヤコの様子はまるで、出会った日のようだと思う。

「もっと早く、気付いてあげれば良かったね……」

呟く声は再び掠れ、頬を縁取る西日が、その目尻に再びうっすらと滲んだ水滴を橙色に染める。
そういえばあの朝も、今と同じような表情で、膝を抱えたこの娘は泣いていた。

離れた場所から偶然見付けた、頼りない姿は今、こうして我輩の手が届く場所に。
あれから、僅かにか時間が経過した今も、何かといえば、歩み寄るのはこちらばかり。

ヤコも、恐る恐るとはいえ我が輩に寄って来るようになったが、それは本当に微々たるものだ。
不器用に一途に。種族の差異や認識の違いを埋めようと、少しづつ、少しづつあがいては進化する。

「そうしたら、あんたも私もこんなに苦しくなかったし、……きっとこれからも、一緒に――」

恐らくその課程として今日、この娘は我が輩から離れようとして距離を取り、
どうやら今度は、不器用にいじけ、一応は後悔しているらしい。

あぁ、全く。何と不公平で不自由な関係だろうか! それでいて、その微々たる進化こそが楽しいのだから困ったものだ。

良いだろう、今回もまた、我が輩が譲歩してやろうではないか。

「ねぇ、先生」

助手の声色を作り、かけた声にヤコはセーターの袖で乱暴に目を拭い、こちらに視線を向ける。
「……僕たちは、まだ『探偵』と『助手』、ですよね?」

その瞬間、顔をくしゃりと歪ませ、我が輩の腹に額を強く押しつけるようにして抱きつき、無言でただしゃくり上げる様子に、
不覚ながら驚かされ――そして気付けば、胸骨の内側の虫はもう蠢いていなかった。

*


「………」
「ん? 何か考え事?」
「うむ、今回の貴様の反乱に反省し……次からは少しばかり貴様待遇を考えてやろうかと思ってな」
「本当っ!?」
「あぁ本当だとも、毎度勝手を言われ逃げ出されては堪らないからな」
「じゃあさ、私はあんたに何したらいい?」
「ム、そうだな……」
「わ、私に出来る事で頼むよ!!」
「今、ここで口付けでもして貰おうか?」
「ぅ……」
「ふぅ……。冗談、だ――?」
「……これでっ、いい、訳?」
「あぁ……微生物にしては上出来だな」

ぺろりと、これ見よがしに唇を舐めて見れば、赤面し顔を逸らす。
全く――そうした不意の仕草こそが、コレの言う所の『勝手』を働きたくなる原因だというのに。

「先生、」

膝を払い、立ち上がる途中、相変わらず膝を抱えたままのヤコの、無防備に晒された耳元にわざとらしく言葉を吹き込む。
「ごちそうさま、でした」


以上が、昨年末にリク頂いたり自身で考えたりで色々練っていた、『最カノパロ』と『へたれネウロ』の二つを掛け合わせになります。
主人公二人とネウヤコの性格が真っ向から違うのと選んだエピソードが本編と若干矛盾するのとで、
そこら辺の中を取るのに一番苦労しました。


date:2008.03.10



Text by 烏(karasu)