蒼に溶ける心


*普通に死にネタです

痛い位に鋭い蒼


ビルの屋上、彼はフェンスの縁を両手で掴んで青い空を見上げたまま、全然動かない。
私はというと、そのフェンスに背中を預けて座り、一緒になって空を眺める振りをしながら隣の彼を盗み見ている。
二人の間を埋めるように、冬の名残の強い風が吹きぬけた。

蒼穹に溶けそうな濃紺のスーツ。
前髪だけ黒い金色の髪は風に煽られ彼の端正な顔と、そこに浮かぶ表情を覆い隠す。
それでも、彼が何を考えてるのかは痛い程に伝わって来た。
自分の意志とは関係なしに、鋭く痛むのは私の心。苦しくて、呼吸も上手く出来なくなり、
「……あの子の家は無宗教だから、そんな所に居ないと思いますよ」

思わず、そう言ってしまった。ただ、彼にこっちを見て欲しくて。

願いは叶ってその人は空からゆっくり視線を外し、足元の私を見下ろす。
――ただし、凍って冷え切った絶対零度の視線で。
その翠色の氷は私にこう言っていた。『お前は何故此処に居る?』と。
「……弥子に、頼まれたんです」
震える声で呟いた言葉を、その人がどうとらえたのか見るのが怖くて。
視線を逸らして目を伏せ、灰色の汚いコンクリートに伸びる二人分の影を見詰めた。


弥子と約束した日は、いたって普通の日だった。
だからそれが、本当に「約束」になる日が来るなんて、思いもしなかった。

いつものように学校へ行ってうだうだ過ごして、帰りに近所の公園に寄って二人でクレープなんか食べてみて。
「もう一個、食べちゃおうかな?」
「やめときなって、店の人泣くよ!」
そんないつもの会話をしているうちに携帯が鳴って。

弥子には、いつものように彼から呼び出しの電話。
あわてて電話を切り急いで走り出そうと構えた弥子は――何故か唐突に私を振り向いた。
「ねぇ叶絵、もしも私がいなくなる事が有ったら、代わりにあいつの側に居てやってくれないかな?あいつはあれで居て……結構淋しがりだから」
いつもの、少し困ったような笑顔を私に向けて。
「もう…解ったからさっさと行きな。また怒られるよ!」
「うん……じゃ、お願いねっ!」

そう笑って手を振ると、弥子は安心したように笑い今度こそ、背中を向けて駆け出して行った。
オレンジ色に染まったタイルの上に伸びた影は、
今、私の目の前に伸びてる影みたいに淵が薄青くくすんでたっけ。
ほんの数分の事なのに、こんなに鮮明なのは、何でなんだろう?
まるで一つも忘れてはいけないと、意識して記憶したかのように。
――それが笑ってるあんたに会う、最後の記憶になるなんて微塵も思わなかったのにね。


……弥子は知っていたからそんな事を言ったのかも知れない。
あれでいて、カンの鋭い子だったから。
あの子の紹介で彼に会って以来、私が抱いていた想いにも。自分の命がもうすぐに終わるという事にも。

いなくなったという現実が、最近しっかりと見え始めた途端、
ふと気付くと、そんな都合のいい夢ばかりを見ている私。
止めようと思っても止まらない。浅ましくて弱い自分が本当に悔しくて、嫌になる。

あの公園から、一歩も前に進まない足。
あの子の背中を追いかけることも、言葉を鵜呑みに、背を向けてしまうこともできずに。
抜け出せたあの子がずるい、なんて見当外れな逆恨みまでしながら。
そんな事考えるから余計に苦しいんだと、自分で気付いてる癖に。


「貴様は何故、泣いているのだ?」

頭の上から投げ掛けられた声によって、私の意識はオレンジ色の迷路から現実に戻った。
ふと見ると、足元から伸びる薄青い影の上には更に深く黒い染みが数個出来ていた。
それが涙だと。気付いた時にはどんどんと溢れて、もう止まらなくなってしまった。
――この涙は、一体何の涙なんだろう?

親友が死んでしまったという事に対する悲壮感や喪失感から来る物だろうか?
親友への罪悪感や申し訳無さが形になって溢れ始めたのがコレなのだろうか?
そう自分に問いかけた所で、明確な答えなんか存在しないのはもう知っている。
だってそう、何回も聞いた。あの夕日の中で自分自身に。
「わかんないです……」

それでも何か答えなきゃいけないと思って、しゃくり上げながらなんとかそれだけ言い、
少し考えてから、更にこう続けた。
「それでも、あえて理由を付けるなら、多分、弥子の馬鹿さと素直さに呆れてです」

ぐちゃぐちゃな今の心情でも、それだけは断言出来る。弥子がいなくならなければ、
こんなにも醜い自分を見つけなくて済んだ。
弥子が生きていれば、こんな風に悲しみで胸が裂けそうにはならなかった。
弥子、やこ、ヤコ。
八つ当たりや、エゴなのかもしれないけど、それだけは確実だと思える。
「全く同感だな――あんなに呆気無く死におって、あの豆腐が」

彼は目を細めて空を見上げて小さく呟いた後、今日初めての笑顔を浮かべた。
いつも隣の弥子に向けていた、何処かに憂いを帯びたあの表情。
まるで今、そこに弥子が居るかのように。

――いつか、その笑顔を私にも向けてくれないだろうか?

そんな事を思ってしまった自分の醜悪な心に嫌気がさして、今度は声を上げて泣いた。


風の強い、良く晴れた日に思いつきました。文章に『色』を付けてみたいな、と書き始めた物です。
色々と最低な内容で申し訳無いです。


date:2006.04.11



Text by 烏(karasu)