彼と彼女と『大切』の違い


*某所投下にタイトルを付け、僅かな加筆と修正。

「大切だから庇いたい」
「大切だから苛めたい」


不意に訪れた二度目の目覚め以降、あかねの時間感覚はかなり曖昧なものになっていた。
おそらく、一日の大半を余り日の射さない室内で単調な事務作業に追われて過ごすのと、
ある程度の疲労が蓄積されれば昼夜とわず強烈な眠気に見舞われる体質によって規則性とは無縁の生活に身を置く事になったのが主な原因なのだろう。

日の出日の入りの角度や戸外の景色といった所で、四季や午前午後といった程度の違いは感じ取れるし、いつも業務に使用するPCには勿論時計も付いている。

しかし、その不定期な睡眠周期の為に今はまだ朝であるとか、あとどれ位で夕方だといった、大まかな感覚がたまに麻痺を起こす事が有る。

それは生身の肉体でいう所の「時差ボケ」に近い感覚なのかもしれない。

しかしそんな生活に身を置いていても唯一、「夕方午後16時30分」だけは、毎日ほぼ正確に知る事が出来ていた。





くすんだ白が赤く染まり始める入り日の頃。窓から見える街路樹の葉も空と同じ金色に染まり始めていた。

昼間から所長机に腰掛け、ずっとパソコンのディスプレイだけを見ていたネウロが、チラリと背後の窓に視線移したことに、あかねはふと気付く。

――あぁ、もうすぐなのか。

彼と同じく、壁際の机に自分用にと常設されているデスクトップのパソコンに向かっていたあかねは作業を一時中断し、
机の下に収納されている数種の紅茶缶を取り出して机に並べ、毛先を傾げていつもの思案に暮れる。

今日はいつもより冷え込んでいるから、特に工夫は凝らさず、ダージリンだけを使ってミルクティにしようか?
 または今日の鮮やかな夕日にあやかって、オレンジフレーバーを中心にして、色々と掛け合わせてみようか。
あぁ、お砂糖の代わりにあの子の髪の色に似た蜂蜜を入れるのもいいかもしれない。

そうしてしばしの楽しい思案に酔った後、たまには意見を求めてみようかと、再び視線を移した所長机のネウロは、今や完全に身体を背後の窓に向け、下の道路を見下ろしていた。

どうやら彼女の到着がいつもより少し遅れているようだ。

この魔人が普段から彼女よりかは些か自分に甘いといっても、こういう時は無駄に刺激しないに限る。
結局声をかける事はせず、あかねは無言で再び作業に移った。

仕事自体の性質とあかね自身の体質上、二人で過ごす時間が多い為、魔人に向ける観察の時間は必然的に多くなる。
結果気付いたことなのだが、普段は恐ろしい程冷静沈着な彼は『午後16:30』が近づくと、落ち着き無くそわそわとし始める。

といってもそれは、大型の肉食獣を思わせる程に緩慢な動作で有って。
普段の彼を知っていて、尚且つよく気をつけて見ていないと分からない程度の変化、なのだが。

それでも、その表情だけは明らかな退屈と期待を湛えていて、まるで母親の帰宅を待つ小さな子どものようだと、 時折あかねは毛先を一杯に震わせて笑いたい気分になるのだった。

ようやく本日のブレンドが決まり、それらを計り終え、いつものように器に入れて準備を整えた頃、
視界の端できらきらと翡翠色が見開かれたのを感じた。 次いでギッと小さく鳴った、椅子の背もたれが立てる金属音。

どうやら、捜していた姿を見つけたらしい。
窓に背を向け、向き直った机に頬杖をついて瞳をゆるりと細めた、何かを思案する時の愉快そうな顔。

恐らく時間に遅れてやって来た彼女に与える懲罰でも考えているのだろう。

もし自分が五体満足だったなら、悪趣味な彼に向けて盛大に眉をしかめてやっただろうに。

そう出来ない僅かな苛立ちともどかしさに、あかねはゆらりと不機嫌に身体を揺らした。

やがて、薄いコンクリートの壁伝いにゴゥンゴウンと低いモーター音が響く。
それが止むと次に、トントンと軽い足音が金属のドアへと近づく。

いつもわくわくとした気持ちで数える、駆け足で近付く親友の音。

あと三歩、二歩、一歩−−−

ガチャン、とドアノブが回り、軽やかに滑り込むのは真っ白な腕と鮮やかな蜂蜜色。
走りこんで来た弥子は全力疾走に息を切らして、それでもあかねに笑顔を向ける。

「おはようっ!あかねちゃん」
「……随分と遅かったではないか…ヤ−−−」
(ヤコちゃん、ヤコちゃん! ちょっとこっちき来て!!)

ネウロが全ての言葉を発するより先に、あかねが手招くような動作で弥子を呼んだ。
「ん?なぁに、あかねちゃん」
(帰って来てすぐで悪いんだけど……今からお湯を沸かして貰ってもいい?)

あかねがディスプレイに打ち込んだ言葉にヤコがきょとんと首を傾げる。
「あれ、確か昨日沸かさなかったけ?」
(今日は寒いから、もう冷めちゃって。それに、弥子ちゃんにはいつも、熱いお湯で入れた美味しい紅茶を飲んで貰いたいな。って)

最初の半分は弥子を一時的にこの場所から離れさせる口実で、後の半分は心からの本音だった。

(……だめ、かな?)

上目で縋るように見上げると弥子はにっこりと笑い返し、ポン、余り膨らみの無い胸を叩く。
「別にいいよ、それ位!!それにさ、他でもないあかねちゃんの頼みだし…ねっ?」

ソファにポンとカバンを投げ置き、二つ返事で給湯室に向かう弥子背中をあかねはゆらゆらと見送る。

カーテンの影に弥子の華奢な背が消え、流れる水の音がするのを確認してから
あかねは、弥子への言葉を飲み込んだままのネウロをちらりと見遣り、挑発的に揺れる。
(……たまには貴方ではなく、私があの子を独占したっていいじゃないですか)
「……ほう?」

思わぬ方向からの横槍に毒気を削がれたらしく、毒気を抜かれ素の顔を晒していた魔人は、いつもの表情に戻り悠然と笑みを返す。
(……私だって、あなたに負けない位はあの子の事が好きなんです。少なくとも、たまに理由を付けてあなたから庇ってあげたくなる位には……)

あかねはそう返し、ツンと毛先を持ち上げる。



やかんを火にかけ終え、給湯室から戻った弥子は、お互い無言で見つめ合う二人の様子に一人首を捻った。


『大切』と書いて『だいすき』と読んでみるかは、個人の裁量にお任せしますw

某所でひっそり行われていた、通称「最萌え」にひっそり投下した弥子支援(俗に逆支援とも言う)。
 「ネウヤコ」ではなくあくまでも「ネウロと弥子」と、散々言い聞かせてもこの出来という……。

 書くにあたってmemoで悶々としていた私に、二人の距離感について丁寧な回答を下さった如月様に
この場を借りて改めて深く感謝。


date:2007.02.17



Text by 烏(karasu)