無題


単純こそが一番複雑…


「ねぇ、叶絵」

学校での休み時間、広げたままで放っておいたノートにうすくかかった影。
座ったまま、首だけ反らして見上げると、弥子は椅子の背凭れに手をかけたまま、伺うような視線を向けて来た。
ノートに落ちたその影同様、はっきりしないけど若干思いつめた表情に見える。
(私はこの子程は、他人の感情に敏感では無い。どちらかというと、同姓には鈍い方だ)

気付かないフリをして、いつもの返事を返す。

「何―?」
「放課後、行きたい所有るんだけど……付き合ってくれない?」
「いいけどさ、あんた今日――」
「マジありがと!!大好きっ!!」

叶絵の言葉を遮り大袈裟に言い、キャイキャイとはしゃぐ弥子。最初に感じた違和感が段々と強く。
「あんたさ、何かあったの?」
「ん、特にこれといって。……ただ、ちょっと事務所に行くのがだるいというか……」

弥子は引きつった笑顔でしどろもどろに言い訳を続ける。
その様子に、叶絵は聞こえないよう小さくため息を吐いた。 ――この子がこんな調子の時は、何か大きな悩み事が有る。とても重大な物が。絶対に。
そしてこんな様子の時は、絶対にそれを口にしないのだ。
どんなに宥めすかしても言葉でハメようとしても絶対に。
「そっか……んじゃ、久々に遊ぼうか!」

とりあえず深い事は聞かず、それだけ返事をしてやる。
少なくとも弥子に対しては、それが友情なんだと思う。
「うんっ!!」

無邪気に笑い、元気良く返事をする弥子の表情に、さっきの暗い表情は既に無かった。一応は。
「あんたってさ、いっそ可哀想になる位、嘘が下手だよね…」

チャイムが鳴り、自身の席に戻った弥子の背に、聞こえない位の声でそう呟いた。




放課後、HR終了と共に校門に向かうと案の定、弥子の助手がいた。
弥子がサボる時はいつも待ってるから、いるんじゃないかと予想はしていたんだけど……でも少し以外。
だって、この子がこんなにヘコんでる理由、絶対この人が原因だと思っていたから。


「先生っ!!お待ちしてました」
「あ……ネウロ、えと、こんにちは?」

しどろもどろに弥子が言う。頬を引きつった表情で。
「アハハ、何ですか?こんにちはって。ほら、ご友人が呆れてますよ」
普通の女の子なら、向けられただけで真っ赤になってしまいそうな位、綺麗な顔に浮かぶ爽やかな笑み。
しかし弥子は、笑いかけられた瞬間に青ざめ後ずさり、そのまま叶絵の後ろに隠れてガタガタと震え始めた。
「あ、コラ、何やってんの!?」

振り返ろうとした叶絵の背に、幼児のように縋り付く。
「いう事があるんなら、ちゃんと自分で言いなさい!」
と、小さい子どものお母さんような事を言い、背中からどうにか引っ張り出した弥子を再び助手の前に立たせる。
弥子は、しどろもどろであ…とかうっ…とか口で繰り返した後に、やっと声を発した。
「ごめんっ!!今日はどうしても叶絵と遊びに行きたいの!!」

震える声でなんとかそう叫んだ弥子の頭に軽く、助手が手を置く。
それだけで、弥子の体がビクリ、震える。
助手は、そんな弥子を冷ややかに見下ろした(少なくとも叶絵にはそう見えた)。
その後、ポンと手を離し、笑顔を作って言う。 「いいですよ、行って来て」
「へ……?」

予想外の答えに、弥子は間抜けに返事をする。
「先生一人が居なくったって、事務所は正常に機能しますよ」

助手のその言葉に、目を見開き、俯いた。
「あ……そ、うだね」
「だから、安心して羽を延ばして来て下さいね」
そのままぎゅうと弥子の肩を抱き、耳元で言う。
「う、ん、言われなくてもそうするつもり」
「では、僕はこれで」

そう言い、にこやかに笑いかけと、助手の男は素直に帰った。
「人前で、イチャ付いてんじゃね―よ」

とでも言って、茶化してやろうかと思って傍らの弥子を見たけれど、
親に置いて行かれた子供のように呆然と助手の背中を見送る横顔を見て、その言葉を飲み込んだ。
「……弥子?」
「あ、何でも無い!行こう、叶絵!!」
――あぁ、そうやってまた、何も言えないような笑みを作る。
一々そんな顔されちゃさ、適当に励ます事も簡単に慰めることも……出来ないじゃないの。


コツコツと、夕日で蜜柑色に染まったタイルを一定のリズムで叩くローファを見下ろす。
あれ以来ずっと続く、気まずい沈黙に耐えかねて。

「良かったじゃない。了解が貰えて」
「うん……」

学校を離れてから弥子はずっとこんな調子だ。折角久しぶりに遊ぶというのに、何を言っても上の空。
叶絵は大きく溜息を吐き、ふと、先ほど、校門の前で感じた疑問を口にした。
「そういえばさ、あの人、何でわざわざ学校まで来たんだろ?」
「あの人……って、ネウロ?」
「そうそう。急ぎの用事が有るんならいつもみたいに、問答無用であんたを連れてくだろうし」
「そう言えば、随分諦めが良かったような……」

待てよ、あ、でも……と、歩きながら、口の中で呟く弥子を、叶絵は隣で眺めていた。
突然、弥子が立ち止った。何か思い当たる事でも有ったのか、その表情が青ざめる。
「まさかっ!!」

弾かれたように鞄に手を延ばし、そのまま手を突っ込み――
鞄の中を探るように2、3度ぐにぐにと手を動かした後、「うぁ―」と大袈裟に声を上げてその場にしゃがみ込んだ。
「……どうしたの?」

呆れながらに聞けば、弥子は涙で潤んだ茶色の瞳で虚空を睨み、溜息と共にまた膝に頭を押し付けた。
「また、アイツに財布抜かれた……」

金糸のような髪と、スカートの間から絞り出されたか細い声は、
叶絵が弥子と同じ目線までしゃがみ、耳をすましたことでやっと聞く事が出来た。



「んじゃあ、ごめんね……」
「ん、いいよ。また今度ね」

お金が無ければ、遊ぶ所等ない(今時の女子高生をしっかりやるには、案外金が要るのだった)為に、
弥子は結局、事務所に向かう事になった。
がっくりと肩を落とす弥子を、叶絵は笑って見送った。

夕日の中、段々小さくなる背中に手を振りながら、叶絵はふと、さっきの弥子を思い出した。

『ほんっと、アイツってば手癖の悪い!!』

がっくりヘコんだ後、そう悪態を付いた弥子の横顔。
その顔は、口調とは裏腹に、親に悪戯を許された小さな子供のようにほっとした笑顔だった。
「本当、あんた達の関係は何なんだろうね?」
叶絵が溜息と共に吐き出したその問いは、白く大気に溶けて行った。


47話を読んだ直後の、自分動揺が伺えて恥ずかしいです。
最初に財布のシーンを書いてから前後を付け足したので、繋がりが若干おかしいです。


date:2006.03.23



Text by 烏(karasu)