べしゃん。
胸に感じた軽い衝撃の後に、響いた鈍い音。
つられ見下ろした足元には、ぐっしょりと水に濡れた海綿が転がっていた。
「アイ、身体洗って!」
投げた本人――彼女の主は、クリーム色をした風呂の縁に腰掛けて笑い、
先ほどの「仕事」で汚れた衣服を無造作に脱ぎ捨てた。
布地が吸いきれなかった水分がびちゃびちゃと滴る濡れた服は
重力によって床のタイルに叩きつけられ重い音を立てた。
「ねぇ、駄目っ?」
「…………」
丸まった服からじわじわと染み出した赤がいびつな線を描きながら排水溝に飲まれていく様を一瞥すると、
アイは足元の海綿を拾い上げた。
無邪気に笑う彼の頼みを、体よく断る為の方法を思案しながら。
「……貴方の全身を、この浴槽ともども、浴室用洗剤で洗っても宜しいのでしたら……」
あくまでも抑揚無く無表情に。逃げ道を探して発したその一言は、冷たい浴室に数度反響した後に
「いいよ。目、染みないようにちゃんとつむっておくから」
あっけらかんとした笑顔と声に、たやすく流されてしまった。
馬の耳に念仏。ふと、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
「……分かりました」
逃げ場が無い事を察した「賢明な協力者」は嘆息し、
裸足の足元に転がる血濡れた服を拾い上げ片腕に抱えた後、
空いた手で鏡台に置かれたボディーソープのボトルを取り上げた。
ざぁざとシャワーの立てる雨のような音。
幼い子どものように白く滑らかな皮膚を流れ落ちた赤い泡は
小さく渦を巻き――銀色の排水溝へと飲まれて行く。
「お湯加減はいかがですか?」
「んー。まあまあって所」
鉄サビに似た特有の生臭さは段々とうすれ、シトラスの香りが充満しつつ有る浴室内。
頭の上からシャワーで乱暴に水をかけられていたサイは、
座ったままの姿勢で半身を捻り――唐突に、背後に両膝をついて立っていたアイに抱き着いた。
「……一体、何のお戯れですか?」
細い腕が絡められた腰から、衣服が湯を吸いじわじわと生暖かく濡れて行く感触。
その不快感にアイは眉を潜めた。
「……アイも一緒に洗っちゃおうよ」
目を閉じたまま、拗ねたような口ぶりで言い、額を強く押し付けるサイ。
「………」
黙し、引き剥がそうとした細い腕に突然強い力が篭り――ギチッ、と小さく背骨が鳴った。
「ッ……!」
「ねぇ、いいでしょっ?」
無邪気な声と裏腹に、アイを見上げる視線はとても冷たく、何かを思案するように揺れている。
その思案の内容が、彼女には手に取るように分かった。
そして、相手はアイが「分かっている」ことを前提に「わざと思案している」のだとということも。
「………分かりました」
「流石はアイ!」
話が早いね、と、腕を解き笑うサイを見下ろし、アイは本日何度目と知れぬ溜息を吐いた。
――脅し文句や力技などよりむしろ、アイはサイのこの笑顔に弱いのであるが。
生憎、当の本人は気が付いていない。
イメージBGM:「渦」(ポルノグラフィティ)
ヘッドホンで必要以上に音を上げ、ヴォーカルの呼吸音まで聞こえる状態での、
「洗ってよ体中 息とめとくから さぁ」に妄想が爆発した事は誰にも言え無い秘密です。