ナンバー8


*タロットカードのNO,8は「力」のカード。

娘は獣を手なずける


出向先から化け物に呼び戻され、不本意とはいえ、久々に事務所を訪れた吾代に向けられたのは
労いの言葉でも挨拶でも無く、
「いい加減返せっ!」
「フハハ、だったら自力で取り返えしてみるのだな」

両腕をだらりと背もたれの後ろに垂らし、いつもの如くソファに踏ん反り返る化け物野郎の後頭部と、
その膝の上に向かい合わせで馬乗りになって、その襟元に両腕で掴みかかる少女という、
一瞬にして激しい脱力感と、絶望に近いほどの後悔に苛まれるような光景だった。
「……昼間から何やってんだよ、化け物ども」
「ム、おお!やっと来たか」
「あっ!吾代さんっ!?お願いっ、ソレっ取り返してっ!」

目前の状況に心底呆れながら、それでも何とか発した皮肉にステレオで返って来た言葉に眉を潜めながらも
その内の一方――切羽詰まった少女の声についつられ、
化け物の首筋から離れた右手が指差す先を咄嗟に目で追う。
……ピンと伸ばされた細い指先は、やたら分厚い本のような物を持っている化け物の左手に向いていた。
(……アレを、俺に取り返せってか?)

会って早々、いきなり難易度の高い『お願い』に辟易して固まる吾代。
視線に気付いた魔人は一瞬きょとんとした表情をした後、左手を軽く持ち上げ、
いつもの如くに意味深な笑みを向ける。
瞬間、条件反射で怖気を感じる程に無邪気な。
「良ければ貴様も見るか?」
「あ?…おいっ!」
ぽいと放り投げられた本は、綺麗な軌道を描き――
「あ…うぐっ……!」
「ちょっ……吾代さんっ!?」

勢いそのまま、それを受け取る余裕のなかった吾代の腹に思い切り当たり、
バサバサと派手な音を立てて床に落ちた。
「ふぅ……どうした?それ位しっかり受けとらぬか」
「何なのそのえげつない程に沈むシンカー!?しかも鳩尾に角から命中って……」
「うむ、既存の投法に我が輩なりのアレンジを加えたのだ」
「全く、何処でそんな無駄な技術学んで――あっ、吾代さんっ大丈夫!?」
(こ――っ野郎……!)

叫ぶどころか、声を発する余裕さえ無く蹲り、腹部の痛みと
頭上で交わされる上司共の勝手な言動に表情を歪めつつ、足元に転がる本を拾い上げた。
どうやらそれは、写真用のアルバムだったらしい。
落ちた時に偶然開いたページには、年の頃3〜4歳程の子供の写真が数枚貼ってあった。
背中まである淡い色の髪をふわりと靡かせ、同じく何処かに透明感のある、大きな茶色い瞳を細め、
幼い少女特有の、無邪気で、それでいて何処かで媚びているような印章のある笑顔を顔一杯に浮かべていた。
生憎、そのテの趣味に興味が無いのでよくは知らないが、恐らく美少女と呼んでも過言では無いその子供。
しかし、何故か笑顔にだけは見覚えがあった。
「あ――コレ、てめぇか?」
「あ、はいっ!よく分かりましたね」

顔を上げ、拾ったページを指し示すと、ソファから半身を乗り出し
心配そうな面持ちで化け物の肩越しに吾代の様子を伺っていた少女は、
心底以外という風に目を丸くした直後、その写真の子供そっくりの表情で、少し照れたような笑顔を浮かべた。



「ふむ、人とは進化だけでなく退化もするのだな……」
「はぁっ!何処が――てか痛い痛い痛いっ!?」

『ネウロは、最初私だって分からなかったんですよ』と、先ほど少女が放った余計な一言がどうやら、
化け物の逆鱗に触れたらしい。
化け物の暴力に対しギャイギャイと文句を付けいつもの痴話喧嘩を始めた少女の横顔と、
手元の写真を改めて見比べる。

やはり多少面影がある。というよりも、髪の長さ以外は驚く程に何も変わっていないのだ。
そもそもはこの少女、化粧っ気が余りないのと、現在目前で繰り広げられているような
化け物との色気皆無のやり取りで忘れがちだか、よく見ればそこそこ整った顔立ちをしているのである。
(まぁ、可愛いっちゃ可愛いんだよな……)
そうしてパラパラと写真を見て行くうちに、ある疑問が湧いた。
「なぁ、オメェさ、何で髪切ったんだよ?」 ――とりあえず伸ばしときゃ、多少の色気も有るように見えたろうに。
という本音の部分は言わずに、なんとなくそう聞いてみた。
「あ―、延ばすと癖が出るんで延ばせないんですよ」
少女は未だ化け物に抱え込まれたままで、顔だけ上げてそう答えた。
「あ?今時何とでもなんだろ、それにこの写真じゃ――」
「あっ、それはお父さんがやってくれてたんですよ。毎日お風呂上りにちゃんとブローしてくれて。
職業柄からかなのか結構凝り性で、嫌がっても――ってあれ?何でそんな驚くんですか?」
「あ、いや……」
言葉と一緒に遠くを見るように細めていた瞳をこちらに向けて心底不思議という表情で自分を見返す少女から
咄嗟に視線を外す。
「ん―、あっ!私が普通にお父さんの話をするから驚いたとか!」
「あ、まぁな……」

咄嗟に口をついた嘘はどうやら、変な所で鋭いこの少女に見抜かれずに済んだらしい。
――吾代の驚きはむしろ、あっけらかんとした少女の反応より寧ろ、少女の華奢な体躯を抱え込んだまま
涼しい顔で少女と自分のやり取りを観察する魔人に向けられていた。

しいて言うならば、独占欲とエゴの塊。
そんな化け物の執着心の強さを、吾代はよく知っている。
そいつが今、自分の手が及ばない過去の話――しかも肉親とはいえ自分以外の男との思い出を語る事を許し、
その上、話に横槍を入れたり少女にちょっかいをかけるでも無く聞いている。
吾代にとってそれはとても以外な事であり――また、少し恐ろしい光景でもあった。

少女に関する事ならば、一から十まで自分の手中に収めておきたがる化け物。
時に吾代でさえ恐怖を感じる事のあるその狂気をこうして無意識のうちに飼い馴らしているのは目前の
未だ幼さを残すこの――
「やだなぁ、そんなん気にしないで下さいよっ!もう、結構平気なんですから!……ねっ、ネウロっ」
さっきより少し影のある微笑みを浮かべ、同意を求めるように化け物の顔を覗き込む。
自分の感情にはとことん鈍い、少女。

化け物はきょとんとした顔で少女を見上げた後一瞬だけ、普段は見せないような柔らかな表情を浮かべ、
平生の傲慢さを感じさせる事の無い手つきでその頭を撫でる。
(しかしアレだ…無垢ってのが一番厄介で恐ろしいかもな…)
少女の言葉に適当な相槌を打ち、
化け物の『余計な事を言うな』とばかりに向けられた冷え切った視線を感じながら、
吾代はふと、そんな事を思うのだった。


1000hitリクで没にしたお話のリサイクル品です。
ファイルを整理してたら出てきたのでUPしてみました。
ボツにした理由は「話に芯が多すぎるから」だったと思います。
書きたい事を絞込み、簡潔にまとめられる文才が欲しいです。


date:2006.08.26



Text by 烏(karasu)