小さな王国


2008年のクリスマス企画
サイアイ式

私の夢の国の王様は……。


「は、ああぁ……」
「……どうかしましたか、サイ」

粗末なパイプベッドの上、突っ伏した主から吐かれた盛大な溜息に、傍らの床へ座り、彼の脱ぎ散らかした衣服と、先ほど仕上がった洗濯物とをより分け畳んでいたアイは声をかけた。

「んん? いやさ、もうすぐクリスマスがやってくるなぁ−って思うと、嫌で嫌でイヤでいやでいやで……」

俯せに枕を抱き込みそこに顔を埋めたまま、嫌々と呟きながら足をパタパタと鳴らすのを、洗濯物に埃が付くのでやめてくださいとアイが一蹴する。

「確かに、様々な人間に『なって』祝日をこなさなければいけない貴方にとっては
煩わしいイベントの一つではあるでしょうけど……」
「それもまぁ、あるけどさあぁ−……」

ごろん、と、盛大にマットレスを軋ませて寝返りをうち、仰向けの体制になったサイにアイは無言で目を伏せる。

「楽しそうにされると白けてくるっていうか、『こんなイベントに何夢なんか見てんのさ、バカじゃないの?』っていうか……」

ふう、と溜息を吐き、両腕を頭に回して、蛍光灯の並んだ天井を――地上を見上げる。

「だって、今のご時勢、ナンにもならない夢なんて見るだけ無駄じゃない? 
 こんな子ども騙しの夢の国でさえも、たった半年くらい手入れされないだけで、こんな風に簡単に錆び付いちゃってるっていうのにさぁ……」
「……」

その動作につられ上を見上げたアイも地下にある、この、元々は職員の休憩室兼、医務室であったらしい殺風景な小部屋の暗い天井より上に有る、
地上の――ほんの少し前までは、そこそこの設備を備えた遊園地であった場所の様子を記憶から引き出してみた。

最初の頃は連日開園していたものが、時代が経つにつれ段々と経営が立ち行かなくなり、学校の長期休暇と祝祭日だけの営業へ。
そして半年程前ついに、他の園からの引き取り手のない規模ばかりが大きく珍しくもない鉄クズだけが残され、ついに閉鎖されたらしい。

今回目的を達成するまでの、ここを暫くの巣とする為にサイを連れて初めて訪れた日には朝から霧雨が降っていた。
手入れされなくなって久しい、隙間から背の高い雑草が伸びた花壇に挟まれた雨に濡れたアスファルトの通路との間に点在する、亡霊のような観覧車や、
ペンキの禿げた回転木馬や錆の浮いたジェットコースターのレールなどが、鉛色の影を落としてじっと佇んでいた。

目的とする場所を目指し、それらの前を横切りながら、ふと盗み見た横顔。
表面上は普段と同じように見えながら、今回のこの場所を説明する折アイの口から漏れた『遊園地』という単語にひそかにときめいていた様子の彼の目に、一瞬失望が宿ったのを覚えている。

そうしたアイの記憶の中のサイは、現在こうして彼女の目前で、行事の価値に疑問を抱いた風を装って、ふてくされているサイと上手く重なる。

成る程、これが『拗ねる』という行動なのかと心の中で得心する。

「クリスマスなんて、ガキがぴーぴー楽しんでいればいいんだよ……。親の手の中で踊らされて、さ!」

そうしたアイの仮説を裏付けるかのように、サイは再び寝返りをうち、膝を抱えて丸くなる。
「そうですか……」

アイは最後の洗濯物を畳み終え、重なったそれらを抱え上げて立ち上がった。
扉の方に向かいながら、肩ごしに振り返って見遣れば、サイは相変わらず彼女に背を向けたまま、小さくうずくまっていた。

「……サイ」
「んん−、なぁにぃ?」

眉を寄せ、憂鬱そうな顔をして、首だけで振り返った主人へと言葉をかける。

「もし、サンタクロースのような誰かの夢を叶える存在が本当にいると仮定して。
 ――貴方の願いが聞き入れられるのならば、どんな事を願いますか?」

はぁっ!? と声を発しそうなほどに大きく口を開け、心底に怪訝そうな顔をしたサイは一気に身を起こして俯き、顔を上げて破顔した。

「アハハ、あんたって時々面白いこと言うよね!」
「……そう、ですか?」
「うん! 俺としては自覚ない事が驚きだよ」

そうしてひとしきり喉を鳴らした後、また、ばふりとベッドに倒れて。

「勿論、自分の中身を知りたい……けど、それこそ夢がないか。
そうだなぁ――……どっかの王様になりたい。……程度にスケール大きいことでも言っておけば、アイの望む答えとしては及第点?」

さてどんな反応を示すだろうかと顔を向け、視線だけで見上げた彼女はしかし、普段と変わらぬ表情で慇懃に腰を折った。

「……かしこまりました」
「え? ちょっ、冗談だよアイってば!」
「それでは……」

優雅に身を翻したアイはリノリウムの床をカツリと鳴らしてサイの枕元へと歩み寄り、膝を軽く折って屈み、メッセージカード大の紙を差し出す。

「それでは明日の夜、こちらの紙へ書かれた時刻に、地上(うえ)の中央広場に来て下さい」
「……いいけど、一体何を企んでる訳?」

受け取りながら、怪訝に見上げるサイの疑問には答えず、アイはただ無言で一礼し、その場を離れた。



*

翌日、アイに指定された夜も遅い時間にサイは地下を通り広場へと出た。

外灯どころか、施設としての設計上周囲の建物からの街明かりさえ入らないに等しい広場は、淡い月明かりによって浮かび上がり、長らく手入れされていない歪な輪郭を辛うじて判別出来る生垣に囲まれてそこへ有った。

花の抜け落ちた花壇や周囲にリンザイしているはずの鉄クズは薄闇に覆われて、今はその痛々しい姿を彼の視界から隠している。

そうした全体の様子を一通り見回したサイは、ふぅ、と白い息を吐いて広場中央の時計を見上げ――不機嫌に眉を寄せた。

「アイ―っ、いるんでしょ−? もう時間なんだから出て来なよ−!」

周囲に反響した声に答える者は無かった。だかサイは何かを確信した様子で笑い、自身の向かって左にある、広場からアトラクションに向かって伸びる路地の一つへと歩み寄った。

「ねぇアイ、そこでしょ? 周囲への音の反響具合やヒトの呼吸音くらい、俺の耳なら簡単に捕えられ――」

しかし、サイの捕えた気配は彼が角を曲がり切る前に動き出し、そのまま通路の突き当たりにある建物の影へと隠れた。そうして再び、先ほどと同じ距離に遠のく気配。

その様子に怪訝な表情で首を傾げたサイは、次には口端をつり上げて笑み、ゆっくりと同じ路地へと入った。

「……俺を相手に鬼ごっこでもするつもり? い−よ、乗ってあげる! ただし、負ける気はしないケドね」

常にこちらと一定の間隔を保ち、近づけば逃げる、その気配。
それに追い付いてはまた離れられることを何度も繰り返し、先刻よりもはっきりとした光を投げ掛け月が作った追う対象の影が、
目前で駆け込んだ最後の角を曲がり、急に視界が開けてやっと、サイは自らが観覧車の前へと誘導されていた事を知った。

彼の追っていた気配はこれ以上逃げる事はせず、暗い鉄骨を背景にサイと向かい合う形でうなだれて立っている。
「……アイ?」

呼び掛けにスッと上げられたその表情に普段と特別違う所はない。
その真白く細い手の中に握られている、手入れの行き届いた銀細工の燭台と、そこに一本だけ点された蝋燭の明かりの付ける表情と見紛うような陰影を除けば。

「……何、ソレ?」
「見ての通り、燭台と蝋燭です。以前、あなたが下さった」
「そんな細工ものあげたかなぁ?
 ……まぁいいや。で、呼び出しといて俺から逃げた理由は何? まさか本当に鬼ごっこが目的って訳じゃ――」

言葉と共に歩み寄ろうとした所を止まるようにと手で制された。

そうして違いの間に1メートル程の間隔を開けたまま見つめ合う状態になりやっと、アイの口から白い吐息が漏れた。
「……今日は、あなたに一つ、私の魔法に付き合って頂きたいと思いまして」
「魔法? くくっ……なぁにアイ、あんたってば実は魔女だったの?」

サイのどこかに嘲りを含んだ笑いにも眉一つ動かす事せず、アイは凜とした冬の大気の中へと更に白い吐息を紡いでいく。
「えぇ、そうですよ。――ただし、」

燭台を握っていない方の腕が、スッと胸の上へと上げられたのに釣られ、サイは思わず視線をそちらへと向ける。
「あなたが私に『そうであれ』と望まれるのなら……ですけれども」

パチン、鳴らされた指の音が冷え切った空気を揺らした瞬間、彼女の背後の鉄屑へ一斉に明かりが燈った。
錆の禿げたゴンドラの全ての窓に有るその光は、電飾には無い温かさを持って、オレンジ色に揺らいでいる。

淡い光の中で長く伸びる二人分の影の上に、放射状に広がる結晶のような形をした鉄骨の影が亡霊のようにゆらりと揺れてかかる。

「もしかしてコレ、全部ろうそくで……?」
「えぇ、そうですよ」
「すご……っ」

呆然と観覧車を見上げたサイはアイの答えに小さな呟きを返した。
かと思えば不意に俯き、前髪の影になり表情が完全に隠れたままただクツクツと喉を鳴らす。

「……な−んて、こんな子ども騙しに俺が言うと、あんた本当に思ってたの?」

再び上げられ、淡い光が濃い陰影を落とす顔からは表情が完全に消えていた。
「こんなの、点った蝋燭の数だけあそこの中に人がいるってだけでしょ。人間を集めるのに使ったのは俺にくれた電子ドラッグのデータの名残?
 とにかく、何かしらのトリックが有る以上、こんなのは魔法なんて呼べないよ!」
「……確かに、呼べませんね」
「でしょ?」

答えとともに瞑目したアイに、サイは無邪気さと自信を含んだ声で同意を求める。
しかし、ゆっくりと目を開けたアイは続けて白く吐息を放つ。
「比較的正しい呼び名を探すのでしたら――これは全て、あなたのお力です」

ゆっくりと伏せられたアイの長い睫毛に、背後からオレンジ色の粒子が乗る。

その彼女の背後、何も無い闇の中に点った光に瞠目したサイが彼女の顔から視線を上げ周囲を見渡すうちに明かりは徐々に数を増し、二人の間に広がる闇には、こちらとの距離から生じた差異で大きさのばらついたオレンジの灯りが点在し、ゆらゆらと風に揺らされる。

「私の力はあなた自身の力であり、それを『魔法』と呼ぶかはあなた次第です。――ですが、これだけは是非、知っていて下さい。
 もしあなたが『そうあれ』と望むのなら、私は魔女にでもクリスマスの妖精にでもなりましょう。
 全てはいつだって、あなたを絶望させない為に――あなた自身の夢の為に……」

彼女の囁きに呼応するように風が鳴る。
鉄骨を抜ける木枯らしの、女の悲鳴のように甲高いひうという音と、それに被さるように何十も低く続く声を乗せて。

「サイ」「さい……」「サイ、さまぁ」

蝋燭の揺らめきと同じ数の音が折り重なって二人を囲む。
思い思いの呼び名で、祈りのように彼の名を呼ぶ声が――
 それらを暫く見渡したサイは、すうと一つ息を吸い、次の瞬間には呆れたような溜息と苦笑を漏らす。
  「そう……。じゃあ俺は、あんたと一緒にクリスマスを過ごしたいなぁ。今日を前祝いって事にしてさ! だから――」

先程のアイを真似るように頭上へと右手を伸ばし、白い掌をゆらりと踊らせたサイは、その口元に巧笑を浮かべて言葉を吐く。
「お前ら全員……もう消えていいよ?」

パチンと、サイの頭上で打ち鳴らされた指の音に、二人の周囲へ点った光は近くから遠くへ、波が引くようにゆっくりと消えて行く。

唯一、彼女の手の中に残された蝋燭の円い明かりの中で俯いた彼はゆらりと、その円から抜け出、闇に紛れた。

「どう? これくらいの『魔法』、俺一人でも使えるんだよ」

周囲を取り囲む暗闇の中、楽しげな声と、砂利を踏み締める足音だけが響く。

「ねぇ、アイ」
「……なんでしょうか?」

ゆっくりと自身へ歩み寄る音と気配を感じ、アイはゆるりと目を細め、視覚を遮断した。

きぬ擦れの音と呼吸音、伸ばされ背に回った手と、肩に乗せられた額も人肌の温さを失い冷え切っているのに、服に溶け込む呼気だけは熱い。

「今度はさ、逃げないでよ!」
「……ハイ、かしこまりました」

――そうして、最後の蝋燭の火は消された。


元ネタは、「ARIA」(天野こずえ)の、アリスちゃんとアテナ先輩のヨールカのお話。
最初は「ぶーたれるサイに、アイさんが『小さな王国』をプレゼント」といった心温まる話だった筈なのに、
何故か段々おどろおどろしい方向へ行ってしまった……。


date:2007.12.21



Text by 烏(karasu)