胸板てちてち


イラストとお話でコラボそのに。
生徒ヤコが脳噛先生の胸板をてちてち叩いてるだけ。
震災で暇だったころだと思われ。

※R15な描写もあります。

夏の朝



――てちてちてち、てちてちてち。

 まず、音が意識に届いた。続いて、裸の胸を塗れた掌で無遠慮にぺたぺたと触られている触感。
「せんせ、先生ってば……」
「……ハ、」
 続いて、聞きなれた声、続いて猫のように急に腹の上に乗った体重。
 それがてちてちと振れる掌で胸の上まで這い上がり、汗で濡れた皮膚が広い面積で触れあい、ずる、と擦れあう。
 滑らかで心地よいと昨夜思ったそれに無意識に腕を延ばし、宥めるようにぺしぺしと叩く自分の手も珍しく素手だ。目が開かない。
「せんせー、寝ぼけないでー! お腹減ったー」
 てちてちてちっ。
 暗転し、再び落ちそうになった意識を胸を叩く必死の掌に引き戻されて、ようやく目を開ける。
「んん……やこ?」
 後頭部の底が痺れるような暑さと胸部の重さの息苦しさにうっすら開いた視界には、胸の上に手を突いた、ヤコの姿。
 ブラインドを閉め忘れた窓からの強い日差しに、厚みのない、それでも曲線を描く肢体は白い。
 寝起きだからだけでなく溜まる、腹の底の重さにふいと目を逸らすと、胸に置かれていた汗だくの手が、ぺしっと両頬を包み込んだ。
「先生、いい加減起きてよ! お腹空いたんだってば」
 声に勢いはあるものの、腹に力を入れるような、大声を張り上げる事は出来ないらしい。
 その理由に重い至るには、声の振動にふるふると震える淡い桃色の、その上に付いた歯形よりも、昨夜の記憶の方が明確だった。
「私ずっと起きるの待ってたんだから」
「それはすみませんでした……」
「ほんとうですよっ!」
 頬から離れた右手に、てしてしてしっと、一層強く胸を叩かれた。
 しっとりと濡れた肌は吸い付くようだなどと、暑さと寝起きにぼうっとなった意識で思う。
 当の本人が目を逸らさせないようにしているのだから、無遠慮に眺めても良いということだろう。
 額から汗を滴らせ、それが目に入るのか、ふるふると振られる細い首も、締め切られた室内の暑さにほんのりと赤く色付いた肌も、所々に残る、鬱血も。
「しかし、随分と元気ですね……少々手加減してしまいましたかね」
 こくり、と、喉が鳴った事を誤魔化すようにそう言うと、びくりと身体が固まった。
「今夜から、桂木さんの物覚えに免じて少しレベルを上げましょうか」
 腰に置いていた手を滑らせ、項に張り付いた髪を掻き上げる。
「や、やだよっ……正直、いっぱいいっぱいだもん……手順多いし、痛いし、激しい運動、お腹空くし……」
 と、その刺激で石化は解けたようで、触れる手から逃れようと、じたばたと暴れ出した。
 ソコだけはぺったりと合わさった幼児体型の名残か、適度にやわらかい腹が擦れ、夏の暑さ以外の熱を助長させる。
 ……ので、気づかれるより前に、脇に手を入れて白い身体を持ち上げ、引き離す。
「よく……僕の起きるのを待ってましたね。冷蔵庫でも何でも漁るかと思ってたのに」
 シーツの下で籠もった熱気が水蒸気になるような錯覚を覚える程に籠もった熱が逃げる。
 ひとまずこちらの身体を跨ぐように腹の上に座らせ、ふぅと一息つく。
 しかしなるほど……これはこれで良い眺めと言えなくもない。
 などと数瞬見上げていると、やや居心地の悪そうに頬を染め、またぺたりと重なるように倒れ込んで来た。
 そしてまた、てちてちてちと拙い動作で、今度は二の腕を叩き、胸にはぺたりと耳を寄せて来た。
「いや、それは考えたんだけどね…その、そのっ」
「なんだ? 腹が減って動けなくなったか。それともついに、腹がいっぱいにでもなったか」
「似てるけど、違う……」
 するとヤコは真っ赤になり、がばりと抱きつき、首筋に顔を埋めた。
 汗に濡れた首筋にもごもごと何か言いたげな吐息が当たるのがこそばゆく、続きを促す代わりにきゅっと尻を抓ると、むっと息を詰める。
 が、おかまい無しに、脚を撫で、項を辿りと手持ちぶさたに手を動かし続ける。
 はぁと、やや息が上がるのが面白く、一層に手と、ついでに口も。
 こういうことばかり物覚えが良いと、昨夜言ったが、本当に覚えが早い。
「あ……ん。っと、んんっと、ですね……」
 てちてちてち。てちてちてち。
 言葉を探しながら、軽い力で胸を叩く小さな掌の熱が身体に移っていく。
「早く言え。我が輩も腹が減った。食うぞ」
「うぅう……」
 背中をつっと指の先で辿った所で、すりすりと、首と胸との交差点に額を押しつけて来た。
「あの……立てないの」
「は?」
「……言ったじゃん、いっぱいいっぱいって」
 と、ヤコは身を離して半身を起こし、シーツに手を突いてぐっと腰を持ち上げ――すぐにまた、ぺたんと腹の上に尻餅を突いた。
「……お、起きてからこんな感じで。腕の力だけでどうにかしようにも、その、どうにもならなくて」
 なるほどそれで、物を食べるどころか、服を着て身を隠す事さえ出来ず、どころか、シーツを巻き付けるような知恵さえ思いつかないまでに動揺していた訳なのか。
 と、納得した所、そこでやや首を傾げ、疲れの滲む顔を真っ赤にして両手で口元を覆い。
「こういう時って、どうすればいいんでしょうね……っぎゃ!」
 腕を引くと、細い身体は確かに面白い程簡単に倒れ込んで来て、こちらの身体に密着した。
 全く、何故こういった事に関しては飲み込みが早いというか、たやすく応用を利かせられるのか。
「ちょっ、離してよ! お尻撫でないでよー! ご飯食べるのーっ!」
「いいや、我が輩も腹が減った。すぐに食えるこちらが先だ」
 てしてしてし。てしてしてしっ。
 今度は遠慮なく。何度も叩かれた所は、昨夜の『運動』の名残もあって、やや赤みを帯びている。
 それを昨夜自分で指摘しておきながら
 だがまぁせめて、これくらいの抵抗は許してやってしかるべきだろう。
 初めての保健体育の成績として、及第点をおさめた、その褒美の一環として。

夏の朝の気怠さが好き。


date:2011/03/24



Text by 烏(karasu)