二の腕てちてち


イラストとお話でコラボそのいち。
生徒ヤコが脳噛先生の二の腕をてちてち叩いてるだけ。
震災で暇だったころだと思われ。

夏の午後。


「先生って色白いですよねー。羨ましい」

 てちてちっと、机の上に手のひらを突いていた腕の、二の腕に振れられているのだということを把握するまでやや掛かった。
 見下ろすと、先ほどまで苦々しく教科書に注がれていた目が丸く見開かれ、興味深げにこちらの二の腕を見上げている。
 そして、先ほどまでシャーペンを握っていた手が、こちらの二の腕の筋肉を拙く叩く。
 てちてちてち、てちてちてち、と。
「すごーい、静脈透けて見えるくらい白い。しかもプルプルってしない。先生ちゃんと食べてるの?」
 てちてち、てちてち。
 しっとりと汗ばんだ手のひらが捲り上げたワイシャツの袖との境を叩く。
 てちてち、てちてち。塗れた手のひらが肌に吸いつく。
「まぁそれなりには食べてますが……誤魔化しても、僕は貴女の補習が終わるまで、机の前からどけませんよ?」
「そんなんじゃないですよ。うわぁ、叩くと一層静脈目立ちますねぇ。てか先生、全然汗かいてないとか狡い」
「……桂木さんに、そんな女性的な思考が備わっているとは以外でしたね」
「しっつれーな、私だって女の子だよっ。てか、あっつ……汗くさくなりそう。早く帰りたい」
「全くもって同感ですね。だから……さっさとこの問題集を終わらせて下さい」
「はぁい……」
 前髪を濡らす額の汗を半袖のブラウスから伸びる腕で拭い、不満そうに口を尖らせ、そう返事をしたものの、二の腕を叩く手のひらはそのままだ。
 てちてちてち、てちてちてち。
 我が輩が夏休みのわざわざ真ん中に、この補習を組んだ事への八つ当たりなのか、はたまた気まぐれか。
「せんせ、冷たいね。日陰の中みたい」
「桂木さんは熱いですね、子供みたいだ」
「子供じゃないってば」
「だから、みたいなんじゃないですか」
 ただ単純に、ひんやりして気持ちがいいとか、そういう単純な刺激が良いのかも知れない。
「………」
 あえて何も言わず、教科書を構えていない方の腕をずっと机に置いておく。
 てちてちてち、てちてちてち。
 すると、今度は無心でこちらの二の腕を叩き始め、ついには両手を使い始める。
 まるで猫じゃらしにじゃれる、猫のようだ。
 揺れる黄色い頭は一体何を考えているのだろうか。腕に付いた僅かな脂肪の揺れが面白いのだろうか。
 ……この娘は、自分が補習を受けている側だという自覚があるのだろうか。
 今日中に夏休みの宿題を終わらせてやろうというのに。
「先生の腕、本当に羨ましいくらい白いよね。日焼け知らず。下手な女の人より肌綺麗だし」
「羨ましいですか?」
「まぁ、私も、一応女だからね。色気ないって先生は言うけど」
「フン、いっちょまえを」
 てちてち、てちてちてち。
 余りに無心に叩かれるので、腕を僅かに曲げて屈み、思わず自分も自分の二の腕に視線を落とす。
 ちょうど、自分の腕を左右からぺちぺちと叩く、自称女に覆い被さるようにして。
「そんなに近づかないでよ。汗くさいのわかっちゃうじゃん」
「元々貴様は乳臭いのだ、今更気になどするか」
「私は気にするんだってば……」
「フン……」
 耳元に鼻先を近づけてわざとスンスンと犬のように鼻を鳴らすと、やーだーと、余り嫌がっていないような声を出してやや身を捩る。
 その拍子に、てちてちと叩く手の力が若干緩んだ。
「あ、やっぱり余り赤くならない。……先生の腕、本当に綺麗。彫刻みたい」
「貴様、同じことを一体何度言うんだ……」
「でも……」
 すると、てちてちと拙く二の腕を叩くだけだった両掌をくるりと二の腕に巻き付けて、ぎゅむと、血管と筋肉に軽く指を食い込ませながら。
「先生の腕は、やっぱり男の人の腕だね。私の両手でも覆えない」
 しっとりとした掌が二の腕を包み、汗に塗れた前髪の張り付く顔をうざったそうにぶるぷると振ってこちらを見上げてくる。
「ヤコ……」
 腕を曲げて弛緩した筋肉に押されて、捕まれていた二の腕が膨張し捕まれていた掌が緩む。
 身体に覆い被さって、汗に塗れて頬に張り付く髪を上げ、がむりと火照った耳に噛みつく。
 頬に当たる、項から立つ子供のような体温の熱気。むわっと匂い立つのは甘ったるい十代の『女』の汗のにおい。
 むにっと唇で挟んで舌でころがすと、辛うじて縋っていた手がはずれ、とーんと、机の上に落ちた。
「余り刺激してくれるな……これでは、補習が続けられないだろう?」
 ごくと、喉の動く音がした。赤くなった耳たぶに、ちゅうと小さな口づけを落として逆さに見上げると、ぱくぱくと何か言いたげに唇を動かした後。ぎゅっと二の腕に縋り付いて顔を埋めて来た。
「……先生ずるい。えっち」
「煽る貴様が悪い」
 苦し紛れか、ぐにぐにとまた二の腕を掴んで来たので、こちらも耳たぶをはむはむと食んで仕返しをする。
 すると負けずに噛みついてくるので、今度はこちらも項に……といったじゃれ合いを繰り返すうち。
「あきゃっ!」
 と、霰もない声を上げてあちらが先に力つき、腕から手を離して机に突っ伏した。
「さてと、気が済んだのなら続きを始めますか」
「……せんせ?」
「はい?」
 ヤコは蛙のように伸びたまま、ノートの上に顎を乗せて、まだ赤い顔で見上げてくる。汗の滴が前髪から滴って、ぱたたと細い顎先から落ちた。
「ほんとに、今日中に宿題終わらせたら毎日構ってくれる?」
「えぇ、嘘じゃないですよ」
 そこで、少し考え、また覆い被さって耳元で言ってみた。
「何なら、泊まりに来ても良いぞ。……何せ我々は、恋人同士という奴なのだから」
「……あんまり言わないでよ、恥ずかしい」
 扉をを閉めた部屋、僅かに開いた窓のむわりとした熱気に、白いカーテンが揺れ、汗だくの娘がとろりとした目でこちらを見上げる。
 むわっと強い熱気に香る甘ったるい匂いが一層に強くなる。
 汗でブラウスの張り付いた背中が、はぁと吐かれた吐息で肩胛骨をすぼめる。
「ぜったい、おわんないよーせんせー」
「まぁまぁ、夏はまだまだ始まったばかりですから」

てちてちと二の腕を叩く掌の感触に目覚める朝も、あるかも知れない。

桂木さんはお年頃。


date:2011/03/24



Text by 烏(karasu)