「……ヤコ、一々言葉に頼るな」
いつもの薄笑いを浮かべ、ネウロはそう言った。
そうしていつものように、私がこいつに提示したほんのささやかな「お願い」は、声に出したその瞬間に即刻却下されたのだった。
まぁ、言うだけ無駄だとは最初から思っていたのだけれど。
でも、だからと言って「ハイ、そうですか」と、あっさり諦めてしまうのもなんとなく癪だ。
だってそんな適当な納得で欲求を誤魔化して、いつか手に入れられないままで無くなってしまったとしたら、そうした思いこそ悲惨じゃないだろうか。
だって私が――もしかしたらこいつが――明日も変わらずここに居るなんて保障は誰にも出来ない。
だからこそ、ここに有ると信じられてる今、欲しいのだ。
だけど――ただそれだけの我侭も、この魔人は許してくれない。
だってこいつは外道でドが付く程のSな上、情緒への理解が乏しい上に、合理的な事しか好まない奴だから。
……よしっ。なら今からその必要性を教えてやろうじゃないの!
心の中でそんなよく分からない気合を入れて。
相変わらず感情の読めない翠の眼を睨め付け、こいつ曰くの「足りない頭」をフル回転させる。
レトリックの技術も語彙も、こいつなんかより圧倒的に足りないのだけれど。
「でもさ、言葉って凄く大切なものだと思うよ。ほら、今だって私とネウロは日本語って言語を間に挟むことで意思疎通してる訳だし……」
「……例えば、だ――」
一瞬侮蔑を含んだ表情を浮かべ、反論をあっさり無視したネウロは続ける。
というか、黙殺は流石に酷くない?……私にしては結構、頑張ったのに。
「この世に一番長い求愛の言葉が有ったとする。しかしそれは、新たな単語とそれを繋ぐ「てにをは」さえあれば――どうだ、豆腐のような貴様でも簡単に覆えせてしまうだろう?
そんな不定形な物を信じ、あまつさえそれに心を傾けるなど、馬鹿げているとは思わぬか?」
「……うーん」
確かに、こいつの言う事にも一理有るだろう。
言葉に頼りすぎて本質が見えなくなる事はよくあるし、そうして起こったすれ違いの何割かが、回り回ってこいつの腹に収まる瞬間だって、すぐ傍で何度も見て来た。
そうしてこいつはその度に、ダラダラと涎を垂らし。私は深くため息をついて。
それでいいのだと、思った時も有った。
でも――
「でも、さ……言葉にしなきゃ伝わらない事も、有ると思うんだ…」
「……ほう?」
ネウロは片眉を上げ目を細める。
そんな微妙な所作だけでも、私に異義を唱えられた事が腹立たしいのだということが伝わってきた。
うん確かに、言葉なんてなくても慣れちゃえば案外分かるものなのかもしれない。
だけど、私がお腹に抱えているコレは口に出さない限り、この魔人にはきっと永遠に伝わらない。
それに、欲しいと思うのなら、その必要性を教えたいのなら――ソレを自ら与えてみるのも一つの手なんじゃないだろうか。
だから拳を握り締め、勇気を総動員して口を開いた。
「少なくとも……私は、言葉で言って欲しいし言いたい。それに、特にぁ、んた…に言…われたら、凄っく嬉し……ぃ」
緊張し、言葉を選んで、言いよどんで。
最後の方と一番肝心な所は、拾えるか拾えないかの音量になってしまった。
――そういえば間接的な表現とはいえ、気持ちを言葉にしたのは、初めての事かもしれない。
なんだ、結局ネウロの事ばかりを悪く言えないじゃん私。あははは……ハァ。
脱力し、丸めた背中。そうしてわざと、隠した顔に上るのは熱。
無駄に脈打つ心臓の音が、鼓膜を震わせ耳元で響く。
訪れた沈黙がいたたまれなくなって、そっと視線だけ上げてみる。
私の不意打ちに固まったらしい表情。無表情とはまた違う……と、正直思いたい。
そこに何かが有るのは確かだと思うが、大きな感情の起伏は見て取れない。
ね、何か反応無い訳!?笑うとか呆れるとか馬鹿にするとか……って何か、自分で思って、悲しくなってきた。
まともに顔が見れなくなって再び俯く。両の掌で押さえた頬は、未だに火照っていた。
あぁ、言わなきゃ良かったかも知れない。
でもさ、今感じてる羞恥も何もかも、ちゃんと言葉にしたからこそ、こうして感じ取れる感覚だ。
もしかしてそれだけで、かなり意義の有る事なんじゃないかな、と。
……凄く、恥ずかしいけどさ……。
そうして何度か冷静さと恥ずかしさの間を行き来した後、覚悟を決めてもう一度顔を上げた。
ネウロは今度こそ私の視線に気付いたみたいで、ニィッと口端を吊り上げる。
嫌な予感に、ちょっと身体が強張る。
「確かに、貴様の言う通りかもしれんな……。ヤコ」
「うぁいっ!?」
緊張の余り、思わず変な音を発する声帯。しかしネウロは気にも止めず、更に笑みを深める。
「一度しか言わん。よく聞け」
指でクイクイと、近付くように命令される。恐る恐る近づいた私の耳元に唇を寄せネウロの囁いた言葉。
それは、不覚にもこんなドSに相手に「お願い」なんて正攻法を取らせてしまう程、聞いてみたいと懇願していた、
回りくどい表現でどうにかこいつに伝えようとしたのと同じ言葉。
低い音で囁かれたそれは耳から伝って、私の頬を更に紅潮させて身を強張らせて――恐らく一生忘れられないだろう嬉しさを伝えた。そして――
「ふむ、音で聞くと案外羞恥を覚えるものだな……」
聞かされる事で照れた、どうやら私だけじゃ無かったらしい。
それでも、どこまでが伝わっているかは怪しいものだけど、
とりあえず今は、その事実だけで満足しておこうと思う。
とりあえず色々足して、原文の倍量くらいに増やしてみました。(一部誇張)
……その分全体の纏まりに欠けた結果、弥子ちゃんがかなり恋する乙女です(当社比)
ネウロさんの説得内容は、ちょっと聞きかじった、言語学における言語の捕らえ方の一つを元にしています。