人外【ひとでなし】


注意:「夢幻紳士」(高橋葉介)と「魔人探偵脳噛ネウロ」(魔人探偵脳噛ネウロ)の2作品のコラボです。
どっちも、または一方が苦手な方、こういう形の二次創作が嫌いな方はお帰り下さいませ。

路地裏で会った天使のこと。


「まぁ、仕方のないことですから。慣れています」

彼の前で目を伏せ、その少女はぽつりと呟いた。
 いや、少女というのは失礼であるだろうかと、彼――夢幻魔実也は紫煙を燻らせ、目前の少女に視線を向けながら考える。

足元に落とすよう僅かに目を伏せた横顔は、ふっくらと丸い頬の線と帽子の下の活発そうな短い髪も相まって、 いかにも、まだ世間を知らない女学生といった風の印象を与える。
 恐らくはあと数年で、彼好みの色香を含みそうなその桃色の唇が紡ぎ出すその音に、魔実也は天を仰ぎ、再び肺一杯に吸い込んだ紫煙を吐き出した。

(まったく……勿体無いことで)

現在、花も恥らう16の乙女だという彼女は、既にある男の妻であった。
 しかも、彼女は今をときめく帝都の華であり、その上で、彼女の言葉を臆面通りで受け取るのなら。

「だって、アレは人間じゃないのですから」

人ではない、別の何かの妻であるらしかった。

*

『女学生探偵、またお手柄』、『女傑! 帝都の華への独占インタビュー』
 新聞にて、これらの見出しに連日彩られるその少女、桂木弥子に魔実也がこうして出会ったのは、全くの偶然だった。

旧い知人の家を訪ねた帰り、先ほどの子供のようにふと覗いた袋小路で、自身の背よりも高い、境目から椿の木が覗く突き当たりの木塀を見上げ、途方に暮れたように面を伏せて嘆息した後姿を偶然に見かけたのだった。

とみに女の事になると親身になり過ぎてしまうのが彼の悪癖である。そのうえ今日は、「昼間、この辺りで人死にがあったのだ」という話題を肴に、件の友人と酒を煽った帰りだった。なので、その華奢な後姿に、思わずこう声をかけたのである。

「もし、お嬢さん。そんな所でどうしたのですか?」

急にかけられた言葉に驚いてか、びくりと肩を震わせた後にこちらを振り向いた女は、咄嗟に腕を広げ、その小さな身体で木戸を覆うようにしてこちらを振り返った。
 その一連の動きに、魔実也は内心で「おや?」と首を傾げた。

動作の拍子に、コートの下でぱらりと大きく捲れたスカートの裾より覗いた白い大腿よりも、僅かに強張ったその面が、以前どこかで見覚えのあるものだった事よりも。
 その、理由の分からない行動が、彼の生来持つ好奇心を刺激したのだった。

「その木に、何か気になる事でも?」
「い、えっ……決してそういう訳ではないのですが……」

煮え切らない態度で、しきりに背後を気にする彼女の様子を観察しつつも、咥えた煙草に火を入れ、とまどう様子の少女に手を差し出した。
「迷子なのでしたら、僕が大通りまでお送り致しましょうか? ここらでは最近、物騒な事があったと聞くし、何よりこんな時刻の女性の一人歩きは危険ですよ。それに、」
 
 ――どんな狼が、狙っているとも限らない。

少女の背に合わせて僅かに身を屈め、吐き出す紫煙と共に囁けば、少女は丸い瞳を更に丸く見開いた後に、先ほどと同一にクスクスと喉を鳴らした。

「ご親切にありがとうございます! だけど、心配には及びません。人を待ってるだけですので」
「ほう? こんな所でお一人で?」
「えぇ。助手が、夫が戻るのを待っているのです」

その言葉に彼は咥え煙草のまま天を仰いで、思考を巡らせた。少女の様子を見る限り、どうやら苦し紛れの嘘である様子はない。

「ならば、僕も一緒に待ちましょう」

そうして他愛もない世間話に華を咲かせているうちに、彼女が帝都の華と呼ばれる彼の女学生探偵だということを知った。
 気づかなかった事を彼女に詫びれば、普段は新聞の写真しかも袴姿の事が多いからだろうと返された。

まぁ確かにそれもあるだろうと互いに頷いた所で、しかし、こんな場所に妻を一人で放っておくとは、酷い男もいたものだと嘯いた彼に対し、まぁ仕方ないのですよと、弥子が応じたのが、冒頭の台詞である。

それは一体どういう意味か、そう聞き返そうと口を開きかけたその時に。
カラランと、背後で鳴った軽い音に、魔実也と少女は同時に顔を上げた。咄嗟に腕を広げ、彼女を庇うようにして振り返った路地を、急いで踵を返したらしい子供
の後姿が抜けて行く。

先ほどの音はどうやら、その肩に担がれた竹の棒が塀に当たって立てた音であったらしい。
 拍子抜けし、思わず溜息を漏らした魔実也の背後で、クスクスという抑えた笑い声が上がった。

「すっかり、怖がらせちゃったみたいですね」
「まぁ……。無理ないでしょう」

正面へと向き直り、腕を大きく広げた事で僅かに乱れたバントネットの裾を引いて直す間も、少女の笑い声は止まなかった。
 確かに仕方のない事であろう。街中の道から数本奥まった、逢魔ヶ時の袋小路から不穏な会話が聞こえ、覗いた先で黒い帽子にインパネスという、全身黒ずくめの男など見かけてしまったのなら。

その上、昼にはこの近くの住宅で件の事件が起きたのだから、子供どころか、大の大人が怯んでもおかしくはない状況であろう。
 だがしかし、それにしても。

「ちょっとばかし……笑いすぎじゃないかね、お嬢さん」
「あはは……え、へっ?」

口元を抑える手はそのままに、笑いを収めて目を丸めた姿は、やはりそこらの女学生と変わらない様子で。
 女学生探偵などという通り名で連日新聞を騒がせている人間と同一には、魔実也には矢張り思えなかった。

「やっぱり私、あなたの抱いていた印象とは違いますか?」

 そんな彼の心を読んだようにそう問い返し、こちらの様子を伺う上目遣いに、魔実也は僅かに目を見開く。
 なるほど、確かに女だてらに探偵などするだけあって、それなりの観察眼は持っている様子だ。

「まぁ、女傑と評されるからに……もっととっつき難い娘だとは思っていましたがね。口やかましくて、女史という形容でも付けないと、やれ女性軽視だと言い出すような……」

付け足した例えに、弥子は気を悪くした様子もなく、また楽しそうに喉を鳴らした。

「でも、口やかましいのは本当でしょ? 蓮っ葉だって、よく叱られるんですよ」
「いやいや、若い娘は少しばかし活発な方が可愛げのあるものでしょうに」

気恥ずかしそうに色素の薄い前髪を書き上げる少女の頭の上、ふと見上げた空はいつのまにか厚い雲に覆われ、周囲にも闇が迫り始めていた。帝都では珍しく、雪でも降りそうな天気だ。

ガス灯が点る街中ならばともかく、周囲を塀にかこまれた薄暗い路地裏に、若い娘を躊躇なく放っておくなどと、やはり碌な男ではない。
 自分が最初、若い狼を嗜める狼など演じていた事も忘れて、魔実也は少女に断り新しい煙草を咥え、マッチを擦りながら眉を顰める。

そして漸く、先ほどの少女の言を思い出した。彼女の夫は人ではない。だから、この扱いも仕方ないのだと言っていた。

「そういえば」
「はいっ?」

マッチを足元に落として踏みつけながら切り出した言葉に、少女は軽く首を傾げた。

「先ほど貴女は僕に、自分の夫は人ではないと言いましたね?」
「はい、言いましたけど……?」

投げかけた質問に、何の躊躇もとまどいも無い様子の返事が返ってくる。まるで、今日の天気のように、誰が見ても揺らぎ無い事実を聞かれでもしたかのように。

「それが真実だとして、何故僕に――ついさっき出会ったばかりの、素性も知れない男にそんな重大なことを打ち明けたのですか?」
「……え?」

少女はやっと合点が行ったという様子で、あぁと小さく簡単の息を漏らし、胸の前で軽く手を打った。

「それは……」
「それは?」

彼が俯きがちに目を伏せた少女に覆いかぶさるように背を曲げた時、路地の入り口でかさりと、僅かな衣擦れの音がした。

「あっ、ネウロっ?」

音と同時に背後からかかった声に、魔実也が先ほどのように腕を伸ばすより先に、弥子が僅かに身を乗り出し、彼の背後に向かって驚いたように声を上げた。

「先生、お待たせ致しました」

いつの間に距離をつめたのか、真後ろにまで近づいた声に、魔実也は不承不承振り返る。

「どうも、僕の妻がすっかりご迷惑をかけたようで」

僅かに見上げるようにして合わせた相手の瞳は生垣の椿の葉のような緑。黒い外套を軽く羽織り、妙に寒々しい青色の背広を纏った長身の男はそう言い、慇懃に腰を折って見せた。
 彼としては元来、余り男と話しこむ趣味は無い。しかも。

「本当に、申し訳ありませんでした」

言葉と共にこちらを見上げた視線。三日月のように細められたこの国では余り見慣れぬ深緑の中に、一種の剣呑な光が宿ったのを、魔実也は見逃さなかった。
 なので憚る事なく、侮蔑を込めて見下ろす視線でもって男の深緑を受け止めた。

(こう嫉妬深そうな輩とは……余り係わり合いになりたくないな……)
「もうっ、大分待たされて寒かったんだからね!!」

身に覚えの無い嫉妬をわざわざ受けてにらみ返す事にも飽き始めた頃、背後に囲うような形になっていた背後の、彼の奥方が頬を膨らませて声を上げた。
 途端、剣呑な光は弱まり、元のように背筋を伸ばした男は魔実也の背後の少女に笑いかけた。

「すみません、先生に頼まれた調べ物に思いのほか手間取ってしまいまして……」
「あ……そういえばそうだった、ね。ありがとう、ネウロ」
「いえ、お安い御用ですよ。でも、」

男が黒手袋に包まれた手を僅かに上げた途端、弥子は先ほどまでの勢いを引っ込め、ぎこちなく頷いた。
 その様子に、男は笑みを深めて至極満足そうに頷き、冷たい外気に白さを増した様子の少女の頬をその手袋の両手で包み込んだ。
 そうしてそのまま、わざわざ魔実也の背後から引き剥がすようにして自身の方に引き寄せ、額と額をくっつけるかのように覆いかぶさる。

「旦那様、とでも呼んで頂ければ、もっと嬉しいのですがね……」

先ほどまで無垢な横顔を晒していた少女が、帽子から僅かに覗く耳まで真っ赤になるのを冷ややかな面持ちで眺めながら、軽く溜息を吐く。

「……まぁ、久々の再開に胸躍るのもわからんではないが、惚気るのはその位にしてくれたまえよ。続けるなら、カフエーやバーにでも行かないかい? なんせ彼女も僕も、この寒空の下にいたのだから」

その上一雪きそうだ、と、付け足したと同時に、頭上をひらひらと舞った白い断片に、少女が感嘆を上げた。


*

ひらひらと舞う雪が、光を揺らがすガス灯に透かされては、土埃さえ立たないしゃりしゃりと凍った道の上に落ちて行く中を、同じくガス灯の明かりによって、煉瓦作りのビルディングに映る三人分の影が渡ってゆく。
 少女と青年二人の影は、一見すれば親密そうに並び、風に揺れる頼りない灯りにゆらゆらと揺らいだ。

あれから結局、魔実也はこの探偵夫妻と夕食を共にする事となってしまった。
一応は人妻とはいえ、若い女性に誘われて悪い気はしないのでとりあえずと乗ったのだが、少女の異常な食欲と、その助手から時折向けられる探るような目線以外は、概ね良い会食だったのではないかと思っている。

元々、招かれての会食とは相性が悪い性質なのであるから、狐狸妖怪の類ではない生身の若い娘の酌で、まともな料理を口にする事が出来ただけでも良い方であろう。
 まぁ、人では無い物は一緒だったようだが。

そんな思考を巡らせながら何となく隣の男に視線を据える。

「……何か?」

そのぶしつけな視線にめざとく気づいたらしい男が、怪訝な顔を此方に向けるのに苦笑し、魔実也は煙草とマッチとを取り出す。

「いやね……そういえば奥方が、妙な事を言っていたのを思いまして」
「ほぉう、妻が、一体何を?」

シュツと小さくマッチの鳴るのと同時に、彼も男も、半歩程前を行く、桂木探偵の華奢な背に目を留めた。
 男がそのままゆるりと目を細めたのを目の端に捕らえ、煙と共に殊更鷹揚に続きを吐き出す。

「あなたが――人間じゃないとね」

魔実也の目の端で男は軽く瞠目し、そして、耐え切れないとでも言う風に笑い出した。
 その様子に僅かな不快は感じたものの、気づかなかった振りをし、尚も煙草をくゆらすと、男が笑いを含んだ声のままに口を開いた。

「あの食欲を見たでしょう? 化け物は寧ろ先生の方ですよ」それから、少女に向けた視線を細め、ふっと口元をほころばせ。
「先生は、あれで冗談がお好きな方なのです」と付け足す。

「あなたは、そんな戯言を本気で信じたのですか?」
「まぁ、ご婦人の言う事は基本、疑わない事にしているのでね」
「ほぉう、それは良い心がけで」
「ふむ、寒空の下に女学生を放置するよりは、自分でも遙かに良い心がけだと思うがね……」

心底軽蔑の篭った言葉と視線をのらりくらりと適当に交わし、互いに無言になった所で、前を行く少女が、あっ! と、素っ頓狂な声を上げて立ち止まり、魔実也を振り返った。

「そういえば私、お名前っ、まだ聞いていませんでしたよね? あんなにお世話になったのに!」

その唐突な申し出に魔実也は思わず目を見開いたが、隣の男が苦々しげに口元を歪めたのに、思わずにんまりと笑いを零した。

「今更ですけど……聞いても、いいですか?」
「えぇ、構いませんよ。僕の名は」

笑顔と共に彼が言葉を発したその時、彼の傍らで影が大きくはためいた。

「ヤコ」

その影が隣で不愉快そうな顔を作っていた男の外套の裾だという事に気付いたのは不覚にも、つい先ほどまで横にいた筈のその男が、彼の目の前で、身につけた外套に少女の華奢な体
躯をしまい込むようにして背後から抱きつき、その顎に手を掛けて引き寄せてからだった。

「何もわざわざ、聞いてやる義理もないだろうに……」

先ほどまの慇懃な口調と代わり、不遜な口調で呟かれたその言葉に彼が僅かに眉を寄せる間に。
 魔実也と同じく、何か言いたげに尖らされた少女の口を塞ぐようにして頤の手を滑らすと、少女を抱えるように曲げていた背を伸ばし、男が顔を上げる。

「それでは、僕らはここらで失礼しますね」
「むぐっ……ぐぐぅ!」

そのまま、目を白黒させながら、細い両腕を振り上げてモゴモゴと藻掻く少女の腰を抱えると、そのまま引きずるように傍らのビルディングへと歩み寄り、こちらを振り返り一礼した。
 瞬間、革靴の足を壁へとかけ、外套の裾を風に靡かせながらビルディングの壁を上っていった。

「話の続きは、いずれまた――」

その声が降る雪に飲まれて消える頃には、その外壁には人影どころか僅かな染みさえも見えなかった。
 そのくすんだ壁をしばし呆然と眺めた後、彼は無言で、新しい煙草とマッチとを取り出した。冷えた外気と共に紫煙を肺に吸い込み、雪と同色の煙をふぅと吐き出して頬を掻く。

「全く……どうせ再び会う予定がないのならば、想像の余地くらいは残すべきだと思うがね……。それとも君、そんなに気にくわなかったかね?」

白い吐息と共に吐き出されたその呟きに、答える者はただ雪片を孕んだ風のみである事に目を細め、魔実也は僅かに肩を竦め、にんまりと笑む。

「もしも君が言う通りに奥方の方が怪なのだとしたら、成る程、以外と僕好みの年頃であるかも知れないと考えた事が」

ガス灯の下、返らない返事の代わり、降りしきる雪の中、闇夜を見上げて一人紫煙をくゆらす青年の遙か頭上で、僅かに鳥の羽ばたきが鳴った。


終幕


キヤスト:
夢幻魔実也(夢幻紳士怪奇篇+外伝)、桂木弥子(魔人探偵脳噛ネウロ)、脳噛ネウロ(魔人探偵脳噛ネウロ)

以上が、クリスマスを無視してまで新品のEeePCで打ち込んでいた、でっち上げのエセ怪奇編でした。
魔実也氏の活躍した時代に足並みを合わせた為、探偵二人を昭和に招待し、時代性を考慮したふしだらでない関係性を持って頂きました。
三人が三人、勝手に動くものですから、無駄にだらだらとしてしまいました。
「冬休み特別企画」ということで、モボでモカな探偵夫婦を、おおらかな気持ち楽しんで頂けたなら幸いです。


date:2008.12.25



Text by 烏(karasu)