かえるひめ


memoの内容を再編集しています。
*弥子ちゃんが幼女設定のパラレルです。

 

雨の日には楽しい歌を

今朝方から降り出した雨は、午後になり段々と強まるばかりだった。
灰色がかった空の下、風は建物の間を擦り抜ける度に、びゅうと、獣の慟哭のように鋭い音を上げて絶えず吹き荒れ、
その度、見下ろす歩道に点在する若葉を纏った街路樹の枝を強くしならせ、ネウロの覗く事務所の窓にぱらぱらと、無遠慮に雨粒を打ち付ける。

机に置いたテレビから流れる天気予報によればどうやらこの天候は今日一日続くらしい。
明日からは回復するとも言っていたが、この様子では怪しいものだ。
ネウロは溜息し、窓に背を向け席へと戻った。


「ん−んん――ふれ、ふれぇ」

事務作業を再開して暫くし、聞こえて来たのは高い音で紡がれる調子外れの鼻歌。
よく聞けば、音程こそ微妙に違うが、この季節にはよく耳にするこちらの世界では比較的有名な童謡。

顔を上げ、歌の聞こえる方向を見遣れば、この事務所の所長である少女――今は諸事情によって心身ともに幼児と化している――が向かいのソファへ仰向けになり、黄色の幼児用長靴と格闘していた。
「かあ…っ、さ、んがぁっ」

寝転がったまま、両手で長靴を固定して片足を無理矢理押し込んで行くその動作は、どうやら履きなれないそれを自力で身につける為、足りない頭で一生懸命考えたどり着いた方法らしい。
何度かバランスを崩して床に転げ落ちそうになりながらも、どうにか長靴を履き終えて身を起こす。

得意げに立ち上がった弥子はいつの間に着たのか、既に黄緑色をしたケープ式のレインコートを纏っていた。
「あっ、あかねちゃん、ひもむすんでっ!!」

そのまま、とてとて頼りない歩みであかねの居る壁際に走り寄る。
少女が動く度、蜂蜜色の髪とカエルの目玉を摸した飾りが付いたビニール性のフードが小さな背中でかさかさと揺れる。

自分で結べない首元の紐をあかねに結んで貰う間、その目はそわそわと入口のドアと――その横の壁に立て掛けられている幼児用の傘へと注がれている。

その場の期待と興奮に支配された幼い少女は、一部始終を観察している魔人の視線には全く気づいていない。
「うっれしい―な、んぐぅっ!」

綺麗な蝶結びが完成し、頭にフードを被せて貰った途端、ドアに向かい脱兎の如く走り出そうとした弥子を椅子から立ち上がったネウロが、その頭ごとフードを掴み上げて捕まえた。

そのまま、小さな身体をひょい、と猫の子のように吊り上げて持ち上げる。
「ヤコ、一体…何処へ行くつもりだ?」
「……ろ−か…っ」

問えば、少女はわざとらしく視線を逸らし、小さく答える。
腰に手を添えて向かい合う形で抱き直し、今度は視線を反らせないよう小さな頭に片手を添えて固定する。
じっと目を覗き込まれて動揺する少女へと、ネウロは再び、ひと言づつ、噛んで含めるように問いをなげかける。

「ヤコ、今日の天気は?」
「……あ、め」
「風は?」
「すごぉく、つよい」
「今朝、我輩は貴様に何と言った?」
「ぬれると、めんど−だからっ、きょうは、おそとにいったらだめ……」
「破ったら……?」
「えっと…おやつがなくて、ぶれーんばすたぁでね、あとは……」

魔人は少女の答えに満足げに頷いた後、柔和に笑いかけ、軽く首を傾げて問う。
「で。貴様は一体、何処に向かおうとしていたのだ?」
「ひっ………ごめ、なさいっ」

その表情の意味をよく知る少女は俯き、涙声を発する。
「……まぁ、解れば良い」

ネウロが頭に乗せていた手でぞんざいに頭を撫でると、少女は背を丸めたままふぅ、と小さく息を吐く。
「――しかし、二度目は無いからな……」

耳元に呟けば、再びピンと張る背筋と、襟元に縋る小さな手。その素直すぎる様に魔人はくつくと喉を鳴らす。
「で、何故わざわざ禁を破ってまで外に行こうとしたのだ?」
「あのねあのねっ、ネウロがね、かさをかってくれたのうれしくてね、だからずっとずっとあめのひ、まってたの。それでね、きょうはあめがふったから、うれしくてね――」
「……つまり、傘を使う為に外に出たかったと?」
「うんっ!それとね、れいんこーととながぐつと、あと……」
「分かった、もう良い」
 

話を打ち切り、無言で何かを思案し出す魔人を、少女は抱き上げられたまま、おどおどと見上げる。
「……ね―ろ…?」

名前を呼ぼうとした途端、身体を離され床に下ろされてしまう。

やっぱり、怒らせてしまったのだろうか?

じっと目を凝らし見上げても、身長に差が有る為に、その表情は分からない。
弥子は不安を堪えて俯き、ぎゅっと、魔人のスラックスの裾を握った。
「……よしっ!」

ぽん、と頭に置かれる手。

その感触に瞠目し、少女が声に顔を上げると、魔人が長身を屈め覗き込んでいた。
「行くか」
「えと……どこ、に?」
「散歩に、だ」
「え…ほんとう!?」

途端、ぱっと花が綻ぶように微笑む少女の頭を撫で、現金なものだ、と呟き笑った。


「言っておくが……貴様が風に攫われようが溝に落ちようが、我が輩は助けぬからな」
「えぇ―っ!」
「……冗談だ。さて、手を貸せ。今日は階段から行くぞ」
「んっ」

――そうして、魔人と小さなかえる姫は、雨の午後のお散歩へと出かけて行った。


幼い弥子ちゃんのお話は、書いていて一番楽しいから困ります。
 という訳で最後、memo版になかったオチを付けてみました。……手抜きだけど。
他にも色々、言葉を変えたり細かい動きを加えたりしているので、
memo版と読み比べてみるのも楽しいと思います。


date:2007.05.13



Text by 烏(karasu)