夏の庭


*幼女時代弥子と、誠一父さんの捏造話です。

ある夏の夕方、私と、私の羽根は――


 それはずっと昔の夏。
私の妻――遥に出張の予定が入り、その時期ちょうど、依頼されていた仕事が一段落したことで連日家に居た私が、あの子の世話を引き受けていた時の話なんだ。

午後になって突然降り出した夕立の止んだ、明るい入り日の頃。居間の窓を開け離して涼んでいた私の所に、
少し前から庭に出て遊んでいたあの子が駆けて来た。

邪魔になって勝手に脱いでしまったんだろうね。
小さな背中には外に出る時に被せた麦藁帽子を背負い、何かを掴むように胸の前に両手を組んで。
忙しない様子で走って来て、窓からこちらに身を乗り出し、目をまんまるにしてこう言うんだ。

「ねぇ、おとうさん! これっ、すごいでしょ!?」

私は窓から少し離れた床に座っていたのを移動し、縁側の縁に手をかけて、

「一体、何がそんなに凄いんだい?」

そう問い返して覗き込むと、あの子は、「ほらっ!」と、胸に押し付けるようにしていた両手を広げてみせた。

ちいさな手の中に握られていたのは、鳥の風切羽だった。
カラスやハトより少し大きい位のソレの中で、何より一番目を引いたのは、その鮮やかな色。

極彩色、とでも言えば良いのかな。濃い紫色をベースに、夕日の中で傾け、僅かに角度を変える度、緑や朱など、微妙な案配で別の色が乗る、といった具合で。

何かの飾りとして彩色してあるには色が自然すぎるし、孔雀やオウムなどといった、ペットとして飼われるようなものと比べると、圧倒的に色数が多い。

水鳥の羽にしては少しばかり大きいし、何より、住宅街のド真ん中に、そんな物がいるのだろうか?


「ねぇ、おとうさんは、なんのはねだとおもう?」

きょとりと、首を傾げて無邪気に問われ、どうしたものかと考えあぐねた挙げ句に、

「……きっと、日本に住む鳥ではないだろうね」

結局、そんなありきたりな言葉しか返すことが出来なかった。

「弥子、これは一体どこで拾って来たんだい?」
「えっと、そこんとこ……」

小さな指を、ぐいと伸ばして指差すのは、庭を囲うブロック塀の根元。

家の敷地外で拾ったのではないということで、帽子や衣服の飾りであったり、どこかの家で飼われているペットの物である可能性は、ぐんと低くなった。

なら、この羽の主がどこかからか逃げ出して来たという可能性はどうだろうか。

もし朝からあったのなら、掃除の際に美和子さんが気付いただろうし、
それに午後は、ついさっきまで激しい夕立が降っていたのだから、からりと乾いたその羽が、それより前に落ちたという事はないだろう。

それに……。わくわくとした表情で見上げて来る娘の手に、ちらりと視線を落とす。

この大きさで、しかもこんなに派手な色彩の鳥がいたのなら、普通誰かは気付くはずだ。

「……どこかのペットが逃げ出したのか、渡り鳥が迷ったのか……とにかく、そんな所だろうね。ちゃんと調べてみなければ、解らないだろうけど」
「えっ、……じゃあ、この鳥さんには、おうちがないの?」
「う−ん、そうかも知れないねぇ……」

調べるとしたら、図書館かインターネットか…。
その鳥の正体を知る為の手段を考えるのに夢中になる余り、つい適当に返してしまった言葉に、あの子は長い間、眉根を寄せて、うんうんと何かを真剣に考えている様子だった。

そうして、

「――もしほんとうにおうちがないんなら、やこ、このこのおうちになって、あげたいなぁ−……」

独り言めいた呟きに顔を上げれば、娘は――弥子は、羽を大切な人形でも抱くように胸に押し付け、俯き加減に微笑していた。

背後で沈みかけた茜色に近い夕日が、肩で切り揃えられた淡い色の髪を透かし、丸い頬の柔らかな稜線を、小さな身体の輪郭を金色に縁取ってゆく。

角度を変え、その背から入り日の射す度、腕の中に抱かれた羽は絶えず色合いを変化させ、細められた丸い瞳の中に様々な色の光を反射させ。

本当に――今思うと本当に、馬鹿げた話だと自分でも思うのだがね、
その笑顔が余りに人間離れして綺麗で、まるで天使でも見ているようだと感じたその時、
私は「この子はずっと、私より先に死んでしまうんじゃないか?」と、一瞬だけ、本気で思ってしまったんだ。

小さな掌に握られた極彩色の不思議。
この子はいつか、その「不思議」の主に魅入られて追いかけて。
そのまま――私の手の届かない場所に行ってしまうんじゃなだろうかと。

突然立ち上がり、腕を伸ばして自分を強く抱きしめて来た私を、あの子は心底不思議そうに見上げていたよ。

「おとうさん、こわいかおして、どうしたの? どっかいたいの?」なんて。




***



「生憎……皮肉な事に、先にこの世界から消えてしまったのは結局、私の方だったのだけどね」

「フン。……くだらんな」

「うん、そうだろうとも。主観的で何の根拠もなく、大方、理論といったものに大きく欠けている。

あの子の――弥子の事に関しては、昔から大概そうなんだ。どんな些細な怪我や兆候だって、これから起こる不幸の前触れに感じられて不安になるし、
ふとこちらに向けられた、特に理由もない、ただの笑顔一つで幸せな気分になってしまう。
だけど――男親というものは程度差さえあれ、誰だっていったものだろう?」

「まぁ――そうだな」

「……あの羽根は、次の日には跡形もなく消えていたから、この事はつい最近まで――弥子に向かって、本来の姿で羽根を広げて見せる君の姿を見るまでは、すっかり忘れていたんだよ。

恐らく、弥子は全く覚えていないだろうね。あの時はやっと、3つになった位だったから」

「そうだろうとも、あの豆腐が、そんな高度な記憶力を有している筈がないだろうに……」

「ふふ、あんまり酷く言わないでやってくれるかい? 仮にも実の親の前なんだから。

確かに、数や語学は苦手で、人より少しばかりよく食べて。
お人よしで泣き虫で。そのくせ、見ている方が心配になってしまうくらい、面倒事にも躊躇しないで飛び込んで行く無鉄砲な気質で。

――でも、その分だけ、誰よりもよく笑い、何よりも温かで、定規だけでは引けないような、なだらかな曲線を幾重にも複雑に引いて作ったように柔らかな、まだまだ完成には程遠い図面のようなあの子は――私の生涯をかけた、正しく最高傑作なのだからね」

「……親バカ以外の、何ものでもないな」

「うん、否定はしないよ。そうして君も、茶々は入れるが、否定だけはしないでくれているんだね」

「フン、呆れて物が言えぬだけだ」

「ふふ、そうなのかい。でも――あの子はいつでも温かく君を迎えてくれるし、いつでも、君を信じて待っていてくれるだろう?

外でどんな無茶を働いて帰って来ても、どんなに酷い我が儘を言っても、文句をいいがらも結局、「しようがない」の一言で全て、やんわりと受け止めてしまう。

そんな、心地良い「帰る場所」でいてくれているだろう?」

「まぁ、な」

「……それを聞いて安心したよ」

「……満足したのなら、我が輩はそろそろ行くぞ」

「どこにだい?」

「……我が輩にも、帰る家がある。そう言ったのは貴様だろうが」

「フフフ、そうだったね。じゃあ私もそろそろ、また、眠るとしようか……。次に会うのは、一体いつになるだろうねぇ……」

「ふむ、秋の彼岸ではないか? その時は気が向いたら、ヤコ達も連れて来てやろう」

「ありがとう。そうしてくれると嬉しいよ」

「では――」

「あぁそうだ―― 一つ、大切な事を言い忘れていたよ」

「………」

「娘を――弥子をよろしくたのむね。脳噛ネウロ、君」

「――あぁ。言われるまでもない」

「呼び止めてしまって悪かったね。じゃあ、こんどこ、そ……おやす、み」


個人的に、「実は昔に出会った事が〜」という創作設定が結構好きです。
幼女がメインだったのに、気づけば嫁の父親に結婚の挨拶をする旦那の話になってしまった。
「娘=創作者の最高傑作」は、某大好き漫画の「娘の体をキャンパスに自身の絵を描いた画家」のエピソードが元になっています。


date:2007.09.24



Text by 烏(karasu)