憂鬱と腰痛とゴキブリと


久々にヒヤコです。ヒグチさんは箸より重い物持った事なさそう。

 そんなんしゃーないじゃん。だってさー、出たんだもん。
 何が出たって、そりゃ、関東の鉄コンの職場で真っ昼間に出たつったら、ゆーれーな訳がないじゃん。
 ゴキだよ、ゴキブリ。昆虫網ゴキブリ科の、あの素早くてテラテラしてる奴。
 そいつがさー、うちの課の部屋に出た訳よー。壁に寄せてある機材の端からぬって感じで。しかもさ、丁度昼時だったから、飯食ってるこっちに突進してくるの。
 そっからもーすっげーの、本当、笑っちゃうような惨状でさー。
 大の大人がだよ? 奇声発して椅子から飛び上がったり、カップ麺やキーボード蹴散らして机に避難すんの。
 俺はってと、ちょうどノッてきて集中してた所だったからさー。これが全然気づかなくってさぁ。
 んで、四方八方からヒグチヒグチ呼ばれて、んだようっせーなつって顔上げたらさ……足下に、いやがったんだよね。
 んで、そっから何秒か記憶飛んでてさ。
 何か後から同僚に聞いたら、「ちくしょうがああああっ!」とか訳の分かんない奇声発して、デスクトップをディスプレイごと床に投げ込んだとか。
 いやマジ、ほんっとに覚えてないの。だって知ってんだろ? マジ俺、箸より重いモン持った事ないって言って通ってたくらい力ねーのに。
 ほら、この前だって、冗談で桂木負ぶって五メートルくらい歩いたら足下ふらついて壁におもくそ頭ぶつけたしさー。
 でもさ、気づいたらパソコン、足下でコード繋がったまま何かブチブチ言ってるし、俺、何か尻餅付いて床にへたり込んでた上に、立てなくなってんの。
 んー、同僚で力あんのに肩かして貰って、何かそのまま医務室に運んで貰ったんだけど、えぇとアレ、ぎっくり腰とかゆーのらしーよ。
 何か、俯せからちょっと頭上げたり身動きするだけでマジいてーし、それ聞いて同僚爆笑だし、もう最悪。ってかマジ笑うしかないし。
 勿論、笛吹さんにも叱られたけど、まぁ今回は俺以外の大人も動揺してくれちゃったから説教で済んだよ、労災も下りるらしいし。
 あー、それで、同僚の奴らは何か重要な機材運び出してバルサン焚くとか何とかいいだして……んで、医務室ってのもアレだから今日使う予定のない応接室を借りて、一応安静にしてる訳で……えと……。
 いやいや! いいから、てきとーだけど湿布貼って貰ったし、じっとしてれば良くなるらしいし……やっ、マジやめて!
 さすったりしなくていいから! 張り直しとか……毛布とか捲らなくていいからっ!  いや、ぶっちゃけ、てきとーに脱がされたからこの下、背中丸出しだし、下手したら半ケツ……えっ、見慣れてるってナニそれ! どゆこ……イっつうううっ!


「ちょっ、何暴れてるのっ! 動いたら悪化するでしょっ。いいから寝てなってば!」
「うぎゃっ! やめて桂木やめて! 腰押さえんなっ!!」
「あっ! ごっ、ごめん、つい……!」

 小さな手の平に咄嗟にぐいっと腰を押さえつけられた、顔から革張りのソファに倒れ込んだ。
 背から腰に掛けての激痛はすぐに引いたものの、毛布の上から置かれた手の平の感触が骨の上に残っている。ような気がする。

「ぐっ……」

 それに悶々とするより先、とりあえずこの格好じゃ呼吸も苦しいから肘掛けに顎を置こうと身じろぎをしただけで腰に激痛が走って、またソファに沈んだ。

「ほらぁ言わんこっちゃない」

 と呆れた声が頭のすぐ上で響き、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
 いやいや、そーゆのは求めてないから。同じいたわりでも何かこう、もっとこーさーぁー。

「……どーせ撫でんなら、毛布の上から腰撫でてよ」
「えーっ、さっきやだって言ったじゃん。あぁうん、うんっ……」
「だってー半ケツ見られるのがやだしー。うっ、また腰が……って、桂木、何してんの?」
「ん?」

 組んだ手の上に顎を乗せて見上げると、桂木は誰かと電話している途中のようだった。そして電話を切って、にんまりと笑い、立ち上がれない俺の鼻先でぶんぶんと携帯を振って見せた。

「とりあえず笛吹さんに許可貰ってタクシー呼んだから、来たら帰ろう。帰り下りるの手伝うから。だからそれまで安静にしててね」
「あーい」

 と、返事して、またソファに顔を埋めてから気づいた。今、桂木の電話してたのタクシーの運ちゃんか笛吹さんだよなぁ。
 もし、笛吹さんだったら……うわぁ、今の会話聞かれたってこと? それって……かなりマズいんじゃないの俺。人間としてマジヤバくない?

「……あのさ桂木」
「ん?」

 いや、そうだったらもう死ぬしかないんだけど。腰さえ自由だったら、もう比喩じゃなく、今すぐパソコンのコードで首を吊りたいのだけど。マジ恥ずかしくて死にたいんだけど。

「今、電話してたのって……笛吹さん?」

 顔は伏せたまま、つとめて冷静に聞いてみたけど、ブッちゃけ毛布の下は汗ダラダラで、湿布も剥がれそうな気がする。

「えーっ違うよー!」

 大きな声で叫ばれた否定に、思わず吐いた溜息で眼鏡を曇らせちゃったのもつかの間。

「ネウロだよっ! ほら、遅くなるって言っとかないと……」
「ちょっ! ……いてててっ」

 次に続いた言葉でちくしょう! と肘で頭抱えて叫ばなかっただけ褒めて欲しいね。本当。マジで。
 よりによって腰だよ腰。そんで、電話したのが桂木とか、何ソレ何の拷問。ナニ言われちゃうの俺。
 あー、何か既に携帯が鞄の中で鳴ってるし。多分メールだよなコレ、絶対なんかこう、件名からして桂木に見せらんないよな事書いてあるに違いねーし。
 んで多分、勝手に設定変えて待ち受けで全文読めるようになってんだよコレ。しかも最近スマートフォンとかにしちゃったから、ロック解いた瞬間に目に入るのね。
 そんくらいは読めるね。あはは、メールだけに? ふざけんな。

「あっ、ヒグチさん携帯鳴ってるよー。待ってて、今出すから」
「お前ってさ、凄いねほんと。書かれてもない空気読むよね。台本読むみたいに的確に読んで来るよね」
「えへへ、いやぁ……」
「うん、褒めてないよ? 寧ろ皮肉だし」

 あとちょっぴりは嫉妬とか、何か大体そういう奴なんだけど、言うのもめんどくせー。ってか本当、ナニもかもめんどくせぇ。
 もう、ゴキブリもアレなんじゃないの。ネウロなんじゃないのホント。アレ髪じゃなくて触角じゃね? あぁ、いいや、もうどーでも。
 眼鏡を外して、冷たい革に頬を押しつけて目を閉じる。瞼の裏側で動く影をぼーっと眺めていると、ああそうだ。と、俺に背中を向けて鞄を漁っていたらしい桂木が声を上げた。

「今度ゴキブリ出たら呼んでね。生け捕りにしてあげるから!」 
「いや、生け捕りはいい。もう、見せなくていいから始末して……って、桂木、それって……」

 それに答えようと思って薄く瞼を開けた時、目の前にしゃがんでいた桂木の背中は飛び上がって、俺の携帯を取り落とした。
 あーあー結構高いんだけどなー。って、言うだけ無駄か。そもそも桂木のせいじゃないし。
 一体ナニが送られて来たのか。ゴキブリを生け捕りに出来ると豪語した女、桂木の横顔は頬は真っ赤だし、唇は何か知らないけどわなわな震えてるし。
 そんな顔がまた可愛くて何かもう生理的にどーにもならなくて、俺は結局、桂木の激情が収まるまで、またソファに突っ伏してやり過ごす事にした。

「……ったく、誰がナニ何間違えて桂木に連絡行っちゃったんだよ……」


何か可哀想なヒグチさんが書きたくなったのです。ネタを下さった皆様に感謝!
色々と仕込んだ小ネタを見つけて頂けたのもまた嬉しかったです。


date:2010.10.8



Text by 烏(karasu)