ヘアゴムと娘と夫と私


長らく拍手だったものに大幅加筆と修正その3。子どもの名前は今回全く出ません。
ココに書かれてない名前と由来は拍手07に。

不自由の合わさる心地良さ


「ム。貴様、この我が輩にこれ程までで懇切丁寧な説明をさせておきながら、何故にこの兎の有用性に気づかんのだ」
「むうぅ。とぉさまだって、なんでミーコちゃんがかわいいの、なんかいいっても、わからないのっ!」

時は週末の昼下がり、場所は、とある郊外の大型ショッピングモール。その建物の二階端にある、全国チェーン経営のファンシーショップ。
 光沢のある布や大きなぬいぐるみできらきらと飾り付けられた狭い店内の中央にあるヘアアクセサリーのフロアー。
 幼い子どもにも手の届く高さに調整され、種類も色も多種多様なヘアアクセの並んだその棚の前には大小二つの人影が並んでいる。

そのうち一つは立ち上がっていたとしても棚の半分にも満たない背の幼い少女。
 もう一つは、棚より遙かに長身の、その少女によく似た青年。
 二人は数点のヘアアクセの入った買い物籠を挟んでしゃがみ込み、そして、よく似た深緑の眼を不機嫌そうに眇めてにらみ合っていた。

青年の妻であり、子どもの母親である桂木弥子が、自分の買い物を終え、二人との待ち合わせ場所であるここに到着した時には、既に。

「あんたたちさ、一体いつからやってるのよ……」

そう問うことの愚かさを分かっていながら、弥子は二人の背後に立ち、溜息混じりにそう問う。
 恐らく、いや、確実に。この膠着状態のにらみ合いは、彼女が夫に娘を預けてこの店の前で分かれた約二時間ほど前から今までずーっと続いているのだろう。
 弥子にとって、周囲の人々の好奇心を含んだ視線、生活を共にする夫と娘の性格からそこまでを予想するのは容易いことだ。
 何故なら彼女はつい数年前まで、探偵業の傍ら、要請により世界中に呼ばれてこうした膠着状態を瓦解する職に就いていたのだから。

「しょうがないなぁ……」

状況を把握し、両腕に下げた日用品の詰まった買い物袋の重さに引っ張られるようにして肩を落とし、溜息と共にそう呟く。

「ム?」
「むぅー」

その声に、漸く弥子の存在に気づいたかのようにして、色形に多少の差異はあれど、互いによく似て整ったかんばせが振り向いた。
青年は、肩の上の淡い金色の襟足とは対象的な漆黒。
 幼子は、背中まである髪と同じ焦がした蜂蜜のような茶色。
 それぞれ前髪を紅いボンボンの付いたヘアゴムで結い上げた父娘は、光度の違う同じ色の眼を眇めた。

そして数瞬、一方は憮然とした様子で相手を見下すように顔で鼻を鳴らし、もう一方は相手を見上げてむぅと丸いほっぺたを膨らました。
 そして再び弥子の方に視線を向け、合わせたかのようなタイミングで同時に開く、大小の唇。

「……脳の程度が貴様によく似たこの蛞蝓娘が、兎は嫌だと意地を張るのだ」
「とーさまがねっ、ミーコちゃんのことダサいっていったのよっ!」

互いに互いを指射すのとは別の側の掌をこちらに広げてみせながら、これまた同時に更にむっつりと押し黙る。

「あのさ、私、全く話が見えないんだけど……」
「そら」
「んっ!」

更なる説明を求めて呟けば、二人とも、ちらりとだけこちらに視線を動かし、明確な答えの代わりに互いの片手を弥子に向けて差し出す。

「あのねぇ……口で言いなさいよ」

その様子に呆れながらも、弥子は眼の前に掲げられた手に視線を落とす。
 向かって左側の大きな黒手袋の手の中に乗せられているのは、真っ白く毛足の長い布で作られた丸い顔に、紅い目の刺繍された愛らしい兎の縫い付けられたヘアゴム。

向かって右側で精一杯に広げられた椿のような大きさのふくふくした白い掌の上に乗るのは、最近流行している猫のキャラクターと、小さなサクランボの通された細いヘアゴム。
 見る限りでは、どちらも幼く愛らしい顔立ちの娘の髪によく似合う代物だ。

それはすなわち夫の方にも似合うということなのかもしれないが……想像するのは中々に恐ろしいので一先ず保留することにする。
 そう心に決め、頭を掠めそうになった想像を追い払って深呼吸。そして、一旦心を落ち着かせた後に問いかける。

「……一体これが、どうしたのさ?」

その質問を発した弥子の予想通り、二対の緑の眼は軽く見開かれて視線を合わせ、そして、大小の口が同時に長々と溜息を吐いた。
 弥子がその理解力で甘やかすせいだろうか。

親子だけあって、思考や嗜好がよく似たこの二人は、しばしば他者へ状況を説明する為の言語を省きたがるきらいがあるのだ。

「全く……」

そんな事を考えていると、夫ががその長身を伸ばして立ち上がり、足下の幼子を見下ろして、牙の並ぶ口を開け、やや呆れた顔で溜息を吐く。

「昨日今日で廃れる流行に流されるとは愚かな。普遍的に受けるこちらと違い、すぐに付けなくなるに決まっているではないか」

そうして夫は、黒手袋の真ん中に置いた真っ白い布の兎に顔を寄せ、その額に額に軽く唇を落とす。
 ちょっと待ってよ、それは売り物でしょ。そして、何故流し目をこちらに向ける。
 目立ってる、駄目な方向に目立ってるからっ。そんな事で誰があんたの味方になるもんか。というよりも。

「……こっち、みんな」

そう口の中で呟いて、心なしか熱を持った気のする耳を隠すため、弥子は足下に視線を落とす。と。

「つけるもん! しょうがっこうにあがっても、こうこうせいになってもつけるもん!」

そう言って、娘が負けじとがばりと身を起こして弥子の足元で顔を上げた。

「流石に……高校生は、どうかなぁ?」

再び口の中で呟いた言葉が聞こえているのか聞こえていないのか。恐らく聞こえているだろうが。
 唇を引き結んで瞳を潤ませた娘がその柔らかな焦げた蜂蜜の髪の上にヘアゴムを掲げ、細い両脚を揃え、ぴょんぴょんと跳ねる。

それがどれだけ可愛いか、そしてどれだけ自分に似合うのかを、必死にアピールするように。
 しかし、その、あざとささえも感じさせる、いじましいまでの幼さは、我を通そうと息巻く魔人には全くと言っていいほど効果がないようだ。

普通の子どもならばトラウマになってしまいかねない凶悪さでにやりと口角をつり上げた夫は、身を屈めて娘を見下ろすと、その頭にそっと手を置いてこう言ってのけた。

「貴様がそれで良かろうが……我が輩は全力でご免被る!」
「あぁ、どうしてもお揃いで買いたくて揉めてた訳か」

漸く合点が行って思わず手を打ち鳴らす。

「………」

さっきからそう言ってるのに、と、冷ややかな色を湛えて無言で自分を見上げる二対の深緑はこの際無視しよう。
 いやいや、言ってない。どっちも一言たりとも言ってないだろうと、心の中では一応突っ込みを入れておくにしても。

「うーん……」

やっぱり自分が知らず能力をひけらかし、先回りして家族を甘やかしているのがいけないのだろうか……。

「ねーえー、かあさまはどっちがいいとおもう?」

などと、半ば真剣に考え始めた矢先、跳ねる事を諦めた娘に、下からスカートを引っ張られた。
 見下ろせば、先ほどまで夫の手にあった兎も白椿の掌の中に握られていて、娘がその両手を焦がした蜂蜜色の髪の上に掲げ上げている。
その様子を、棚に軽く凭れて無駄に長い腕を組んで棚に凭れて無表情に静観する夫。

どうやら、再び眼と眼で会話を果たし、全ての決定権を弥子にゆだる事で合意したらしい。
 このよく似た父子は、些細な事で衝突するのも常であると同時に、気が合う時や共謀する時も早いのだ。
 弥子が二人の共謀や謀に気付くのは、大体結果の出た後の事が多い。
 いつ算段したかも結局は分からないまま、気づけば結論がまとまっている。

まるで言葉なんて――間を取り持つ人間なんて、弥子なんて要らないかのように。

心に浮かんだその言葉に、額を押さえて小さく首を振る。
 こんな事を考えるなんて、大分疲れているのだろうかと、小さく溜息を吐いて、改めて娘の小さな掌を再び見つめる。
 白い兎も、赤いゴムに通った小さなキャラクターも、焦げ色の細い髪に実に良く似合っている。
 将来性に於いては夫に一理あるが、しかし、今しか身につけられない流行物が欲しい気持ちも同性としてよく分かる。
 うぅーっと小さく呻いた後に目を閉じて、肩まである蜂蜜色を掻き上げる妻を、夫と娘は似た顔を顰め、固唾を呑んで見守っている。

そのプレッシャーの程はといえば……正直、どんな凶悪犯や重火器を前にした時よりキツい。
 何故なら一方は、機嫌を損ねると何をしてくるか分からない人外の夫。そしてもう一方は、その夫の眼に入れても痛くないアキレス腱ときている。

彼の意に沿わない選択をし、更にこの幼子を正当な理由なく泣かせた場合、どんな理不尽なめに遭わされるか分かったもんじゃない。
 それに、ここで選択を誤って夫の肩を一方的に持ち、娘を無為に傷つけるのも忍びない。

だから、この『しつけ』は毎回、捉え方によっては国一つ動かす交渉以上の繊細さを要求されるのだ。

そんな空気の中で暫し懊悩した弥子は、駄目もとで根本的な解決策を口にしてみることにした。
 彼らにとっては眼と眼の会話で既に話し合ったことかも知れないとも思ったが、そんなことは知るもんかと開き直り、息を吸う。

だって自分は二人と違い、言われなくても読み取れることでも、一々言葉で言って欲しいのだ。
 言葉にしなくても分かって欲しいなんて我が儘に、一々従う理由などない。

「……両方買ったら、駄目なの? 日用品だし、そんな高い物じゃない、し……」

暫くの後、目を開けてそう言った妻は、互いにきょとんと顔を見合わせた父子。
 そのよく似たかんばせの緑色を細め、にやぁと唇をつり上げたのに、自分がまた謀られたのを知ったのだった。


*


「とおさま、これもいれよ!」
「ならば、これもだな」
「えー、こっちのがいいよぅ」
「ちょっ! 程々にしてよ、もう……っ」

娘の抱える小さな買い物籠に、その娘を片腕で抱え上げた夫が、一言二言でひょいっひょいと品物を放り込んで行く。
弥子はその背を、コンパスの違う足で追いながら一応の制止の声をかけるも、無駄だと悟ったその声は消え入りそうに小さい。

嵌められた……恐らく、最初の喧嘩から既に謀っていたのだろう。
 わざと喧嘩して好きなだけヘアゴムを買わせようと、一体どちらが言い出したのか。
 だけど、どっちにしろ。

そう溜息混じりに呟くのと、前を行く二つで一つの固まりがよく似たかんばせを付き合わせて互いに何かを囁き合って笑ったのは同時だった。

「ヤコ、ヤコ!」
「かぁさまかぁさま!」
「ん? なになに……おわっ、痛っ!」

ぴたりと止まった大きな背の、白黒大小二本の手の手招きで呼ばれて近寄った。
 その途端、ピン一つで横に流していた前髪を黒手袋の手に頭の上へと力一杯引っ張られた。

「いたい痛いっ! もう、一体何……うぷっ!」

毛根の引っ張られる痛みを感じ押さえようとした頭頂部に、白椿の掌が、ぺちんと軽い音を立てておかれた。

「ほぉら、やっぱりこのおはなのほうがかわいい」
「ふむ、仕方ないな」

解放された頭を抱え、未だずきずきと続く痛みに眉を顰めながら見上げれば、満面の笑みの幼子と、渋々頷く夫。
 何事かと口を開こうとした所で、はいっと目の前に出されたのは縮緬で作れた紅椿の造花がついたヘアゴムが3つ。

「良い物が見つかって良かったな。散々粘って吟味した甲斐があったというものだ」
「うん、かぁさまには、あかがいちばんいいもん!」

相変わらず言葉の足りない二人は言葉すくなに勝手に納得して楽しそうに頷き合っている。
 剥き出しの賢そうな額をくっつけ合って、内緒話をするように深緑の瞳を互いに細めて。
 弥子には全てを把握しきれない特殊なルールの思考で、言語で、何かを共有しあっている様子で。

「……ありがと、ね」

しかし二人の目的も、何故にわざわざ些細な喧嘩を長引かせてまで弥子を待っていたかも容易に読み取れたので、乱れた前髪を軽く引っ張りながらただ、照れながらも笑っておいた。

(ん……ちょっと待て? 私も明日から前髪をお揃いで結べってことか……?)


某様宅のチャットから派生して書かせて頂いたネタでした
「弱ったネウロの前髪をヘアゴムで結んでしまいたい!」「ついでなので親子物でやって欲しい。私もやります」ってな感じだったか。
一文は長いは、明示されてる情報は多いわで、今回ここに収納するためスムーズにならすのに凄い苦労しました。
あの頃は色々な所でネウロの前髪を結って頂いて幸せでござったv 皆様ありがとうございましたw
そして気づけば今回の話、弥子以外は名前が全く出て来ていない。


date:2009.09.21



Text by 烏(karasu)