魔法をかけて


長らく拍手だったものに加筆と修正その2。さっきより子どもの年齢高め。
子どもの設定/名前=翅那【シナ】/娘。見事なまでにオリキャラ。名前の由来は拍手07に。

寝物語に歴史を一つ、時間の結晶に捧げましょう


「私さ……あんたに一つ、呪いをかけられるよう努力するよ」
 

あぁ、そうそう。確かにそうだった
 我が輩の記憶によれば、ソレは、こんな切り出しから始まった話だった。懐かしい。
 その頃には既に、我が輩はアレがこちらの理解の範疇から外れた、人間の感情云々の話を勝手に始めるのには慣れていたからな。
 

全く……こちらが理解出来ないの分かっていながら、勝手に喋り続けるのだから失礼極まりない。

余りに腹が立ち、だから――本当は既に、全てが理解不能であるという段階はとうに過ぎていたにも関わらず、我が輩は知らぬ存ぜぬという態度を取っていたのだ。

まぁ、他ならぬアレの事であるから、それくらい容易に気づいていたのかも知れんが……まぁ、それを踏まえた上でも、あの無神経な無礼者には良い薬だったろう。

おっと、うっかり話が逸れたな。さて……では、続けようか。

毎度のことながら唐突に始まったその話を特に訝しがることもなく、膝に乗せた本に向けて伏せていた顔を上げ、耳を傾けた。
 同じく顔を上げた弥子は、ベッドに座る我が輩の足下に座り、揃えた膝の上に一冊の絵本を乗せたまま、憂いを含んだ眼でこちらを見上げていた。

どうやらその本が、ヤコの口火を切らせる切っ掛けになった様子だった。

……そうだ。貴様が今でも大事に仕舞っているあの絵本だ。
 隠す必要はない。今でもたまに開いては読んでいるのだろう? 本棚から取り出しては、何度も何度も。
 フハハ……こらこら、笑わないからムキになるな。我が輩も――勿論ヤコもだ。
 うむ……本当だとも。で、貴様、話の続きを聞きたくないのか?
 ……ふむ。よろしい。では、続けるぞ。

その時、何故絵本を開いていたかと言えば、我々は自身の寝室で、その日貴様に聞かせる寝物語を選んでいた最中だったのだ。
 アレの持っていた本の話の筋は確か……魔女に予言で呪いをかけられた姫が、後に王子に起こされる話であったか……。

まぁ……それもまた、どうでもいいな。
 我が輩、すっかり呆れ果ててな、溜息と共に腰掛けていた寝台から立ち上がった。

バサリと膝から滑り落ちた本が、ヤコの頭に角から当り、アレが鈍い音と共に呻きを上げ、頭を抱えたのをせせら笑いながら口を開いた。

「そんな半端な覚悟で貴様、一体、何の呪いをかけるつもりなのだ」

と、笑ったままにそう聞いてやったらな、ヤコは泣き笑いというあの至極微妙な表情でこちら見上げ、そして、至極生意気なことに、こう……言ったのだ。

「私がここから居なくなった時ね、あんたから沢山の物を貰って行くように。
その代わりにあんたの知らなかった物を沢山残して行くと思うんだ」

明瞭な発音の割に、こちらに意味を理解させる意図が無いとしか思えぬその一言に、今度こそ言葉を失ってな。
 我が輩とした事が不覚にも、数秒ほど呆然と眼前で揺れる胡桃色の瞳をまじまじと凝視してしまった。

「……ふむ、確かに。呆れて物も言えぬという心地を味わったという点では、我が輩、今まで知らない物を得たと言えるな」

その軽口に乗るかと思えば、低い背を更に丸めるように俯き、「今は理解できなくていい」とほざく。
 その生意気さに、手元にあった本を再び投げつけてみたりしたのだが、今度は痛みに小さく顔を歪めただけで、決して我が輩から眼を逸らさなかった。

貴様にも向けた事があるだろう? 貴様が泣きながら家へと来た時に、肩を抱いて理由を問いただす時のあの眼だ。
 ガラスのように透明で、ヒトの……ごく偶に、ヒト以外の者の。本音を引き出すのに長けている、あの眼を向けられては、眼を逸らす事など出来ないだろう?
 だから我が輩、溜息と共に、開いてその頭に乗ったままになっていた本を拾い上げてやり、その耳元に顔を寄せ、こう言い添えてやったのだ。

「宜しい。ならば我が輩、呪いも福音も物質も感情も、貴様の寄越す物は残さず受け取ってやろう。だから、取りこぼしなく全て寄越せ」とな。

 そしたらヤコは笑ってな、本当に、先ほどまでの顔は嘘のように。そして床から立ち上がり、隣に座り、生意気にもこう言ったのだ。

「一生かけて全部あげるんだから、覚悟しといてよね!」と。

勿論、その生意気な口には仕置きを据えてやったがな……ククク、大口開けてモノを食らうだけあって左右によく伸びる。

……で、その互いの呪い合いは実際どうだったのかと?
 結果は火を見るより明らかだろう? 貴様も、言われるまでもなく分かっている筈だ。
貴様が物心付く頃から見ている通り、アレがいないと自身の身体が半分ほど自由にならないような心地を覚える。
 この感覚を居心地の悪さ以外の言葉で表す術はまだ知らぬが。

いつかの、その時には恐らく、どんなに抗ってもアレに持って行かれてしまうのだろうな。
 喪失感と息苦しさに不具合を訴える地上に合わぬ欠陥品の心臓も、この半身を支配し、常に飢えを訴える脳髄も――ほとんど正確に半分ずつ。

こらこら、そう、本気で心配そうな顔をするな。
 安心しろ。 知っての通り、不快では無いといえば嘘になるが、不服である事はない。
 寧ろ、アレが寿命という限られた時間の中でどう抗い、一体我が輩に何を残して逝くのか――寧ろ楽しみでさえある。
 実際、出会ってほんの数年、家を構えつがいとしての契約を結んでからのほんの一年の間に、あの小さく細い身体から、貴様を作り出し、胎内で育て上げたのだから。
 貴様が成人するまでとしても15年。それまであればアレも貴様も、一体いくつの物を作り出し、残し、貢ぎ、我が輩を驚かせてくれる事だろうか。

あぁ、そういえば、この見守る楽しみも、地上に出てすぐに、アレに貰った物だったな。
ヤコが足掻く姿が滑稽であり、めざましくてな、ついつい構い過ぎてしまい、それで……。


*


「さてどうなるか……非常に、楽しみであるな……」

 最後にそう言うと、部屋の隅に置かれたやや小さな寝台の端に座った魔人は長身を丸く屈めクツクツと喉を鳴らした。
そして、細い首もとまで上げられた毛布の下から見上げてくる、眠気を滲ませ、ややとろりとした一対の瞳を、身を捩って向き直り、覗き込む。

「だからな……貴様がどう足掻いても恐らくは、我が輩の一番にはなり得ないだろう。父としてコレを言うのは大変不服だが……他の男でも探すが良い」

そうして魔人は、ふわふわの羽根枕に預けられた、手の平で覆っても余りある小さな頭を撫でながらの寝物語代わりの昔話を終えた。  手ぐしで梳いていた髪から手を離し、最後に、絹糸のように細い蜂蜜の色の一房を持ち上げ、そこに小さく口づけて寝台から腰を浮かしかける。

すると、寝台の幼い少女は長い睫を震わせ先ほどまで眠気に半ばまで閉じていた薄い瞼を開け、此方を見上げた。
 向けられた翠色の双眼が、幼子が持つ無邪気な好奇心の光を宿し、一層キラキラと澄み輝く。

全く違う光でありながら、それはいつかの面影と重なって魔人の心臓を懐かしさに似たもので締め付けた。
 幼子の双眸が三日月のように細まると同時にこの耳にとどいた眠気にとろけた声は、「そんなの関係ないわ」と、小さく、しかし明瞭な発音で自身の意志を告げた。

「父様が何を考えようとも、一番が母様だろうとも、そんなの私に関係ないわ。例え父様が嫌がっても嫌いになっても……私は頑張るだけだもの。父様の一番になれるように…」

声は幼子のそれながら、はっきりと自身の意志を示したその一言に、魔人は異を唱える代わりに見開いた眼を三日月のように細めた。
言葉の代わりに、再びその小さな頭を撫でる事で答えを返し、大人しく瞼を閉じさせ、「おやすみ」を伝えて今度こそ背を向ける。

パタンと寝室のドアを閉めた直後。魔人はにんまりと笑みを作り。あぁなるほど、と、口の中で呟く。
 自身の目的と欲求をひたむきに貫き、その為には他者の迷惑や思惑など微塵も考えないその思考。
 しかし自身の進化にと目標に対して真摯に素直で直向きで、言葉一つ、態度一つですんなりと、これほど深く人の心に染みこんで来る。

人を惹き付ける術と、目標に対する頑なさを小さな身体の中に併せ持った存在は。

「確かにアレは……我々の娘だな……。なぁヤコよ」

黒手袋の手のひらで、寝間着の上から軽く押さえた心臓の上に
じんわり染みるように温さが広がった錯覚を覚え、魔人は小さく喉を鳴らした。



date:2009.09.13



Text by 烏(karasu)