繭【つつみこむ】


気付くと浸食されている…(恐怖/安心)


平日、午後の図書館には暇を持て余した老人や、幼い我が子を連れた母親らしき女。
机に座り何かに急かされるようにせわしなく何かを書き綴る学生。
本棚の陰やソファの上など思い思いの場所にうずくまり、笑い合い本を読む子供達……といった具合に、
様々な性別、職業を持った――数の割に種類ばかりが多様な人間達が
水槽を回遊する熱帯魚のように、青白い蛍光灯の下、本棚の間を泳ぎ回っていた。

――人間とは、こうして一つの時間と空間を共有しながらも、個々の世界を持っている生物なのだろうか?

ひたすら暇を持て余した時や、ネットでは手に入らないような資料を探す時など。
今日のように此処を訪れる度、ネウロはふと疑問に思うのだった。

普段は忘れているその問いは、この場所特有の空気につられて不意に意識の表層に上る。
その時々、その辺を回遊する個体に適当な目星を付け、観察してみたりするのだが。
未だ完全に納得の行く結果は得られないままでいた。


そして今日もまた、本をじっくりと選ぶような素振りで本棚の間を移動し、
この人間世界でいう約1時間。適当な当たりを付けた個体を2、3匹観察してみた。

ネウロ自身にとってはただ『1時間』という認識しか無い時間の中、
ソファで友人と連れ合い本を読んでいた子どもの一人は欠伸混じりの声で『長い』と隣の友人に不満を零し、
この時間中ずっと、彼が借りようかどうか迷っていた学術書をめくり手元のノートに何かを書き綴っていた、
見たところ、弥子と余り歳の変わらぬ学生らしき青年はぐったりと俯き、『時間が無い』
と苦虫を噛みつぶしたような表情で呟いた。
窓際に置かれた椅子に身体を預け、膝に本を乗せたままぼうっと外の往来を眺めている老人に関しては……
最早、明確な時間感覚が存在するのかさえ傍目には解らない。
ネウロにはそれらの個体達が図書館という同一の空間に居ながらも、
それぞれが別の繭に包まれている昆虫のようにも思えた。


――その繭の中で個々の世界を構築して行く。恐らくそれが、人間という生き物なのだろう。
独立した個体として存在する。その癖、他人の世界に自分がどれだけ含まれているかを一々不安に思い、
『愛』だの『絆』だのという言葉に置き換え、事あるごとに確認しなければ安心して生存出来ない。
そして時に――その不安が人を駆り立て、自分の唯一の糧で有る『謎』の発生を手助けする。
不可解で愚かしい。そして――何と興味深い生き物であろうか……。

口端から思わず垂れそうになった唾液を気付かれぬよう拳で拭う。
そうしてふと時計を見れば、そろそろ弥子が事務所へと来る時刻だった。
ちらとさっきの学生を見れば、未だ頭を抱えてうなだれている。
この分ではもう少しかかるだろうと判断し、
観察の合間に予め探しておいた数冊の本、そして輪郭の見えた『解』を持ち、その場を後にした。


「あれ、あんた……こんな所で何して、ん…の?」
事務所へと戻る途中、偶然に出会った弥子は、ネウロの数メートル前で立ち尽くし、
以外性を顕著に表した表情と、訝しむような言葉を向けた。
平静より、いっそう大きく見開かれた丸い瞳。 ネウロは何故だか、弥子のその反応に無性に腹が立ち、
ツカツカと歩み寄り、無言でその小さな頭に片手を置き──その手に強く力を篭めた。
「ちょっ、何なの?…ぁ、痛い痛いっ!!」
ギャイギャイと甲高く叫び必死に暴れる弥子をいつも通り満足を込めた笑みで見下ろしながらふと、
自分という存在は今現在、コレの持つであろう『繭』の果たして何割を占有出来ているのだろうかと考え、
答えを求めるより先に、その問いの余りの荒唐無稽さに気付いて小さく自嘲を零した。

「……一体、何なの?」

弥子は、さっきまで掴まれていた頭を両手で押さえ、 未だ残るであろう痛みに眉を顰めながらネウロを見上げ、訝しげに聞く。
ネウロは「なんでもない」と、ただ一言だけ返し弥子に背を向けスタスタと歩き出した。
その場に残された弥子は暫し呆然とした後で、はぁ、と大きく一つ溜息を吐く。
「……アンタって、ほんっと訳分かんない!…まぁ──」

――もう、慣れたけどさ…。
後ろから聞こえる小走りの足音と共に、小さく聞こえたその一言。
先を行くネウロはソレに言い様の無い満足を覚え、自分でも気付かぬうちに口端を上げた。


「いつの間にか、自分の世界を弥子に浸食されてるネウロ」の話(のつもり)。
「目を丸くして」自分の存在と行動を否定する弥子にムッとして、暴力。
「慣れた」の一言で、自分が弥子の世界に内包されてる事に気付き、少しご機嫌。
そんな魔人様です。(説明しないと恐らく伝わらない)
余りにいちゃつき要素が無く、今より分かりにくい表現が多かったので、フォローついでにこんなオチに。


date:2006.05.15



Text by 烏(karasu)