「迎えに行くよ」



「今、どこにいるかは知らないけど」

少女は封筒の端にペーパーナイフを差し込み封を切り、広げた中身を無表情に一瞥した後、
その他の封筒同様に傍らの段ボール箱に放り込んだ。
そうしてそのまま箱を見下ろし、しばし何かを思案した後、唐突に顔を上げて振り向く。
「吾代さん、コレ、全部飛ばしちゃいましょう?」

笑ってそれだけ言うと吾代の返事も待たず、
足元から抱え上げた箱の中身を全てガラステーブルにぶちまけた。
瓶から溢れた水のようにテーブル一杯広がった沢山の封筒の中から
少女の指は慣れた手つきで便箋を引きずり出し、
丁寧な折り目で飛行機を作っては、再び元の箱へと放り込んで行く。
「あ……おいっ!」

ただ呆然とその動作を追っていた吾代がようやく少女に声をかけた時には既に半分以上の封筒が空になっていた。
「吾代さんも、黙って見てないで手伝って下さいよ」

顔を上げた少女は表情こそ笑顔だが、そのガラス玉のような瞳にはいつもの如く
有無を言わせぬような強い意思が宿っている。
「……わ―ったよ!!」

彼女の緩い命令に渋々従い、封筒を一つ手に取る。淡い水色の封筒に、丸みを帯びた丁寧な文字。
目前の少女とあまり年の変わらぬ人間が書いたと思わしきソレから、そっと中身をつまみ出す。
封筒と同じく水色をした便箋は、最初こそファンレターの体裁を守った内容と筆致だったが、
次第に型崩れし、最後は最初よりも遥かに強い筆圧で一言『探偵、やめないで下さい』と書かれていた。
思わず顔を顰めた吾代の手から、不意に便箋が摘み上げられる。
「それで、最後ですから」
顔を上げ、振り返った先には華奢な腕で段ボール箱を抱え上げ、吾代の前に立つ少女の姿が有った。
「ね、行きましょう?」と言葉を続け、塞がった両手の代わりに形の良い顎で天井を指し示した。

*

色とりどりの飛行機は屋上から落ち、四方に広がって行く。
数十個の殆どはビルの合間を吹く風に煽られただ落ちて行き、街路樹にひっかかり道路に散り……。 ただの紙屑へと変わって行く。
「あ−ぁ……」

手摺りから身を乗り出したそれらの母親は、風に蜂蜜色の髪を揺らしながら、
自身の手から放たれた子供達を見下ろしていた。
少女は抑揚の無い声を上げ、俯く顔を垂れ下がる前髪に隠す。
相手が何を考えているのか掴みかねたまま、吾代も彼女に習って下界を眺めた。
「ねぇ、吾代さん…」
「あ?何だよ」

ほぼ全ての飛行機が路上の紙屑へと変貌した頃、ふと聞こえたか細い声に、視線だけを傍らに向ける。
少女は手摺りに小さな顎を載せ、目を伏せたままで呟く。
「私は……悪い子、ですね」
「ハァ? テメェ、今更何言って――」
「みんな、心配して、アレ、出してくれたんです、よ、ねっ…」

視線を泳がせ、どもりながらそこまで言うと、喉のつかえが取れたかのように、ふうと小さな溜息を吐いて、
両手を手摺りに添えたままで、コンクリートにしゃがみ込む。
華奢な膝が柵に当たり、カシャン、高い金属が響いた。
「……あのうちの一つに、こう書いて有ったんです。『いつ頃探偵業を再開しますか?』って。
……心配して、気にかけてくれてるからの言葉ですよね。なのに私、
『そんなの、私が知る訳無いでしょ!?』なんて、勝手な事…思っちゃって。
そ、したら、あの箱の中全部が、凄く疎ましく思えて来て、何も知らないし……知る方法の無い
私、を責めている気がしてきて!だから……っ」
膝に顔を押し付けたまま発するくぐもった声。その所々に鳴咽が混じり始める。

やがて声は完全に消え、しゃくり上げる音だけが漏れるようになった頃、
吾代は恐る恐ると指を伸ばし蜂蜜色の髪を梳く。
と、少女は消え入るような声で「ごめんなさい…」と一言呟いた。
それは、自分に心配をかけた事へ対する物なのか、
先程散り散りに撒いた手紙の主達への謝罪なのか、
化け物を止められなかった事に対する懺悔なのか、
吾代には分からなかったし、分かる必要も無いように思えた。

*

『吾代さん、今度また、事務所に来て貰っていいですか?ネウロが暫く居ないんで、
あいつがやってた分の事務手続きを、手伝って欲しいんです』

少女が自分に電話して来た時の凜とした声が脳裏を過ぎる。
それに従い事務所を訪れた吾代に事の成り行きを説明し、大まかな指示を出した日から、
大体の作業が終了し、事務所の休業準備も完全に調った今日まで、少女は一度も泣かなかった。
「泣いて、居ない事を認めたら、もう帰って来ない気がするんですよ……」
力無く笑って言ったその言葉が、本心からだったのかは、結局分からなかった。

腕の中、小刻みに肩を震わす細い身体。しゃくり上げる声。
それらがすべての動きが止まった時、きっと彼女は決意を固める。
そして――自分にそれを止める権限が無い事を、吾代はよく知っていた。
――捜しに行くんだろう、きっと。

視界の端では、どうやらビルのどこかに引っ掛かっていたらしい、
少女の涙を吸ったかのような淡い水色の飛行機が、
強風に煽られて螺旋を描きながら、灰色の中へと下降していった。


BGM:「blue bird」(Cocco)って、また安直な…。
元々は、第70話時点での妄想の産物
「ネウロが身体を残さずネットに潜り、且つ帰って来なかったら弥子はどうするか?」
……結局間に合わなくて、また後出しじゃんけんです。
ちなみに、問いの解は、コレの表題。
自主的な行動、それも一つの成長ということでどうか。


date:2006.09.28



Text by 烏(karasu)