黄昏


「forest of water」のみずもり様宅の、中学生ネウロに勝手に便乗させて頂きました。
お題は、みずもり様宅「8585企画」で自分の出した物を。


「……ねぇ、ネウロ君?」
「………」

やっぱり返って来ない返事に、何だかいたたまれなくなって、私は自分の足元に視線を落とす。
 そこに有るのは、脱ぎ損なって仕方なく、踵を軽く踏んでサンダルのように突っかけたスニーカー。

ソレはここへ入ってから、一向に振り返る事なく前を行く、履き古された上靴に上手く歩幅を合わせられなくて、時折たたらを踏むようにリズムを崩した。

2足の靴が並ぶのは、夕日を反射する白いリノリウムの廊下。
 どこまでも続くその眩しさに、懐かしさに、眼が眩むような心地がする。

ちょっと視線を上げれば、指を絡ませ繋いだ手を引く私より、ほんの少しばかしたくましい腕。 私の方を振り返る事なく前を行くその腕の持ち主の、廊下と同じようにオレンジ色に染まったワイシャツ、細い首筋で光線に透ける僅かに水気の残った金色の髪。
その後ろ姿は、この景色に妙によく馴染んでいた。  靴と同じく着替え損なった水着の上に、白いパイル地のパーカーを羽織っただけという、中途半端な格好の私と違って。

いや、この際服装は関係ないのだろう。
 例えどのような恰好で有ろうと、『学校』というこの空間では、私だけが異物として浮き出てしまう。  こうして繋がれたこの手に許容されて、辛うじて存在を許されているような、そんな曖昧な存在感で、きっと、ここに有る。

そう考えた途端、急に不安になって、繋いだ手に思わず力を込めてしまう。  一瞬だけ、歩を止めびくりと震えた肩はしかし、振り返る事なく再び進む。その、何か目的の有るような様子に、私は何も言えず目を伏せる。
……ネウロ君は何で、わざわざ私をここに連れて来たのだろう?

気まずさに、再びちらりと見上げた、頑なに言葉を発しようとしない背中は、怒っているようには感じられないけれど。

……いやいやいや! 特に怒らせるような理由はない筈だ。
 だって私は、ただ、アルバイトの学生としての職務を全うしていただけじゃないか!

家庭教師のバイトが休みの日に、叶絵に頼まれて、一日だけバイトを代わってあげた……だけじゃないか。
……中学校のプールの、夏休みの臨時監視員という、アルバイトを。

そこにまさか夏休みに学校へ来る事なんか無いと思っていたネウロ君が来たのは全くの偶然だ。
 それが何故、あんなにも眼を丸くして驚かれてしまったのかも、シフトの終了と同時に無言で手を引かれ、こうやって水着のまま校舎に連れ込まれる自体になるのかが私にはまったく分からない。
分からない……振りを、している?

もしかして私は、こんなに沢山の言い訳を考えてしまう位、そして、わざと事実から眼を逸らす位、重く罪悪感を感じてしまっているのではないだろうか。

「着きましたよ、せんせ」

急に掛けられたその言葉にハッとして顔を上げると、こちらを振り返った深緑と眼が合う。

「えっ、っと……」

間抜けな声を上げた事に照れ、思わず視線を上げて見回したそこは、長い廊下の終点で有り、ある教室の前だった。
「……ここ、は?」
「見たとおり、教室ですが? ……僕の」
「え?」

さも当たり前の事を告げるようにそう答え、上へと視線を向けたネウロ君につられるように視線を向けたその頭上。
 見上げようとしたクラス表示のプレートが強く夕日を照らし返して。光線に強く焼かれて一瞬眼が眩んで、ぎゅっと眼をつむる。

そんな私の様子がよっぽど間抜けだったのか、真っ暗になった視界の中で、クツクツと響くテノールの笑い声。
「……じゃ、入りましょうか」

うっすらと開けた眼に入ったのは、私の手を引いて、夕闇迫る教室に入って行く背中だった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!!」

引っ張り込まれるようにして、中へ一歩踏み出した所で足を止め、引っ張る手を両手で掴んで呼び止める。
 ネウロ君は特に不機嫌な様子もなく、首だけでこちらを振り返った。

「何か?」

あ、今度はちゃんと返事してくれるんだ……じゃなくて!!

「な、何でネウロ君の教室に来る事になったのかなぁ−って……」

よもや水着で有ること、今が夏休みで、私は明らかに不法侵入なこと。それら細かい事には眼をつむり、とにかく一番の疑問を口に上らせてみる。
 すると、ネウロ君はこちらに向き直り、さも可笑しそうにくつくつと喉を鳴らす。

「先生は、デートの理由を一々男性に聞くんですか?」
「……え?」

その言葉と笑みに、カチリと思考の止まる音が聞こえた気がした。

「……それとも」

小さく続いた言葉に気付けば、彼の手を掴んでいた両手はいつの間にか、その私より僅かに大きな両の掌に包み込まれていた。

「用事がないのに誘っちや……駄目、ですか?」
「いやいやいや! 別にそんな事は……」

オレンジ色の写り混む深緑を細め、ずいと近づいた端正な顔から眼を逸らすようにして一気にかむりを振る。  必然、向ける事になった耳元に、

「なら……そんな野暮な事、聞かないで下さい」
「……ツッ! あ、」

温い吐息と一緒に注ぎ混まれたテノールに、ゾクゾクと背筋が粟立った。
 咄嗟に離れかけた身体を掴まれたままの腕で引き寄せられて、バランスを崩し、その肩へと倒れ込んだ。

背中でクスクスと漏れる笑い声が、何だか適当にはぐらかされたらしいのが悔しくて、眼の前の窓ガラスを強く睨むようにして顔をしかめる。
しかしガラスから私を睨み返して来るのは、華奢さの残る肩に顎を乗せ、子どものように頬を膨らませた情けない顔だった。

「……子どもの行動に、理由なんて求めていけないんですよ、せんせ」
「そういう、今日のネウロ君は、いつもより妙に大人びてる、よね」

そりゃあいつも、年の割に落ち着いているというか、妙に達観した眼の色の子だけど。
 だけど、だからこそ。普段の彼は、私に対してこんな風には、少しだって私より優位に立とうとはしない。
 いつもと違う場所、いつもと違う状況。それは一体何故なんだろう。

「当たり前でしょう?」

全く、この状況の何が当たり前だっていうのか。
そんな気持ちを込め、背中に回した手で、ぎゅうぎゅうとワイシャツを引っ張ってみる。

「どっちも子供だったら話が進まないじゃないですか」

ハイハイ、どうせ私は子どもですよっ! と、いつものように返そうとして、止める。
 言葉こそはいつもの軽口だけれど、その響きが、いつもと違うように聞こえて。

「ねぇ先生、」

不意に切れた言葉に、僅かに身体を離して、頭半分くらい上に有る顔を見上げる。
 その眼の深緑に、また入り日が写り混んでいるのだろうか。いつもの魅力的な笑みよりも、ちょっとだけ無邪気な顔。
まるで、仲の良い子ども同士で交わし合うみたいな。

「今だけ、僕と同じ子どもでいてくれませんか? こうやって同じ教室にいる事が当たり前な。放課後に馬鹿みたいにふざけ合い、同じ事を一緒にする……そんな子供で」

言葉だけなら可愛いけれど、その音に混じっているのは明らかな侮蔑だ。
まるで、この場所でそうやって時を過ごしている人間が愚かであると言わんばかりの。

「……ネウロ君って、本当はそういうの苦手でしょ?」
「えぇ、実を言うと毎日が苦痛です」

にっこりと笑って、さらりと言われた言葉に予想していたコトとはいえ、思わず絶句してしまう。
しかし彼は、そんな私の様子を見下ろし、やはり、普段は軽蔑している様子の、この教室の主達のようにクスクスと無邪気に笑う。

「でも先生なら、いいなと思ったんです」
「え?」
「同じ毎日を繰り返して、今日のように、不意に出会ってしまうのも」

――あぁ、そうか。そういう事か。

急に、心の中でストンと落ちた納得に、私も、思わず肩を震わせて笑う。

「うん、いいよ、ネウロ君。 なら、今だけ同級生だ!」
「はい、……桂木さん」

同じ場所から見えるものが、もっと増えますように。



「じゃ、いいかげんコレ、着替えて来るからね」
「ハイ、じゃあ、付き合います。同級のよしみで」
「いりません!!」


昨年秋、みず様とさせて頂いた素敵コラボへのアンサーというかリベンジというか。
SSにまとめるつもりが、冗長になってしまったので、本腰を入れて書いてみました!
夏の間に完成させようとあがいたものの、展開とオチに詰まってギリギリに。しかもオチてない。
みずもり亭のお客様や、中学生君が大好きな、T様の(笑)お眼鏡に叶う出来でありますようにと願います!

追記:な、なんと、みず様がこの話のネウロ君サイドを書いて下さいました!
流石本家中学生! 溢れる色気にクラクラとしますv
詳しくは、「forest of water」>創作物>企画室>8585企画にてv


date:2008.08.31



Text by 烏(karasu)