まえがきに変えて――電子メールと桂木弥子




皆様の強いご支援と後押しにより、こうして桂木弥子生誕百年の記念すべきこの年に桂木弥子記念館の記念事業としてこの本が出版できたこと、著者として、記念館館長として、そして、桂木弥子の関係者の一人として、心より嬉しく思います。
その感謝の気持ちと共に、私がこの本の出版に拘った理由についてお話したく、今回、私は前書きという形で筆を執らせて頂きました。
この本は、今まで「電子媒体であるため、当人の筆だと判断出来ない」という理由で、歴史的資料として認められて来なかった、名探偵桂木弥子が他者と交わした書簡を初めて集め、しかも時系列でまとめた記念すべき本となります。
これを期に、後からの捏造が可能だからと、歴史や文化として軽く見られている電子メールにも、人のぬくもりや個性があるということを認めていただけたらと願うばかりです。
所で。今、この前書きを読んでいる、本の中の私の話しを聞いてくれている。そんなあなたは一体、どんな方なのでしょう。
役不足ながら、桂木弥子記念館の館長を勤めさせて頂いている私よりも、桂木弥子という人が大好きな、そんな方かもしれませんね。
または、たまに私の所に、「桂木弥子先生に届けて欲しい」と言って、一人、またはクラス全員でお手紙を託して下さる、幼い探偵の卵たちでしょうか。
それとも、その子達の為にこのご本をお買いになった、お父さんやお母さんでしょうか。
探偵になったばかりの桂木弥子の書いた書簡を中心に集めたこの本はきっと、桂木弥子に興味を持ったどんな方にも納得して頂ける内容になっていることと思います。
だけどもそんな、今も尚、名探偵桂木弥子を愛して下さる皆さん以上に、私にはこの本を届けたい方々がいます。
それは、当時の桂木弥子と同じ、高校生の少女達です。
どうか、気を悪くしないでくださいね。何故そんな風に思うのか。それをこれからお話しましょう。

皆さん、桂木弥子、と言われるとどんな事を想像しますか。80 年以上経っても未だ歴史に名を残す、HAL 事件でしょうか。
それとも、数十年を得た現在でも、季節によってはメディアに取り上げられるような、人災でもってこの日本に多大な損害を与えた男。
シックスによる人類の驚異を退ける為に、一役買ったことでしょうか。
もしかしたら、対話する相手の心を自分の内側に引きずり込んでしまう、その絶対の眼力とでしょうか。
聡明な知能による推理力と、しかし、それでも気安さを忘れない優しさでしょうか。
では、想像出来た所で、次に、私はこう聞いてみましょう。
皆さん、桂木弥子は最初から、こんな特別な才能と知性を兼ね揃えた、何事にも動じない、自立した女性だったと思いますか。
その答えはきっと、この本の中にあります。
この本は、桂木弥子がシックスの事件の後、探偵を一旦休業し、それから再び世界に羽ばたく準備を始め、実際に知名度を上げ始めるまでの三年間に書かれた親書を集めたものです。
そして、その中でも特に、ある男性に対して送られたものと、それに対する相手の返信を選んで収録しました。
当時はまだ、生体ナノマシンやギアによる直接電話や思念メールのやり取りが確立されておらず、若い人が手紙を書くのに使っていたものは、専ら携帯電話の電子メールでした。
今の若い皆さんには考えつかないことかと思いますが、電子メールは電話回線と言った電波に頼らなければやり取りが出来ず、相手の電波状態によってはメールのやり取りに数分、酷い時には数年のタイムラグがありました。
つまり、私達のように、思考をそのまま文面にタイプするのではなく、一々メールへの打ち出しが必須だったのです。
しかも、彼女の時代はメールのデコレーション機能も今ほど充実しておらず、文字以外には絵文字と顔文字、せいぜい、写真を添付することしか出来ませんでした。
なので、当時の桂木弥子とそのメール相手の男性は、年単位でのタイムラグのある機械でしかも文字だけのコミュニケーションを三年も続けていたことになります。
それは思いつくとすぐに言葉を交わせる今の私達から見たら、絶望的な時間で、また、信じられない事かも知れません。
だけれどこの、文字と、たまに数枚の写真が添付されただけの、味気ないメールの数々は、今も尚、その彩りを残しているように私には感じられます。
相手の男性が言うまま、開く年単位の距離を埋めるかのように大量に書かれた、名探偵桂木弥子の「今その時」を綴ったメール。

そこには、美味しかったご飯の話から、学業のことといった他愛ない話、彼ら二人にだけ通じる思い出話まで、彼女の全てが詰まっています。
そして、そこにある彼女はきっと、皆さんが誰でも知っている世界的な名探偵ではないでしょう。
だけど、皆さんが一度は会った事のある、または今そこに居る、「誰か」ときっと重なることでしょう。
では、この本の中で、一生懸命な恋をして、美味しいご飯を食べて、自分の限界に喘ぐ少女は一体誰なのか。
桂木弥子の弟子たる皆さんなら、読んだ後に、きっとその答えを見つけることでしょう。
この本が、皆さんが本当の桂木弥子に近づくための、そして、彼女以上の活躍をするための、杖にならんことを。

恥ずかしながら、そんな偉大な曾祖母の名前をそのまま継がせて頂いた私は、皆様に対してそう願わずにはおれません。

20XX 年初春
桂木弥子記念館現館長脳噛弥子



Text by 烏(karasu)