桂木怪談 百物語の夕べ


竹見さんへ。
遅くなりましたが、取り急ぎの一周年お見舞をご用意してみました。
漠然と、竹見さんのお宅の弥子ちゃん達による怪談大会など妄想してみました。

では――よござんすね?

 真っ暗な部屋に、百本の蝋燭だけを灯し、それを囲んで皆で車座に座る。
 互いの息が聞こえる場所で、互いの膝が振れる場所で、しかし互いの顔は、蝋燭の明かりに照らされるのみ。
 会の進む毎、段々と深くなる暗闇に、耳をそばだてて聞くは怪異の話。
 一話が終わる毎に一本、また一本。合計百本の蝋燭を、全て吹き消した闇では必ず怪異が起こると言われる。
 げに恐ろしき、百物語の始まり、始まり……。


「という訳で、ここに、第一回、『桂木怪談』の開催を宣言します」
「わー。パチパチパチ」
「……みんな余裕だね」
「まぁ、怖い物は見慣れてるから」
「それに、怪異を待つまでもなく、『怖い物』寄りの面子も結構混ざってるし……」
「ふぇっ!?」
「えっと、それぞれ自己紹介は大丈夫だね?」
「うんっ!」
「はっ、はいっ……」
「では、予め決めた順番の通りに行くよ……」
「では……最初は私から参ります」


一番:とある研究者の妻


 これは――つい、三ヶ月前に、私が実際に体験したお話です。
 私たち夫婦は互いに在宅でお仕事をしており、昼間はそれぞれの仕事場で過ごします。
 私は会社の会長として主に、応接室や書斎で会社の管理業務や経営補助、たまに雑誌社のインタビューなどを。
 夫はフリーの研究者として、主に研究室で開発・研究、後輩の指導に携わっております。
 互いに相手にするものが違う、すれ違いの多い業務に就く、私たち夫婦です。
 ですので、三食のご飯と寝る前の一時だけは必ず共にすると約束していました。
 そしてその約束は、三年前に結婚してからというもの、何より大事な家訓として守られてきました。
 だけど――数ヶ月前から夫は段々と、食事の時間に遅れるようになりました。
 食事を何よりの楽しみにする私と違い、夫は、一度研究にのめり込むと寝食を忘れる人なので、そういったことは初めてではありません。
 なので、最初の数日は少しばかし眉を潜めてむくれて見せたり、窘めるばかりで、それほど気にも止めていませんでした。
 ですが、暫くしてふと気づけば、遅刻の時間が一分二分と微細ながら、段々伸びているのです。
 その上、時折物思いに耽って箸が止まるだけでなく、酷い時には、殆どご飯も食べないで研究室へと戻るのです。
 食事の間、私が何を話しても殆ど聞かず、上の空でいることが多くなったように思えました。
 まるで――何かにとりつかれたようでした。研究以外の、何かに……。
 やがて、ついにある晩、夫は約束した時間にダイニングに現れませんでした。
 それで、私は久々に、夫を食事に呼ぶ為に地下の研究室へと向かおうと覚悟を決めました。――夫の物思いの正体を、白日の下に晒す為に。
 おにぎりを兵糧に、研究室の前まで来て、扉をノックをしようとして……ふと、手を止めました。
 なぜかといえば、ドアの内側から、ボソボソと、密やかな話し声がしたからです。
 それも、独り言でなく、誰かと話しているような様子で。
 それに、良く聞くと、ネウロさんが黙ったその時に、誰かの答える声がするのです。
 まるでテープを回すように抑揚がなく、僅かに掠れた女性の、声が。
 気づいた途端、ぞくっと背中に悪寒が走り、気づいた時には。

「ねっ、ネウロさん!」

 ドアノブを捻り、大きく扉を開け、研究室の中へと飛び込んでいました。

「や、ヤコっ!? い、一体何のよ……」

 ドアに背を向けパソコンのキーにに向かっていた夫は大きく目を見開きました。
 そうして、身を捻ってとっさに私からパソコンの画面を隠そうとした様子だったのですが、残念ながら……間に合いませんでした。
 ……というか、室内で一番大型のモニターに、その画面を出力していたので、夫の努力は無駄な徒労になったのです。

「こんばんは、ヤコ様。ご機嫌はいかがですか?」

 研究室の壁の半分を埋めるモニターから、そう抑揚のない声で呼び掛けて頭を下げたのは、他でもない、私自身でした。





「いえ……正確に言えば、彼女は、16歳の頃の私の声とビジュアルを模した……自律型AIの試作品でした……」
「そ……それはやだな……ぁ」
「生身の自分より、若いってのがまた何とも……」
「えぇ……恥ずかしいお話なのですが、驚きで私も取り乱しまして……そのまま、喧嘩になりました」
「そりゃね……」
「その結果なんですが……今は、私のパソコンにインストールされています」
「ええええっ!?」
「てか、家庭用PCに入るの、そんなスパコンに入れても足りなそうなモン……」
「何と、お手軽サイズの250kbでした」
「えっ、何そのPCゲーム感覚。っていうかオーバーぎみの技術力」
「パソコンにブラックホールでもあるんじゃないの……!」
「しかも近頃分かったのですが……その、変更用のコスチュームと……あと、全身何処をクリックしてもリアクションが用意されて……」
「あえて、あえて言うよ、それなんてエロゲ?」
「こわいっ! 箱に人が入ってるなんて何それすごい怖い……!」
「えぇ、自分そっくりのプログラムなんて……前にネウロさんに読んで頂いたドッペルゲンガーのお話みたいで怖いです……」
「いや、怖いのそこじゃないから!!」
「もういいよ……蝋燭を消して、次の話にいこう……」
「あぁ、次は我が輩の番なのか……? では」

二番:宇宙人ネウロ(名代)


 これはつい昨日、実際に我々の身に起こった事なのだが…。
 我が輩のヤコが――ついに……。
 壁に止まったゴキブリを、素手で討ち取ってしまったのだ……っ。





「こっわー! 何それこっわー!」
「ひいいいいいっ!」
「正しく……他人事じゃないっ……!」
「ちょっ……思わず自分の手を見て鳥肌立てちゃったよっ!!」
「ネウロさんも、たまにフォークやナイフでしとめますが、それを、素手……」
「ヤコは、顔色も変えずに一別すると、早々に手を洗いに行ってしまった。それで、後始末は我が輩が、我が輩が……」
「よしよし、怖かったね、大変だったね……」
「でも……かなりキレイにしたから、よしよししてくれたぞ?」
「うげっ、それって……」
「ネウロさんで、拭いたんじゃないといいですね!」
「あぁっ、中学生の無垢な笑顔がとどめを……」
「私たちも……いつか、そうなるの?」
「こ、怖いけど……ネウロさんの為だったら私、私っ……」
「これ以上、自分の新しい進化の可能性を知りたくないっ……」
「んじゃ、これ以上……若いみんなが道を踏み外す前に、次の怪談行こうか?」
「そう……だね」


三番:稲荷様見習い


 んじゃ、次は私の話だねっ。
 これは、この前のお盆のお話。その夜ね、私、またネウロと喧嘩しちゃったんだ。
 だぁってさ、明日は藪入りだから、家から一歩も出るなって言うんだよ! 酷いよねっ! あんまりだよねっ!?
 私だって……百鬼夜行を見たり、みんなと一緒にご飯作ってもてなしたり、したかったのに……。
 で、売り言葉に買い言葉で、いつもよか、すんごい激しい大喧嘩になってさぁっ。

「わかったよっ! そんなに言うんなら呼んだってぜーったいに出てこないんだからっ!!」

 って言って、晩ご飯の稲荷寿司の残り、ぜぇーんぶ腕に抱えて、奥の塗り籠めの中に籠もったの。
 扉に心張り棒もして、更に一応、覚えたばかりの印で内側から鍵もちゃーんと掛けて。
 えっ……あっそか、みんなのお家には、塗り籠めって部屋、もう、百年以上前からないんだっけね。
 あのね、塗り籠めって、寝殿にある部屋のうち一個で、壁が分厚い土でできてて……うぅんと、そう、倉みたいな部屋で、扉が一個しかないの。
 夏のさなかの昼なんかだと、熱が籠もって寝てられないんだけど、夜は涼しくなってきたし、夜だったから、ひやっとしてて丁度良かった。
 だから稲荷寿司をつまみつつ、ちょっとだけ持ってきちゃった御神酒を舐めてたら、すぐ眠くなっちゃったんだ。
 ネウロは、私のこと追っかけてきてそのまま、扉の向こうに居着いてたみたい。
 扉を叩いて、何か言ってたみたいだけど、壁が厚くてぜんぜん聞こえなかったから気にもならなかったし。
 うーん……一応聞こうと思って耳を、扉にくいっと向けたんだけど、そのうち諦めたみたいで、何も言って来なくなったから、いいかなぁって。
 それに、外で何かあったらどーせ、寝てる間に鍵を開けてネウロが連れ出しちゃうんだ……って思ってたし。
 だってネウロ、どんな複雑な鍵だって、指で手繰るだけで解いちゃうんだもん。

 それで――明け方近くかな。急に、息苦しくなって、目が覚めたの。
 最初は、暑くて寝苦しいのかなぁと思ったんだけど、段々と息苦しさが増してるし、おまけに寝返りが打てないし。
 そのうち、手足が全く自由にならない事に気づいて、飛び起きようとして、起きあがれなくて、ごちんって床に頭をぶつけて転がって。
 そしたらね、本当、驚いたよっ!!
 蔦がね、足首から首もと、あげくに尻尾の先まで巻き込んでさ、袴と小袖の上から、私の身体にぐるぐるって巻き付いてるのっ。
 ちょうど、罪人を縄で蓑虫にするみたいにしてぎっちり巻いて、沢山の葉っぱを茂らせてたんだよ。

「えっ、何これ何これっ!!」

 って、びっくりして叫んだら、草が答えるように、ざわざわって鳴り出して。
 胸元の所から延びた一本が、ずるずるずるって、ほっぺたの所まで来て、ほっぺたを撫でるの。

「やだっ、やだああっ! 気持ち悪いーっ!」

 そう大声で叫んだら、扉をドンドンって叩く音と声が聞こえたの。
 それで私、これってネウロの腹いせのいたずらなんだと思って、無理矢理寝返りをうって、扉の方に芋虫みたいにずるずる這ってた。

「ねっネウロっ!? 何これっ! ふざけないでよっ!!」

 って、扉に向かってそう叫んだら、その隙間からネウロの狐火らしい明かりが漏れたの。
 で、どんどんどんって扉が向こうから、軋むくらいおもいっきり叩かれて、ネウロの声がしたの。

「ヤコっ! どうしたヤコっ!? 何があった!!」
「わかんないっ! 何か、暗くて見えないんだけど蔦が身体に絡み付いてて……んんっ!」

 叫ぼうとしたら、顔に向かって延びてきた蔦に、ついに口が塞がれて、声が出なくなちゃったの。

「んんんっ! んー! んんーんー!!」
「ヤコっ、ヤコっ!! くそっ……!」

 頑張ってじたばた暴れるんだけど、尻尾一つ動かせないくらいぎゅっと巻き付いてるから狐火の印も結べないし、呪文も勿論駄目。
 おまけに、爪も牙も使えないもんだから、とにかく床を転がりながら、ネウロの声がする扉を睨んで、うーって唸るしか出来ない。

「ヤコっ、ヤコっ! 大丈夫かヤコっ!!」

 って呼ぶ声と一緒に、どーん、どーんって震える扉を見て、うーっ、うーって唸るしかできないの。
 真っ暗だし、自分とネウロの声は壁にぐわんぐわん響くし、凄く怖かったんだから!
 しかもその蔦、何でか知らないけど、ネウロの声に反応して一層強く絡み付いて、どんどん葉っぱを増やしながら、うねうねぇって蛇みたいに動くの。
 もう怖くって怖くって、とにかくじったばったしてるうちにね、もっと怖いことに気づいたの。
 ネウロが、あのネウロがだよ? 私の簡単な術としんばり棒しか掛かってない扉をまだ破れてないってことにさ……。
 それで、もしかして扉の向こうにいるの、ネウロじゃないんじゃないかって思ったの。
 そしたら、扉がどーん、どーんって鳴るのさえすっごく怖く感じて来て、とっさに唸るの止めて黙ったの。

「ヤコっ!? 何があったのだっ!! ヤコ、返事をしろっ!」

 それで気づいたんだけど、ネウロの声、どんどん小さくなってるの。
 それに、よく聞くと、扉を叩く音も、狐火の明かりの揺れも最初より小さい。
 人だったら、体力ってものがあるからそれも仕方ないけど、ネウロの力なら、狐火くらいで疲れるはずないのに。

「むぐ……」

 それで気づいたんだけど、殆ど動けないから力の使いようもないのに、私の息も上がってるの。
 ――もしかしてこの蔦、私たちの体力を吸ってる?
 そう思って身体を見回したら、それが正解だって言うみたいに、ばっ、って縛られた身体が真っ白になったの。

「ぐうううっ!」
「ヤコっ!」

 それが全部、真っ白な花の蕾だって気づいたら。

「ぐうっ……」

 扉の向こうでぐっと炎がちっちゃくなって、小さなうなり声がしたの。
 ――この蔦に、いっぱい蕾が付いたから、だからネウロは……。
 って思ったら、今度は葉の上の真っ白い蕾が急にふっくらと膨らんだから怖くって怖くって。
 もー、それからは必死だったよっ!
 ネウロの声がまだ聞こえてるかどうか、もう確かめる余裕もなくてさ、早く夜が開ける事だけ一心に願ったよ。
 やめて、咲かないでっ、ネウロに酷い事しないっでって、口の中で一杯叫んだの。
 あと、言うこと聞かないでごめんなさい、もう危ないことしないからって、それも何度も何度も叫んだの。
 そうやって念仏みたいに繰り返すうちに、ちょっとだけ、うとうとしてたのかも。
 急に、鼻先からふわっていい匂いがして、それで目を開けたの。
 そしたらちょうど、鼻先に投げ出された小袖の上で、ふわんって、真っ白い花が開いた所だったの。
 驚いて見回すと、白い五枚の花びらがあっちこっちで開いていくの。

「止めてっ、咲かないで、やめてようっ……!」

 もしかして、ネウロに何かあったんじゃないかって、そう思って叫んだ時に、がらって、扉が開いたんだ。

「ヤコっ、無事か?」
「ね、ネウロこそっ……」

 少し疲れた様子のネウロがはっきり見えたのと、口が聞けるのとで、それで初めて、蔦が緩んでるのと、朝になってるのに気づいた。

「良かった……ネウロ無事だぁ……」
「貴様こそ……」

 それで安心して、見上げた顎ががくんって下がる前に抱き上げられて、その拍子に、蔦草はばらばらにほどけて、やっと両手が使えるようになって、ネウロにむぎゅーって縋りついたんだ。
「口も手も使えないの、怖かったよっ! 段々息苦しくなるし、力もどんどん吸われてくし、ネウロも元気なくなるし……!」

「よしよし。もう大丈夫だ」

 もー本当、これだけ両手が使えるのが有り難かった事ってないよ! ぎゅううって出来るっていいねっ!
 花は全部散っちゃって、扉から射す夏の朝日の中で、残ったのは両方の耳に絡み付いてた蔓に残された一輪ずつだけになっちゃった。

「これは……」

 知らないうちにブンブンって耳を振ってたから気づいたみたい。ネウロがそれの一方を取り上げて、むぅって難しい顔したの。

「ねぇ、それ何だったの?」
「あぁ、恐らく――定家葛だな」
「本当、葛だ……でも、何でそんな、人みたいな名前なの?」

 うん、それでね、ネウロが定家葛の由来、話してくれたんだけど、ちょっと悲しいお話なの……。
 昔々、定家っていう名前の人に、すっごく好きな人がいたんだって。
 だけど、生きてるうちに結婚することはなくて、ちょっと歌を読み交わしたりしただけでその人、死んじゃったの。
 で、それから大分後に、定家さんも死んじゃったんだけど、若い頃に伝えられなかった想いが葛になって、その人のお墓にぐるぐるに巻き付いて、魂ごと閉じこめちゃったんだってさ。

「懐かしいな、以前、式子内親王様の墓所に参詣した折、我が輩に見せたのは、正しくこの葛だった……」
「そっか、魂をぐるぐる巻きにしちゃう葛だから、私、動けなくなったんだね」
「あぁ。我々神使は、言うなれば、魂がそのまま歩いているような存在だからな。捕縛されればひとたまりもなかったろう?」
「うんっ、すっごく息苦しかった!」
「よしよし、ヤコは我慢強くて賢いな」
「うへへっ……」

 膝に乗せて、袴と小袖のあちこちに絡んだまま枯れた蔦草を除けるついでに頭を撫でてもらって、すっごく嬉しくって、ぱたぱた尻尾なんて振っちゃった。
 ――だけど。

「ねぇネウロ、内親王様の魂を縛る為だけの特別の葛が、何で私やネウロなんか縛ったんだろうね?」

 って、頭を反らして見上げて聞いたら……。

『それは――貴様が我が輩から逃げようとしたからだろう?』





「って言って笑ったの。こう、般若みたいな顔で、にったぁーって」
「うわぁ、怖っ!」
「ううっ、結構微笑ましく聞かせといて、最後それって……」
「あーぁ、宇宙人ネウロさん、最後のオチに失神寸前……」
「人の念って、怖いですねぇ……」
「ねーっ、恋って怖いねぇー!」
「いやいや、私はあなたのおおらかさが怖いよ」
「恐るべし、狐の怨念……いや、ネウロ葛」
「何か、ポケットの中に蔦草の種とか仕込まれてないか不安になってきた……」
「うわぁ……それありうる。後で皆で確認しようか」
「うん……」
「はぁい!」
「で……結局、この怪談大会って今のところ……」
「ネウロ怖い……って話しかしてないよね?」
「本人たちが居ないから言える話だけさ……」
「そだね」
「んじゃ、今の話の分の蝋燭消そうか」





――一説に、百物語は卸霊術であるとも伝えられています。
 順番に怪を語り、蝋燭を吹き消す。
 その一連の動作そのものが、『怪』を呼ぶ儀式であると。
 全ての話を終えた時、彼女らの話によって、呼び出されるのは――さてはて、一体何でありましょうか。

「そんなん、言うまでもない……よね」
「うん……」
「ほぉう、分かっていてわざわさとは……流石だな」
「!?」

――完――


微笑ましい中でちょっとだけ、ゾクッとして頂けたならいいなぁと思います。
改めまして、竹見さん、一周年おめでとうございます&企画お疲れ様なのです!


date:2010.08.21



Text by 烏(karasu)