深夜の小規模な葛藤



なぁテラ、この女は余り可愛くないなと、ネウロは視線をうごかさず欠伸混じりに一つ呟いた。
 現在の時刻は真夜中を過ぎた辺り、とあるマンションの一室。
寝室の窓に寄せるように置かれたベッドの端に座り、膝の上に両肘をついてその長身を丸めるように頬杖を付き、ネウロが眺めているのはテレビだった。

一般家庭の平均よりはいささか画面の大きい薄型の液晶に、先ほどから映し出されるのは、男女のよくある恋愛を題材にした連続ドラマだ。
「たかが深夜番組に金を割けないという事情は、天界も地上も同じのようだな……」

画面の中で、どうやらその若さで最近売り出し中らしい、まだ少女と呼べる年代の女優の顔お世辞にも良いと言えないカメラワークで大写しになった。
 それを、軽い眠気に細く眇めた深緑の眼で眺めながら自身の顎を預けた黒手袋の長い指先で頬を叩き、更に募った退屈に更に一つ、欠伸を重ねる。

食物の代わりに人の恋を食すキューピッドである彼にとって、ドラマのような人口の恋は料理番組のような物である。
空腹は紛れないが、食材と模範的な調理法とが「お約束」というスパイスに味付けされる様をこうして画面の外から眺める。
「しかし、最近のドラマというものは食材の質も調理法も落ちたものだ」

前傾の姿勢から身を起こし、両手を大きく天井に伸ばして伸びをしながら呟き、相変わらず空腹を覚えたままの自身の腹をさすりながら見下ろす。
「……テラ?」 

そこで漸く自分の発した言葉に返事の無い事に気づき、彼は身を捩りマットレスの上に肘をつき、自身の座るベッドのヘッドボードの方へと向き直る。
 数刻前まで、退屈にテレビを眺める彼の酷評に付き合っては読んでいる本から、律儀にも一々顔を上げては、眼鏡の下の眼を緩く眇め。

瞳と同色の水色の長い髪を掻き上げては苦笑を漏らしていた男は、その本を開いて腹の上に置いたまま、すっかり瞼を閉じてしまっていた。
「なんだ、もう寝たのか……」

呟いた言葉にやはり言葉は返らず、起きる気配もない。
 仕方ないな、と、誰に言うでもなく呟いた後にのし掛かるように身体ごと手を伸ばし、かけっぱなしの眼鏡と胸の上に広げられた本だけは、相手が寝返りをうつ前にと回収してやった。

さて、これらを何処に仕舞えば面白い事になるか等と考えながら手の中の物を見下ろし、ネウロがにんまりと牙を見せて笑った時、背後の画面から女の叫び声がした。
 どうやら素材、味付けともに余り良いとはいえない件のドラマが佳境に入った所らしい。ベッドに突いた腕で身体を支え身を起こし、振り返ると、セーラー服を纏った少女が今にも泣きそうな顔で、スーツ姿の男に詰め寄っていた。

画面の中、しどろもどろに身じろぐ男と見上げる少女の身長差はそこそこにある。困ったように身を引く男の顔を映した後に、カメラは再び引き、今度は涙に濡れる少女の顔を上から見下ろすアングルで大きく映す。

紺色のセーラ服の肩に届くか届かないかのまっすぐで短い黒髪。
男の首もとに縋る青白い手。細い喉から小さく漏れ出る嗚咽に合わせて悲しげに眇められる黒目がちの大きな瞳。

現在ベッドで眠る男ならば、可哀相などといってその眉を潜めるか、場合によっては一緒に泣き出すかしそうなその小さく頼りない姿に、ネウロはただ、嘲笑を一つ零した。

やはりネウロには、この女優を人間と同じように可愛いとは微塵も思えそうになかった。

『ねぇ、ソレって、一体何を基準にしてるのさ?』
(……ム?)

その時ふとネウロの頭に蘇ったのは約1時間前、退屈しのぎにこのドラマを見始めた時、全く同じ内容の悪態をついた時にテラの返した言葉だった。
「その子、うちの生徒にもそこそこ人気があるみたいだけど……一体、誰と比べて可愛くないのさ? 魔界の子?」

特に含みもなく、僅かに眼を細めて首を傾げるようにして、ただ単純な興味で聞かれたその言葉。
「……くだらない。人間の基準を我が輩に当てはめるな。一人しか見えていない貴様とは違うのだ」

と、その時は鼻で笑い、後半に付け足した、僅か揶揄を含んだ言に一気に赤面したテラをからかってやった事でその問いの答えはうやむやになった。
 しかし、改めて考えてみればどうだろうか。

あの男が言ったように、自身の中に果たしてその基準が内在するか否か。それはネウロの生来持つ好奇心を刺激した。
「ふむ……」

再び画面に映った少女の泣き顔を、ネウロは深く長い脚を組み、テレビに向かって身を乗り出すようにして、顎に指先を沿えて僅かに首を傾げ、翡翠色の眼を凝らし、今度は子細を意識してじっと注視する。
 自身の心にひっかかる何かがあるかどうか。もしあったとして、その正体は一体何であるのかを。

まずは、この少女のような艶やかな真っ黒い髪よりは、もっとふわふわとした髪質の方が自分の好みに合っていると思う。自身の毛色と比べる訳ではないが、もうすこし軟質で、日向のような色と匂いだと良い。

大きな黒目がちの眼は嫌いではないが、時折、狙ったようにふっと影を孕んで伏せられるのが気にくわない。もっと真っ直ぐに、汚く矮小な人の心や、人の理解の範疇外にいる自分をも映すような、鏡のように澄んだ瞳が好ましい。

ネウロはふと眼を伏せ、無意識のうちに、更に深い思慮に耽る。まるで、ここにない何かを思い出すようにして。

こうして考えて行くと、唇も、悔しさや哀愁で噛みしめらているよりは、いつでも柔和に笑っているべきだと思う。親しい人間と会っても、そうでない自分のような生き物と会っても、平等に弧を描く。 そこから漏れ出る高く柔らかな声と同じに、柔らかな感触と脳髄の痺れるような甘さの黄桃のような色つやの唇。

あとは手。あの、他者に触れる事に全くためらわない、小さくひんやりとした優しい手には、あんな風に、指先から血の気が引くような力で縋り付いてなんて欲しくない。

強く抱きついたりしないで、いつものように軽く身体に触れるか、僅かに衣服を摘んで引っ張る位で良い。
そうすれば、そのか細い手が痛む前に、こちらが気づいて振り返り、何か言いたげに笑った唇と鏡のように澄んだ深い茶色の瞳を見下ろして。

そうして、それから。それか、ら――?
「ッ……!」

伏せていた翡翠色の眼を驚愕に大きく見開く。きつく組んでいた脚が解け、動揺にバランスを崩してそのままベッドから落下しそうになった身体の重心を咄嗟に取る。

目尻から耳の先がじんじんと熱くなる。開いたままの口を思わず顎に沿えていた手のひらで塞ぐ。
熱を伝える耳元ではドクドクと早い鼓動が鳴っている。他の誰でも人間でもない、ネウロ自身の。
(馬鹿な……我が輩は今、何を考えていた? 誰を……考えて……)

理由の明確にならないまま焦る内心に呼応するようにどうしても上がる口元を覆ったまま、その手のひらで押さえる頬はやはり火照って熱を持っている。恐らく、耳の先も同様に。何故に、どうして、何を、誰を考えていた為に?

翡翠の瞳に浮かぶ瞳孔のように、ぐるぐると思考が混乱する深いに床に視線を落としてただ俯くネウロの頭上で、プツンと、TVの電源が落ちる音がした。どうやら予めタイマーに設定されていたらしい。

咄嗟に顔を上げ、見上げた、何の像も結ばない真っ暗な画面の中に映ったのは自分の姿。動揺に焦点のブレた翡翠色の瞳を見開き、黒手袋の右手で口を覆ったまま、頬や目尻、どころか耳の先まで真っ赤にしてこちらを見返して来た。

自分の背後、何も知らずに幸せそうに寝ている男が自分に晒した顔よりも、もっと酷い顔で。
『ねぇ、誰と比べたの? ねぇ、誰を見ていたの?』
「チッ……!」

淡い恋の匂いに一層強い空腹を伝える腹の上、平静よりも高く跳ねる自身の鼓動までがそんな音程を刻んでいるかのように聞こえ、ネウロは胸元を握り込み、その鋭い牙で自身の唇を噛みしめて、きつく眉を寄せた。




「あれ……? ねぇネウロ、ボクの眼鏡見なかった?」
「……知らん」
「ふぅん。……てか、何で今日はそんなに機嫌悪いのさ」
 動揺の犠牲は、眼鏡が一つ。後ほどテラは、フレームごとぐしゃぐしゃに握りつぶされているのを発見する事になる。


「へたれネウロ」が書いてみたい! という欲望のまま、「KAMADOMA」のかぼちゃら様のキューピッドネウロを書かせて頂きましたv
勝手に「無意識なムッツリ」というキャラ付けにしてしまいましたがどうなのか……。
かぼちゃら様、勝手にキャラを使わせて頂いて申し訳ないです。


date:2009.01.04



Text by 烏(karasu)