何でも形から入るこの男のことだ。うっかり婚約など交わし、流されるままに結納まで行ってしまったからには、弥子もある程度覚悟を決めていた。
人妻と頭に付くようなマニアックなプレイから、「ご飯にする? それとも……私?」なんていう、古き良き日本の伝統文化まで。
きっと、所有物の証の指輪を盾に、婚姻関係にならないと出来ない、あらゆるプレイを強要されることを。
勿論、その覚悟の中には、ベタで王道な展開好きな人間なら――人間以上にベタが好きな魔人なら、絶対に外さないだろう、所謂裸エプロンなんかも。
しかし、その日、風呂上がりに下着とパジャマ一式を没収された挙げ句、「これを着ろ」と渡された物は、弥子の予想の範疇を超えていた。
白くて、エプロンと違って袖があって、背中のヒモの数が多い。これって確か、所謂……。
「えぇと……。ネウロ、これ……割烹着?」
「ム、見て分からんのか?」
「そりゃ分かるけどさ……」
自分はさっさと、しかも弥子に用意させた黒のスウェットに着替え、肩にかけたタオルで髪を拭きながらそうのたまう魔人を、弥子はどうにか死守したバスタオル一枚の心許ない姿で見上げた。
(いや、裸割烹着って……ちょっとマニアックじゃありませんか、ネウロさん?)
こういう時は便利なことに、言いたい事は視線で伝わったらしい。
薄情な魔人は髪を拭く手を止め、フンと鼻を鳴らすと、弥子の唯一身に纏うバスタオルを勢いよく引き剥がし、肩に担いで回収してしまった。
そして、駒回しの要領で洗面所の床に転んだ全裸の弥子の上に、例の割烹着を落として尊大に言うのだった。
「良いから着てくるがいい! 破廉恥にもこのまま居間まで渡ってきて、我が輩に裸体を晒し、ついでに風邪を引くというのならそれもまた良しだがな」
そして、二枚分のバスタオル、下着、パジャマを持って背を向けた後、振り返ってこう一言。
「そうそう、この洗面所のドアを潜ったその時から、我が輩の事は『旦那様』と呼べ。勿論、恥じらいを込めてな」
「っの……やろうっ!」
ククク……と笑う背に割烹着を放り投げるも、すんでの所でドアを閉められ防がれたのだった。
「どう、一応着て着たけど……」
「……ほぉう」
10分後、以外と早く羞恥との折り合いを付け、漸く弥子がリビングに出てきた時には、ネウロはソファに座り、パラパラと雑誌をめくっていた。
「そんなさ……まじまじと見ないでよ……」
ソファから立ち上がり正面に歩み寄れば、廊下からリビングへと続くガラス扉にぺったりと背中をくっつけた弥子は、ネウロの視線に顔を赤くし、更に扉に背を押しつけるように俯いた。
その、年を重ねても変わらない、こちらを刺激しようとしか思えない反応に、ネウロは内心でぺろりと舌なめずりをする。
定番ネタのエプロンと比べれば、割烹着というものは、腕や胸の露出を抑え、余り色気のないように見える。
そう感嘆にずれることもなければ、胸だけを露出させることもできない。そして、背後の無防備さはさほど変わらないのである。
なのでどうしても背面を見せることが出来ず、心許なく扉に縋り付いている……といった所だろう。
そして、しきりに背後を隠そうと頑張る余り弥子本人は気づいていない。
タオルを取り上げられた為に、碌に拭かないで羽織ったせいで、その心許なく白い布が、最近、女性らしい丸みの出た身体にぴったりと張り付き、その腰の柔らかなラインを露わにしていることに。
……しかし。やはり物足りない。
「ふむ……大人の色気には程遠いが、見れない事もないな」
「もうっ! 自分で着せといてそういうこと……おわっ!」
「だが……」
「っぷ!」
憤慨したことで油断した、薄布を纏った腕を引っ張り、腕の中に抱え込めば、胸に鼻先をぶつけた弥子はじたばたと暴れ回る。
その背中のヒモに指を掛け、今すぐ解くぞとおどせば、いとも簡単に大人しく腕に収まった。
頭の後ろにクリップでまとめられた蜂蜜色の髪と、むき出しになった風呂上がりの熱が残る項をなで上げて、生乾きの頭に顎を乗せその耳を塞ぐように一層強く抱き込む。
息苦しさに再びじたばたと暴れる背中を撫でながら、ネウロはふと視線を自身の正面に向け、唇をつり上げてにやりと笑う。
「……やはり、背面を拝まなければ面白くない」
「んんんっ、何か言った?」
「いや――旦那様はどうしたかナメクジと言っただけだ」
「ぶっ。……言わない、絶対言わないっ!」
――やはり、弥子本人は気づいていない。
ネウロの腕の中、じたばたと暴れるその華奢でなめらかな背中が、全て、背後のガラスドアに写ってしまっていることに。
裸割烹着の新妻を抱え込んだ自身の鏡像に向かい、ネウロはただ一人、にやにやと満足げに笑うのだった。