色々ログ3、「桂木忍法帳」


山田風太郎風の文体で書いた、事務所の日常風景。

少女は美味しく頂かれました


折しも窓の外は曇り空であった。
 無人の事務所――――その重い金属扉がギッと小さな音を立てて開く。
 僅かに口を開けた暗闇、そこから恐る恐ると、一つの小さな影が忍び入った。
 華奢な体躯に、蜂蜜色の髪、水のように澄んで、大きく茶色の瞳の愛らしい娘―――この事務所の一応の主、桂木弥子である。

廊下の床に膝を付き、細腕で、頭上に鞄を掲げる。―――上からの攻撃を防ぐ為であった。
―――しかしそんな用心空しく、ぐっと半身を乗り出し、首だけで見回した室内に人の気配は無い。
 ほっ、と息を付き、一応の用心に身を低く保ったまま、そっと歩を進める。

「あかねちゃん、おはよう」

ひそめた声での挨拶に、ゆったりと揺れて返事を返すおさげにやんわり笑み、
豹のような体制で這い進んだ弥子は、ようやく普段の定位置である手前のソファにたどり着く。

柔らかな背もたれに体を預け、今や完全に解けた緊張からか、形の良い唇から僅かな溜息が漏れる。

「……全く、何で毎日出勤一つにこんなに緊張しなきゃいけな――」

――耳元でフッと、空気の漏れる音を聞き――――同時に身体が横倒しになるのを感じ――
――ふと気付けば天井を仰いだ姿勢でソファに縫い付けられていた。

巡らせた首が捕らえたのは、頭の横に伸ばされた両腕。
 それの纏った制服には――わさわさと群がる虫の一群。
 その何とも悍ましい姿――節の有る四肢ギチギチと鳴り、身体の殆どを占める眼球はぬらぬらと体液に濡れ、絶えず蠢いている。
 普通の人間――特に彼女のように年ばも行かない小娘なら、その余りの不快に失神してもおかしくはないだろう。
 しかし弥子は臆する様子さえ全く無く、ただ僅かに眉を寄せ―――愛らしい顔を歪め、ギッと天井を睨め付けた。

「ちょっと!! どういうつもりよネウロ!?」

刹那、弥子の張り上げた声に呼応するように―――ぐにゃりと天井が波打つ。

「……盛大な遅刻への罰のつもりだか?」

波打った箇所は変形し、一人の人間の像を結んだ。
にったと笑い、まるで蜘蛛の張った網にかかったかのような娘の姿を楽しむ男。
 美しい容貌をした魔人―――脳噛ネウロは、初夏の若葉を思わせる深緑の瞳を細め、更にいやらしく口端を吊り上げた。

穏やかな声と裏腹に、その表情には誰の眼にも明らかな狂喜と喚起が見て取れる。
―――哀れその時点で既に、網にかかった獲物たる少女の運命は決まっていたのである。


初めて読んだ山田風太郎節に感銘を受け、勢いで真似し、挫折した一遍。
続きを書こうとして以降、他の「忍法帳」シリーズを読む機会に恵まれないまま、一年以上が経ったという事実。
当時、気をつけて真似たポイントは「――」、「天気から段々と話に入る」、「目と髪の色で特徴を出す」だったかなぁと思う。


date:2006.10.17



Text by 烏(karasu)