綺麗で気高く麗しく。
そうした姿のコレは、今の姿に咲くまでには、他の花よりも細かな世話と大量の栄養を消費する筈だ。
なのに、まるでずっと独力で生きてきた野草でもあるかのように、しゃんと茎を伸ばして咲いている。
それはきっと今までも。変わることなくこれからも。
「……なんかさ、どこかの誰かさんに妙に…似てる気がするんだよね。腹立つ位にさぁ」
そんな軽口を叩きながら、手渡され、とりあえずとその場にあった花瓶に活け、無人の机に置いたばかりの赤い薔薇の重い花弁を軽く指で弾く。
そうしてふと視界に入った――先程その刺によって作られた指先の刺し傷を弥子は嘆息混じりに見下ろした後、僅かに困惑を浮かべた表情で、壁際の親友を見遣る。
「ねぇあかねちゃん、何であいつは、私にわざわざこんなモンを渡して来たんだと思う?」
しばしの間をおき、ホワイトボードに大きく描かれた『?』に、また一つ嘆息。
事務所に向かおうとする後ろ姿を引き止める口実を考えるうちにテンパったらしい俺が、気づいたら、ほぼ無意識に発してしまっていた言葉。
既に半ば背を向けていた桂木は唐突で脈絡のないソレを特に訝しることもなく、素直に足を止め、こちらを振り向いた。
「え、匂い? ん―……あ、そか。昼に貰ったガム、まだ残ってたんだった。確か…この辺に入れて……」
それでも、暫し逡巡する様子を見せた後にポンと手を打って。
原因に思い当たった様子の彼女は鞄をローファーの足元に置き、セーターの胸元を軽く引っ張ってブラウスの胸ポケットを探り始める。
……てかこいつ、何てとこに物仕舞ってんだよ。仮にも年頃の女がさ。
「……よくさ、そんな所にもの仕舞えるよね」
「んっ、別のポケットには余裕無いんですよ、スカートのだと捲くって丈を調整する時に邪魔な上に、見栄え悪いし……」
「で、ソコなら見た目的に全然平気でm余裕もかなり有るから、と」
「はいっ! ……って、もうっ!? どさくさで何言わすんですかっ!」
言葉と同時に片方の手を取られ、その手のひらの上に、ぺしん、と、小さな包みを押し付けられた。
覗き込んだ手の中、ブルーベリーの絵が描かれた、見覚えがあるデザインの包み紙からは、妙に甘ったるい芳香。
「せめて、大切に食べて下さいよ―。私が誰かに食べ物あげるなんて、滅多にない事なんですからね!」
睫毛を伏せて偉そうに俯きながら、未だ手のひらに置いていた指先を離し、俺に渡したのと同じ包みを開いて中身を口に。
「んふ、おいひ……」
再び顔を上げると、幸福そうに目尻を下げた笑顔。
そんなほっこりと心の暖かくなる表情がガム一枚で生まれるのが、桂木らしいというか何ていうか。
「じゃ、私、そろそろ行きますね。匪口さんも、お仕事頑張って!」
鞄から取り出した携帯を見て小さく悲鳴を上げ、駆けて行く背中を見送って。
「……ったく、珍しいとか、自分で言うなよな……」
俺も包みを開いて、ガムを頬張る。
胸の近くの温度を宿したそれが、胸の奥を焦がすような錯覚。
……甘ったるさに喉が少しヒリついたけれど、決して不快ではなかった。
初期は花弁も薄く、1つの株に咲く花数自体も少ない、貧相でみすぼらしい雑草でしかなかったその植物はしかし、
その香に惚れた人間が可能性を信じ努力を重ねた結果、今のように艶やかな花を大量に咲かせるようになったのだという。
そうして現在でも飽くことなく、作られて行く色や香に――
「……なぁ? まるで貴様のようではないか」
所長机に片肘を付き、くつくつと愉快そうに笑う魔人の手元には茎を黒いビロードのリボンで結わえて纏められた、幾本かの真紅の薔薇。
黒い手袋を纏った指先で、紅い花弁をそっと撫で上げながら。
呟かれたその言葉は、休眠中である秘書の耳にさえ届かずに消え。
学校から、無人の事務所へと戻った少女への「嫌がらせ」の真意を知る者は、その『手段』である、真紅の花達だけであった。
……推理もへったくれもなく終わり。
急に! 夢小説風な事をしたくなって書いてみました。
名前変換機能などという親切なツールはなく、ただ、『誰か』と弥子の話です。
と、少し先を歩いていた彼女はこちらを振り向いて朗らか笑った。
「だって、道を歩いているだけで楽しくなりますもん!」
言って、ふと足を止める。その視線の先には、満開の花を付ける桜の木。
その間に、開いてしまっていた彼女との距離は段々と、気恥ずかしさを覚えるほどに縮まって行く。
彼女はといえばそんな事は全く気にせず、ちらりと横目でこちらとの間隔を確認したら、あとは再び、桜に向かって熱い視線を送る。
「……桜って、何だかポップコーンみたいじゃないですか?? ふわふわしで甘い匂いがして……。水仙は金平糖みたいな形で可愛いし……」
さっきから、食べ物ばっかりだね、と。
満開の桜の枝を見上げるすぐ横の彼女にわざと、聞こえるように呟く。
「も-っ、そんな事ないですよ……っと、」
特に怒るでもなくそう返し、細い片腕を気の幹に置いて身体を支えて爪先立ちで一生懸命、ふわふわの花弁を纏った、桜の枝先に手を伸ばし始める。
その後ろ姿に再び声をかければ、今度はゆっくりと振り返り――損ね、足元の、花壇と道とを隔てる置石に躓いて、彼女がバランスを崩した。
こちらに倒れ込んできた、彼女の腕を咄嗟に掴み引く。細く軽い身体は、その支えだけでどうにか地面との衝突を免れたようで。
しかし、そういった事態には慣れているのか、安堵のため息を吐いたこちらよりも、彼女の方が冷静で。
「……っと、ありがとうございます!」
特に、照れるでも狼狽するでもなく、ただ明るくそう言って。腕に縋って身体を起こし、再び木を見上げる。
ちらりと見遣った横顔は、瞳をきらきらさせていて。まるで幼い子どものように。
「……小さい頃、一回食べてみようとした事があるんですよ」
何を?
「庭に何本か咲いていた、黄色いチューリップを。……実際は後から聞いた話で、自分では覚えていないんですけどね。『ちょっと目を離した隙に花びらをくわえていてびっくりした』って、家族が。……流石にマズかったのか、すぐに吐き出したらしいですけど」
照れ臭そうにはにかむ彼女の話を聞きながら、頭の中にはふと、一つの想像が浮かんだ。
セピア色に褪せザラザラとノイズの走る残像。
花盛りの花壇を背に立つ幼い女の子の手には萎れかけたチューリップ。
疑問にきょとりと見開かれたまぁるく茶色い瞳。その薄い唇に、自身の髪の色に似た、一枚の花びらをくわえていて。
売れない、古い映画のワンシーンのような、あくまで自分の想像でしかない光景は、その癖妙に鮮明で。そして――
「……一体、何を笑ってるんですか?」
「ううん、なんでもないんだ」
きょとりと見上げてくる、疑問を含んだ丸い瞳に、思わず笑い返してしまう程に鮮明だった。