おとぎばなし



そうして、王子様は元の姿に戻りました。


ドアを開けてすぐ目に入ったのは、窓に背を向けソファに座り、
午後の日にけぶる蜂蜜色の下で伏せた茶色の瞳に、
あどけなさと、少しの慈愛を含ませた微笑みを浮かべる少女の姿。
よく知っている筈の少女が浮かべる普段見慣れぬその表情に、
何故か気圧されどうしても次の一歩が踏み出せず、咄嗟に視線をさ迷わせた。丁度その時、
「あっ、吾代さんっ!」
無邪気に呼ばれた。

吾代の存在に気付き視線を上げた弥子の表情に先ほどまでの微笑は既になく、
その代わりに子犬を思わせる人懐っこい笑顔を浮かべていた。
普段からよく知る彼女らしい笑顔と嬉しそうな響きを乗せた声に、吾代は不思議な安心感を覚えた。
いつものように言葉を返そうとし、心身ともに固まる。
自分を見上げる少女の揃えた膝の上に頭を乗せている、鳥に似た生物が視界に入ったからだった。
「……? あ、そっか。吾代さんはまだ見た事無かったんだっけ」
膝に向けられた視線に気付いた少女はキョトンと、瞠目する吾代と自分の足元を見比べた後に、
ポンと両手を打ち鳴らし、納得のいったという様子でそんな言葉を吐いた。
「ハァ?てめ―何言って――」
少女の不可解な言葉に眉を顰めてそこまで言い、ふと気付いた。
少女の膝に乗る目を閉じ横を向いた、でかい鳥らしき生き物の頭部。
その服装が、普段彼女を虐げるあの化け物が普段身につけている物と同じである事に。
「……そっ、当たりっ!」

吾代が答えを知り得た事をその表情から読み取ったらしい少女は『信じられない』とでも言いた気な顔付きで、
自身の顔と、膝の上を交互にさ迷う吾代の視線に自らの視線を絡ませて。
悪戯を成功させた子供のように、目を細め、ニィッと口端を吊り上げた。


「昨日結構大変だったから、コイツ…珍しく疲れちゃったみたいで…。
こうして元の姿に戻っちゃってるし、一向に起きる気配がないし馬鹿みたいに重いし。あ、最後のは内緒で」
どうやら大分暇を持て余していたらしい少女は、持って来た資料をデスクに置いた吾代に向かいのソファ腰掛けるようにと手で促し、
渋々従った吾代に向かい取り留めの無い世間話を始めた。

こうして言葉を紡ぎながらも、少女のしなやかな手は毒々しい色の羽毛から続く硬質の嘴をスルリと撫で上げ、
山羊を思わせる角に刻まれた深い溝を指先でなぞり、人間には有り得ない色合いの髪を梳き……という風に、忙しなく動作を刻む。
そして眠る化け物は化け物で、安心しきって瞼を下ろし――そして恐らくは無意識に、僅かに開いた嘴を寝息と共に震わせて……。
「――…って訳なんですよ。そういえば吾代さんは最近どうですか?」

どこかに慈しみや、ある種の愛しさを込めて滑らかに動く指先と、それに甘える化け物の様子に目を奪われていた吾代は、
いつの間にやら少女の話が終わり、話題が自分に向いた事にすぐに気付けなかった。
「あ?……あぁ、まぁ普通だよ」

それでもどうにか返した気のない返事に、少女は口に手を当てて、クスクスと遠慮がちに笑い始めた。
「も―っ、人の話くらいちゃんと聞かなきゃ駄目ですよぉ!仮にも、情報集める会社の副社長さんでしょ?」
「るせぇな!てめ―のつまんねぇ話なんざ一円の価値にもならね―よ!!それに『仮にも』は余計だ馬鹿!」
「む―っ、そっちこそ言うに事欠いて『つまらない』は無いでしょっ!」
余裕を滴る弥子の軽口に、不機嫌を露に吾代が答え、そのやり取りの下らなさに、お互い顔を見合わせ笑った。


「あっ、そうだ。今お茶入れますね」
「あ、いいよ別に!どうせ直ぐ帰るつもりだったし。……つ―か、大丈夫かソレ?」
 ひとしきり笑った後、化け物の頭を両腕で軽く抱え込み、ソファとその間から抜け出そうとする少女に、思わず身を乗り出し声をかけた。
「いいからもう少しゆっくりしてって下さいよぉ!折角久々に会えたんだし……ねっ?」
  「おう…」

上目使いで発された甘えるような声にあっさりと負け、一度浮かせた腰を落ち着ける。
少女は吾代のその様子に満足気に頷いた後目を伏せて、自身の膝に視線を落とした。
「それに、ここまで熟睡してたらそう簡単には起――」
そこまで言葉を紡いだ少女の唇は、スルリと後頭部に回された手に引き寄せられて――化け物の顔へと重なった。
「っ!?ふぅっ、んくぅ……!」
一瞬のうちに人の形に戻った化け物は淡い色の髪の下で上がる、少女のくぐもった悲鳴にも
突然の光景に狼狽する吾代にも構う事なく、翠の瞳をゆるりと細め、響く水音と共に少女の口腔をねっとりと犯してゆく。
「んぅ……ふはァ…ぁっ…」

少女の抵抗が弱まり、洩れる吐息に甘い響きが混ざり始めた頃、
化け物はようやく首に回した手を緩め、少女を開放した。
「ふっ……はぁっ…」
ようやく息苦しさから開放され、茶色の瞳を劣情で潤ませ甘く息づく少女。
その朱色の唇を、黒手袋に包まれた長い指が、優美な仕草でスッと撫で上げる。
「……随分と淫乱だな、ヤコよ」
小さく囁かれたその言葉によって、惚けたままだった少女の瞳に理性の色が戻り、瞬間、顔全体が羞恥の色に染まる。
「はぁっ!?どっちが!!つ―か、起きて早々何やって――」
一息にそこまで怒鳴った所で、どうやら吾代の存在を思い出したらしい。
「あ…えっと…うぁっ…」
怒りに大きく開けた目を更に見開いて。頬を更に朱く染めた少女は声にならない呻きとともに唇をわななかせる。
「なに、地上(こちら)でいう『物語』というもののセオリーに従ってみただけの事だが?」
「あのねぇ!そういうのは普通女の子の方からは……いいやもう…お茶、入れて来る…」
ゆるゆると自分の髪を撫でる化け物の手を振り払い、憔悴しきった表情で立ち上がった少女は給湯室の方へと向かう。
「……てめぇ、起きてたろ?」
今や完全に身を起こし、悠然とソファに踏ん反り返り、含み笑いと共に少女の背に視線を向けていた化け物は、
吾代の放ったその言葉に笑みを収め――先程より顕著に口端を上げた。
「……だったら、どうしたというのだ?」
軽く鼻を鳴らし、抑揚の無い声でそう返す。
しかし、氷を思わせる冷たさを湛えた翠の瞳は笑っていない。
凛と冷えた色のまま吾代を射抜こうとするその瞳が持つ不機嫌の色が、吾代の推論に確信を与える。
(あぁ、やっぱりか……)

恐らくこの化け物が目覚めたのは、吾代と少女がお互い笑い合った前後だろう。だからこそ自分に向けてこれほど顕著に嫉妬を露にしているのだろうし、
それに――吾代が最初に見た、少女のあの微笑みや、愛しむように撫でる指先を見ていたのならば…この抜目ない化け物助手は気付いた筈だ。
その動作一つ一つの内に篭る、吾代でさえ容易に見抜けた気持ちに。
「……安心しろや。流石にそーゆ趣味はねぇよ」
「ほう…」
挑むように自分を睨む化け物の視線から目を逸らし、無表情と極めて抑揚の無い声を心がけ、そう一言返したものの、
少女がこの化け物にさえ見せた事の無い表情を知った事による優越感が僅かに口角を上げさせる。

――思わねぇ?何でも見抜くこの化け物にだって一つ位、見えねェ物が有った方が面白ェって。
余裕を持った心中で、誰にともなくそう呟いた。


以前行った「1000hit超え記念アンケート」で頂いたリクエスト『吾代さん絡みのほのぼのしたネウヤコ』です。
…あまりほのぼしていませんが。(ドS様と吾代さんは既に、何かの火花が散っています…)
そもそも、吾代さん視点の時点でリクエストを曲解してます、管理人。

リクを下さった方へ:
私の技量不足で折角のリクエストを上手く生かせずこんなお話になってしまいましたが、
シチュを考えるだけでも楽しかったですし、書くのも本当に楽しかったです。
挑戦し甲斐の有る素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
いつか機会がありましたら、是非またどうぞ。

その他、投票して下さった方々にも改めてお礼を申し上げます!
計50票もの投票、本当にありがとうございました!


date:2006.06.17



Text by 烏(karasu)